小岩歴史散歩 第6回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の四

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

前に聞いたことがありました。一里塚の近くには「渡し」があったそうです。「渡し」ってくらいですから、河っぺりに違いない。例によりまして、自転車でウロチョロしておりましたら結構簡単に見つかりました。(実は前回の「逆井の渡し」を見つけるのは2度の捜索が要ったのです)

千葉街道の市川橋を渡った左手に小岩市川の関所跡があります。その解説のなかに佐倉道がありました。

これがまた、どうもおかしい。佐倉道って千住から始まるらしいのです。日本橋から佐倉に行くにあたって、なぜ千住や新宿(にいじゅく)を通るのでしょう。さらに、関所跡の小岩側には「御番所町の慈恩寺道道標」があります。

どうも関所になる前は番所だったらしい、とも思いましたが疑問はここから。道標には「右 せんじゅ岩附志おんじ道」とあるって解説に書いてありました。岩槻って埼玉です。岩槻慈恩寺って何のご縁があって、この小岩から街道があるの? これはまた、例によって実地踏査しよう(行ってみるしかない)と思い定めた次第です。

その前に、佐倉道です。古い地図を見ると、日本橋から日光街道千住の宿、水戸街道新宿(にいじゅく)、そこから分かれ南下して小岩市川の渡しから下総へ、というのが幕府公認佐倉道でありました。さらにその先にある成田詣での人も多く、成田道とも呼ばれたようです。

つまりは《「一里塚」ってどこから一里なんだろ?》の答えは、当時の要衝であった千住の宿(千住宿は品川宿、内藤新宿、板橋宿と並ぶ「江戸四宿」の一つでした)から二里目でしょう、というのが結論です。

でも日本橋から佐倉に向かうのに、千住経由はどうみても遠回りです。佐倉の殿様は公認佐倉道をお通りになったのでしょうが、普通の旅人は元佐倉道(平井~逆井~五分一~小岩市川の渡し)を使ったのでしょう。

次回は埼玉岩槻の慈恩寺のお話です。これがまた、かなりのビックリ発表がありますのでお楽しみに。

小岩歴史散歩 第5回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の三

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

一里塚から話題は五分一(ごぶいち)へ。今回は五分一のお話です。

結構、日本中にあるんです。五分の一(市)とか四分の一とか。
実は税率だったり、水利権や、作物の権利の取り分だったりするそうです。」

小岩の五分一の由来はというと、いろいろあって、定説はないようです。私の入手したところでは、①「権兵衛さんちの淵」が元でゴンブチ、それが訛ってゴブイチ ②湿地だったから、余りに貧しくて2割の税金(年貢米)で勘弁してもらった ③天領だったので税率が優遇されていた ④川魚の産地でした。魚の税金は2割だった(魚はお米に換えて払ったとも)⑤日本橋から船橋までの5分の1の地点(なんともユニーク!)などがあります。どれだったのでしょう。

さらにこれを調べる過程で、これまたわからない話を聞きました。五分一のあたりにも一里塚があったというのです。でも現在未発見だそうです。

五分一橋は昔、行き交う人で賑わっていたそうです。遊郭もあったとか。日本橋寄りに逆井の渡しがありました。今は旧中川に架かる「逆井橋」にその名を残しています。歌川広重の浮世絵に描かれているところです。

ところで千葉街道って、五分一橋に八蔵橋、菅原橋に二枚橋です。これが昔の元佐倉道です。橋だらけです。昔はよっぽどズブズブだったんでしょうね。

だいぶお話が横道にそれてしまいました。もとのお話に戻って、一里塚ってどこから一里なんだろ? についてはまた次回から再開します。

小岩歴史散歩 第4回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の二

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

五分一橋(ごぶいちばし)聞いたことはあるけど、どこだっけ。まずは行ってみよう、自転車で。(単身赴任なのでクルマがありません)

千葉街道を中川の方まで真っすぐ行ったところで、信号の名前にありました。でも、もう川なんてなくて、信号と碑があるだけです。面白い地名だな~と思いつつ碑を見ると「元佐倉道」という道があったとのことです。千葉の佐倉に行く道なんだ、そうなのか、じゃ、なぜ佐倉に行く道があったのでしょう。

