日産ヘリテージコレクション 見学

日産にとっての「記念車」を一堂に集めたものです。
ヘンデルの新しい勤務先で、ご夫婦で二輪を駆るご家族の奥様の紹介で、このコレクションを知りました。ところが見学の予約が何か月もなかなか取れません。幸いキャンセルがあって(それも紹介者の女性が見つけてくれて)本日行ってきました。

ヘンデルは日産車は1台だけ、ブルーバードNISMOに乗っていました。
ニスモって今ではすっごいワークスですけど、スタートは中古車をベースにした専用チューニングだったんです。

当時のブルーバードNISMOについて、ネットで拾った特徴を紹介します。
減衰力を9段階に調整できるショックアブソーバー、スポーツステアリング、ストラットタワーバー、高性能ブレーキパッド、専用リヤウイング、NISMOオリジナルシート、ボディモール、専用のエンブレム・・だそうです。

中古を買っては、いじって乗っていました。今となって最大に笑えるのは、40年前の値段で、個人売買で20万で買ったクルマに25万円のタイヤ+ホイールを履かせたりしてました。当時はそれで良かったんです。(www)ニョーボには絶対、内緒です。

 

元座間工場の再利用です。とても広く、正門からシャトルバスが往復しています。

展示は古い順に並んでいます。

このグラマラスなフォルム! 思わず撫でさすりたくなるほど美しい!

元祖・電気自動車の「たま」です。知ってはいましたが、実車を見るのは初めてです。
たまのホイールキャップです。「たま」ってデザインされてるの、わかります?
フィギュアヘッドはウサギちゃんです。

https://youtube.com/shorts/T5zmwmnTGoc

つり目のプリンス たしかミケロッティのデザイン
三角窓がなくなった510ブルーバードSSS(スーパースポーツセダン)のエンブレム
初代シルビア
スカイライン Rのバッジはあこがれでした(今でも)
ケンメリGTRのバッジでした。
当時最速のパトカーと呼ばれました。
46連勝とも49連勝ともいわれるトンデモ連勝をしたスカイラインGTR
パリダカ、サファリなどを制した実車
横浜球場のリリーフカーに乗った投手の視界(w)

あっという間の見学時間でした。1時間半です。まる1日、いられたな~。

21年ぶりの倉敷 大原美術館と初めての同窓会出席

ヘンデルは転勤族でしたし、父も転勤がありました。
子どものころの引っ越しですから、どうしても連絡は切れてしまって、一番古い友達は高校時代の友達です。

高校の同窓会が、9月に倉敷で開催されるという通知が来ました。
筆者が転勤族だったこともあり、過去、同窓会には1度も出席したことがありません。
筆者が大学に入ると、父母も倉敷から異動し、倉敷とは縁が切れたはずでした。

ところがヘンデルが自身の転勤によりまして、2000年前後の6年間、倉敷支店勤務になったのです。中高の6年間と合わせ12年間、倉敷に住んだことになります。
倉敷は第2の故郷です。(第1の故郷は実家がある前橋市なのですが、私は住んだことがないのです) ちなみに第3の故郷はなんたって、沖縄、です。

48年ぶりとなる友人がほとんどです。記憶はほぼなく、かなり心配、緊張しました。
ところがなんてこともなく、同テーブル(同じクラス)なのに記憶にない人には思い切って「初めまして!」から始めてしまいました。

同窓会の模様です。

同窓会には前乗りしました。岡山まで新幹線に乗りました。現役のときには絶対飛行機だったのですが、料金が倍違うことと、グリーン車を奢らせてもらいました。ヘンデルは自家用車を保有していないんです。おデブだから少しでも歩くという目的もあり、東京だからクルマはいらないよね、という思いもあります。なので、タクシーを使ったり、グリーン車に乗ろうよ、と思っているのです。

ホテルは同窓会会場でもあるアイビースクエアにしました。なにせ倉敷に住んでいましたので、名所・アイビースクエアや名門・国際ホテルに泊まる機会はなかったのです。

新幹線やホテルは日本旅行のサイトでお願いしました。旅行社を使うのは初めてです。これは快適で、沖縄に行くときには飛行機の手配が先か、ホテルの手配が先か、なんて悩んだりしていましたが、旅行社まかせで良いのは「チョー楽」でした。

アイビースクエアは明治時代の倉敷紡績(現クラボウ)の工場をリニューアルしたホテルです。とても綺麗でオサレ。

一番小さくて安い部屋ですけれど、この可愛さ。
翌朝の外観です。IVY SQUAREというくらいで赤レンガが蔦に覆われています。

朝食前、フロントの「いってらっしゃいませ」の声に送られて、すぐ裏の倉敷川、美観地区に散策に出ました。
20年ぶりです。

倉敷川、中橋と旧倉敷町役場
路地の向こうまで白壁が続きます。高校時代、アビーロードのパロディをやった思い出が・・
大原美術館です。クラボウ、クラレ、中国電力などのオーナー、大原孫三郎氏が作りました。
エルグレコ 老舗喫茶店です。隣の大原美術館の、看板となる絵がエル・グレコの受胎告知です。
大原美術館を設立した大原孫三郎氏の息子、大原総一郎氏の命名だそうです。
大原美術館の入口、右側に立つロダンの「カレーの市民」です

国立西洋美術館にも「カレーの市民」があります。大学に入って知りました。
でもこれは6人の群像です。それ以来、大原美術館にあるのは群像を叩き切った一部、だとずーっと思っていたのですが、今回初めてわかったことがあります。

国立西洋美術館の前庭の群像です。右端の像が大原美術館にあります。


大原美術館の市長さんの像の足元には切った跡はなくて、Rodinとロダンの署名が入っていました。
「大原美術館」と書かれた名札をぶらさげたオジサンがいたので、「お尋ねしてもよろしいですか?」と尋ねてみました。「カレーの市民って、群像だと思ってました。これは市長さんだけを切り取ったものだと思ってましたが、ここにロダンって署名が入ってるんです」
「いろんなのがあるんです。ひろしま美術館には、ひろしまってひらがなで書くんですけど、習作なんだと思いますけど、こんな、小さなものがあるんです」「12体とか作られました。スタンフォード大学とか(にもあります)」

ネットで探したスタンフォード大のカレーの市民です。勝手に引用しました。ご容赦ください。

後日「カレーの市民 スタンフォード」で検索してみますと、6人がバラバラに、円になって立っているのです。驚きました。並んでいるとばかり信じていました。

何十年にわたる疑問が解消したのでした。

 


大原美術館蔵 フォンタナ「空間概念 期待」

大原美術館にはトータル10回近く行ったと思うのですが、この作品は子ども心に鮮烈な記憶となっていまして、大人になってからも毎回強く記憶に、印象に残る作品でした。
何回目かの出会いで初めて赤いキャンバスをスパッと切り裂いているだけだと分かったときはチョー驚きでした。
ところが今回の訪問ではこの作品が見当たらず、でも出口のミュージアムショップには絵葉書があったので、ショップのお姉さんに訊いてみました。

すると「今は展示していません。収蔵しています」という返事でした。
ショップのお姉さんはバイトではありませんでした。
何故?とは訊かなかったのですが、それは展示環境や照明、虫などの影響から守り保存するためだと思います。で、今、値段を調べたら、45億円!だそうです。たまげました。
筆者は昔から、見る目が有ったのかしら、と思わなくもない、次第です。
20年ぶり以上に大原美術館を訪れて、疑問が溶けたり、驚いたり がありました。

もう一つ、20年ぶりの大原美術館訪問で発見がありました。
10回