インターネットで「佐倉」と引くと堀田氏の名前が出てきました。江戸幕府末期の老中です。ハリスと交渉した人です。(2019年の今、加筆訂正させてください。堀田氏は幕末だけでなく、戦国時代以来の名門です)

というくらいで幕府の偉い人の家に行く道ですから、佐倉道は五街道に準じる重要さであったのでしょう。でも、ここ五分一の碑の佐倉道には「元」がついています。ということは、普通の「佐倉道」もあったということです。

さてそれはいずこに・・・。その疑問にトライする前に調べたい、興味がありました。五分一という地名の由来です。

なんでしょう、5分の1って。

閑話休題 「五分一」には3等三角点があります。地図を作るときに基準になる点です。お店屋さんの前の道路の、白線の上にありました。ご興味のある方は…. あんまりないですよね。

小岩歴史散歩 第3回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の一

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

私の勤務する○○は、この6月おかげさまで○○周年となりました。その記念行事で「50年前の写真展」を開催しました。お立ち寄りいただいた方も多いと思います。

そのなかに、何気ない、そんなに目を引くこともない小さな祠の写真がありました。それが昭和30年代の「一里塚」でした。ほんとに塚があったのです。

今は区役所通りの出口のあたりに信号の名前でしか残っていません。そこで私の悪い癖、いや好奇心がムラムラと頭をもたげてきました。

「一里塚」は日本橋を起点に一里ごとにある、くらいの知識はありました。ということは、そもそもこの辺に街道があったはずでして・・・ ここから私の小岩めぐりが始まりました。

まず地元の商店街の人に訊きました。「あのへんはね~、昔『渡し』があってさ、関所があったんだよ」

そうでしたが。街道と言えば「五街道」くらいしか頭に浮かばなかった私ですが、関所まであったという、このあたりは何街道だったんだろう?と、思っているうちに、翌日。

「高橋さん、聞いてみたらさ、五分一橋から一里じゃねぇかってさ」と早速情報が入りました。この親切! なんとも下町であります。それも「五分一(ごぶいち)」なんて、なんともチャーミングな付録付き! だって、5分の1ですよ。

疑問は膨らむばかりです。実は後から思えば、一里塚は千住宿から二里目であったと江戸川区史に載っているのですが、まずはゴブイチに行ってみました。

・・・続きは、次回をお楽しみに‼


小岩歴史散歩 第2回 「鹿骨」縁起 其の二

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

鹿島の神様、武甕槌命(たけのみやつちのみこと)を勧請したのは、768年に平城京鎮護のため創建された春日大社でした。

「春日大社って、あの、鹿がいっぱいいる奈良公園の?」 そうなんです!

言い伝えですが、鹿島大神は白い神鹿(しんろく)に乗って、大勢の鹿を引きつれ、1年がかりで奈良までお移りになったそうです。(一部には飛んで行った説もありますけれど)

・・・ということは、ご存知奈良公園のあの鹿は、鹿島神宮の鹿のお友達か兄弟の子孫だった‼ のです。

そして、我が小岩の「鹿骨」は、そのお移りになる途中、神様の杖の役割をしていた鹿が倒れたまさにその場所だったのです。

もちろん想像ですが、ツジツマはピタリです。これに気づいたとき、私は暫く声を失いました。

そしてさらに調べてみたくなったのは、・・・「ということは静岡あたりにも、鹿島の神様がお移りになった痕跡が残っているのでは?」ということでした。

これは、今度の異動で静岡か愛知になったら、その時、調べることにいたしましょう。

次回は、疑問は深まるばかりの「一里塚」についてです。

小岩歴史散歩 第1回 「鹿骨」縁起 其の一

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

「鹿骨(ししぼね)」という地名、これって昔ここに鹿がいたってことでしょうか。転勤してきてすぐ、そんな疑問を持ちました。海が近いこの辺に、鹿。どうもイメージできません。

鹿骨3丁目の鹿骨小学校となりの「鹿見塚(ししみづか)」の碑にその答えはありました。

鹿島大神(おおかみ)がその昔、奈良に向かう途中で、杖としていた神鹿(しんろく)がこの地に倒れ、ここに祀られたのだそうです。

そうだったのか!と納得した、のですが、さらに次の疑問が涌いてきました。神様はなぜ、奈良までいったのだろう、奈良のどこに行ったのだろう? という疑問です。

鹿島神宮って、とても古い社(やしろ)です。「神宮」とつくのは、その昔は伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮、だけだったそうです。香取、鹿島の神宮は大和朝廷の前線基地だったって話もありますが、その格式の高い鹿島神宮から天照大神の命により、分霊して奈良の春日大社に向かったのだそうです。

なぜ、奈良から勧請されたのか・・・

そして「大ビックリ」は・・・、また次回をお楽しみに!!

2018年西表島旅行(その4)

朝、ホテルの朝食も取らずに送迎バスでフェリー乗り場へ。すると驚きの知らせです。上原港発石垣行きフェリーはまた欠航とのこと。僕たちが来た昨日しか動かなかったのです。なんてラッキー。そういえば、昨日の夜は上空の風が強かったもの。おかげで綺麗な星空を眺められたわけです。

大原港からはフェリーが出るということで、迎えのバスにのって約1時間。そういえば、西表島は、道が島を一周していません。途中で行き止まりになります。昨日ドライブしてて分かったのですが、道の突き当りからは船が出ているのです。集落と集落は船で行き来する環境なのでした。

フェリーは順調に進み、石垣着。その後竹富島に渡ります。

これが竹富島です。

ん~、希望通りの竹富島です。

屋根にはチョコンとシーサーが乗り、外壁には水字貝。壁に2つ並んでいる、角のはえた貝のことです。これは沖縄では魔除けです。貝殻の穴から魔物を吸い取ってくれるのだそうです。

白い道に満足しました。

西桟橋に行きました。

竹富島の海です。
満喫しました。満足しました。

石垣島にもどり、飛行機までの時間、そばを食べて、箱亀というTシャツ屋さんに行きました。

そもそも、もう一人のとても仲のいい友人がこの店の「やーるー」柄(ヤモリ柄)のシャツがお気に入りなのです。

前回石垣に来た時には、お金を託され、ヤールーのTシャツを買ってきてくれと頼まれたのです。

その際私も「箱亀」柄のTシャツにハマってしまいました。

ハマったのは私だけではなく、今一緒にいる友人は後日ネットでお取り寄せしていたのでありました。

というくらいのオヤジキラーのTシャツ屋さんなのであります。店員のおねえさんが別嬪さんだから、という理由もないではありませんが、が、が・・・

以上で西表島旅行を終了し、石垣空港から羽田直行便で帰ったのでありました。たった2日のことです。なんて実の詰まった時間だったのでしょう。 友人は羽田で乗り換えて、岡山までまた飛んだのでありました。・・お疲れさました。

2018年11月西表島旅行(その3)

ネットで見ると、上原港便が今日は運航しています。台風で1週間以上欠航が続いていたのすが、今日は運航。素晴らしい。

実は私の相方、友人は岡山県民で「晴れの国」出身の晴れ男を自称しているのです。さすがは、というところです。

まずは石垣の海です。

石垣空港からダッシュでフェリー乗り場へ。フェリー乗り場の海の色がすでに違います。

そういえばフェリー乗り場のお弁当の値段に感激。

ご覧のとおりの青空の西表島に到着です。

西表の海の色です。宮古や石垣と、やっぱちょっと違う、どっちが良いじゃなくて、色味が違う気がします。

お昼は八重山そばに野菜を載せたものです。沖縄のそばらしくコシのあまりない麺でした。

さていよいよケービングのスタートです。

「濡れてもいい服ですね」と聞かれ、普通に「いいですよ」と答えました。

私も友人も岡山育ちで、鍾乳洞は珍しいものではありません。岡山には井倉洞、満奇洞があり、何度か行ったことがありました。

しかし頭にランプをつけて行くなんてことはなく、せいぜい頭をかがめるくらいのことでした。

さて西表では・・・

滑ってころんで、ジーンズには泥がベッタリ、肘まで泥が・・・

最後は水の流れる中、四つん這いで進まないと抜けられない穴をくぐりぬけました。友人はパンツまで水につかりました。

この年になって、こんな態勢で水に浸かりながら苦しい思いをするなんて・・

濡れてもいい恰好ですね、という確認ではなく、「濡れますから着替えを持ってきてください、持ってますか?」と訊くべきだと思いました。

まあしかし、面白かったです。何より、今までやったこともなければ、今後やることもないだろう体験をさせてもらいました。ありがとう、です。

星砂の浜に行きました。星砂を自分で見つけることは何年来の私の夢でもありました。何度か本島や離島で探しましたが見つかりませんでした。今回、西表の星砂の浜ということで、きっと見つかる、と思っていました。

ありました。だけどとても小さく、最初の感想は「残念」でした。

星砂の浜で星砂を売る!?というお土産屋台が一店だけありました。そこで売っている星砂は本島のお土産屋さんのものと同じ、茶色くて立派な大きさでした。

「こんなのなかったよ。もっとすごくちっちゃいのしかなかった」と言うと、おじさん、「これは輸入だから」とのことでした。

これが西表の星砂です。チョーちっちゃい。1mmちょっとしかありません。でもだから愛らしく思います。ひょっとしたら今までも、見ていたのかもしれません。お土産屋さんで売ってる星砂が見つからなかっただけで。

さて、ホテルの部屋です。気持ちの良い部屋です。

部屋のベランダで酒など飲みつつ休憩しました。(私は喘息持ちで禁酒してます) 11月という沖縄にはベストシーズンらしく(あと3月もいいです)気持ちの良い空気と温度と夕焼けでした。ただちょっと星空ツアーにはご覧の通り、雲、多いんじゃね?と気にしてました。

さて、夜も更け、いよいよ星空ツアーです。これがまた晴れ男の本領発揮、たまげるほどの、ものすごい威力で満天の星空となりました。台風の影響で昨日までフェリーが欠航する天気だったのですが・・・

ツアーの車が目的地に着き、友人が先に降りたのです。降りる途中で彼は夜空を見上げ、「お、お~・・・」と言葉を失いました。天の川が普通に見えているのです。これは衝撃。

パイナップル畑の真ん中でクルマをとめ、シートを広げてゴロンして星空を見上げます。 残念ですが、カメラは携帯しかなく、星空は写せません。こちらのポスターでご勘弁。星空保護区なんだそうです。

端のほうには雲もあるのですが、上空には風が結構あって、眺めているうちに流れて行きます。流れ星がピュンピュン飛びます。狙ったわけではないのですが、新月で、まさに満天の星です。色んな星が見えすぎて、わかった星座はカシオペア座だけでした。

私の人生には過去2回、息をのむ経験があります。今日が3回目です。人生3大ビックリと呼びます。 ・・そのうちの2回は今日の友人と一緒でした。

後日談ですが、友人とのLINEで「人生3大ビックリだった」と書くと、彼から「人生10大ビックリを目指そう」と返事がきました。私はこのセリフにシビれています。彼はこんな、大きな優しさを持っているのです。

星空に後ろ髪を引かれながら、ホテルに戻る途中、ライトに照らされ道にボコボコ盛り上がりの影が・・  降りてみると

ヤシガニです。

星空ツアーが雨の時、夜のジャングルツアーに切り替えて、ヤシガニを探すのだそうですが、僕たち両方見れて、ラッキーでした。

コイツの甲羅はとても固く、ヘタするとタイヤがパンクするそうです。

茹でて食べたら美味しそう、なんて思ってはいけません。野生種には毒があるそうです。 下は資料映像です。

以前の那覇市内の居酒屋でのヤシガニです。正直あまり美味しくありません。

さて、今日のところはこの辺で。明日は竹富です。

2018年西表島旅行(その4)に続く  

2018年11月西表島旅行(その2)

金曜日、会社には休暇をいただき、ゆっくり午後から那覇へ向かいました。着時間は16:05です。

西表島には、翌日1便で石垣空港に飛んで、そこからフェリーです。実は今朝も上原港便は欠航でした。明日は運航するよう祈っています。

まず小禄(沖縄風にはウルク)のホテルにチェックインしました。そこで友人と待ち合わせです。ホテルは空港から2番目に近いところです。1番近いのには団体さんが入ってて満室でした。

ソッコーでお土産を買いに国際通りと公設市場周辺に向かいました。私が自宅を買った不動産屋さん、ハウスメーカーさん、母がお世話になっている施設とNPOの皆さん、いきつけのチャンコ屋、勤務先、家族と娘の生徒さんたちに、大量に買い付け発送しました。6年も住んでたもので、どことどこで何を買うのかわかっているので手早いものです。

今回、友人に「橘餅」(きっぱん)を紹介しました。今は謝花きっぱん店(じゃばな)でしか作っていません。九年母という柑橘を炊いて練って作ります。

写真の右側の、中が緑色のほうが橘餅です。「もう今日の分は売り切れです」と言われたのですが、東京から来たので、ぜひ味見で1個だけ、とお願いして明日の販売分から分けていただきました。

左側の茶色は冬瓜漬けです。砂糖漬けなのでとても甘いのですが、冬瓜の風味を感じます。

那覇の夕食は、沖縄勤務時代に一緒に仕事をした2人と一緒に「琉音」(りゅうね)を予約しました。琉音は琉球料理研究家の山本彩香さんを受け継ぐお店です。今のマスターは千葉の市川出身だそうですけど。

とにかく落ち着いた店で、高級すぎず、沖縄時代の家から近く、私にはとても居心地の良い店なのです。ただし、コース料理のみの完全予約制です。ご注意ください。

琉球料理は居酒屋の沖縄料理とは相当違います。例えば、ご存知「ゴーヤーチャンプルー」は「ゴーヤと豆腐の油炒め」と思っている人は多いと思ます。

でも伝統的なお店のものは、ゴーヤーが出汁に浸っていたりします。とてもやさしい味なのです。沖縄は暑いところなのに、琉球料理にはコーレーグース以外に基本、辛い物がありません。油ギトギトのものもありません。

琉音のお料理の一端です。


お通しにあたります。豆腐餻 (とうふよう)です。3時間前からアルコールを飛ばしたそうです。右下の耳かきみたいなもので、少しずつ削って食します。

                  

上の容器はカラカラと云って、泡盛の入れ物です。生(き)でいただくのが本来です。

お皿の半円形のものは田芋(たーんむ)を煮たものです。左の黒いのは「みぬだる」と言います。豚肉を出汁で煮て、胡麻を乗せたものです。てぃんぷらはゴーヤー(綿ははずしてない)と島らっきょうです。

ゆし豆腐です。本土でいうおぼろ豆腐です。出汁に泳がせています。やさしい味です。

ジーマーミー豆腐です。落花生を絞って、イムクジ(芋のくず:でんぷん)を加えます。胡麻豆腐の場合だと葛を加えるわけです。

スーチキーです。豚肉の塩漬けを戻したものです。

葉裏が紫の野菜はハンダマです。少しヌルっとします。これは加賀の金時草が伝わったものと思っています。申し訳ないですけど、私が食したなかでは、金時草の方が肉厚で柔らかいと思っています。

加賀と沖縄って意外とつながっていて、昔は北前船が沖縄まで来ていたそうなんです。北海道の昆布を積んで、琉球経由で中国に輸出していたんです。建前からすると密輸です。

中国からの帰り船は漢方薬を加賀に運んだわけです。ナルホド、ですね。

加賀の漆器は有名ですが、沖縄の琉球漆器もたいしたものです。沖縄の湿気が漆にはいいんだそうです。堆錦(ついきん:漆をもり上げる技法)といった独自技術もあります。 ・・琉球漆器はまた別の機会に取り上げます。

「ソーミンタシヤー」です。ソーメンの炒め物です。味付けは塩のみ、青ネギを散らし、島らっきょうを加えています。茹で加減と塩の量がすべてです。

このほかにも、どぅるわかしー(田芋、出汁、豚肉、椎茸を練り合わせたもの)、ラフテー(いわば角煮)、豚飯(とぅんはん:出汁をかけてお茶漬け式豚肉入りご飯)、デザートは西国米(しーくーびー:タピオカ)など色々いただき、お腹いっぱいになりました。

ところで、こうしてみると、お魚料理がありません。やっぱ舌の肥えた人たち(昔の支配者層)は暖かい海の魚は美味しくないことを知っていたのかもしれません。

食後、4人でジャズクラブの「パーカーズムード」に行きました。ここも私のお気に入りです。たまたま今日はゲストに中村真(まこと)さんが来ていて、楽しいライブでした。

左の写真は以前の資料映像です。ギターの人がオーナーです。悪魔的な上手さです。この日はドラムスがオランダ人、クラリネットは米軍楽隊から飛び入り参加です。

沖縄入り初日でした。明日からいよいよ西表です。

2018年西表島旅行(その3)につづく 

2018年11月西表島旅行(その1)

高校時代の友人が、この夏仕事で大変な苦労をしました。その彼から「沖縄、一緒に行かない?」と誘われました。

この夏、禁煙を果たした私に「沖縄、行こう」という誘いでした。私は15の夏から(高校からですけど)45年に及ぶ喫煙習慣から抜け出して3カ月というところでした。数時間の禁煙が嫌で、ずっと海外旅行は念頭にありませんでした、というほどのタバコ好きだったのです。

「お互い、ご褒美旅行」と云うことで、私が沖縄から帰って1年半の間で2度目の沖縄旅行が決まりました。

過去、彼とは多分5回、沖縄旅行をしています。というか、私の単身赴任先に毎年、他の友人たちと旅行に来ていたのです。

6回目ともなると、オタクと呼ばれることを誉め言葉と思っている私でも、訪れるところに迷い ①基本に戻って首里城あたり ②つい避けてきた戦跡巡り ③2度目の離島(離島の離島を含む) の選択肢を示しました。

すると返ってきた答えが、離島の離島の極み付け「波照間島」‼ でした。

今は飛行機はないと聞いていたので、土曜に行って、日曜に帰ってこれるのか、宿はあるのか、の調べから始まりました。

すると「フェリーの欠航率」が10月11月は、29%とか30%なことがわかりました。

石垣島まで行って「欠航」となった時に泊まるところはあるのかとか、欠航率が30%ということは行きと帰りで、「3割バッターが2打席のどっちかでヒット打つのと同じ確率だよね」と気づきました。日程に余裕がないと、決行に踏み切ることはできません。

それで波照間島はボツとなりました。泡波(波照間の貴重な泡盛)は断念してもらいました。

初めて訪れる土地の観光で、コンパクトに漏れなく楽しむには「観光バス利用」「ガイドさん利用」がとても有効なことを経験で知っています。ふんだんに時間があれば、右往左往も楽しみの一つなのですけれど。

私はとにかく、竹富島に半日はいたい、あの白い道をもう一度、ウロウロしたい、星砂を自分で探したい、という希望がありました。

あとはネットでツアーを探しました。

西表の「ケービング」と「星空」に目を留めました。ダイビングという選択もありましたが、ダイビングは前年の慶良間がすごく良くて、慶良間ブルーでトドメを刺した、という気がしていました。

結論を先に言うと、上記ケービングと星空のツアーはとても良くて、(幸運にも恵まれて)ここに紹介します。

https://iriomote-tour.com/plan/trekking044

https://iriomote-tour.com/plan/nighttour081

スタートがいずれも上原港です。なので上原港近くのホテルを予約したのですが、旅行前日まで欠航が続いていました。クルマで1時間の大原港には通常運行していました。

という波乱の幕開けとなった旅行でした。

2018年11月西表島旅行(その2)に続く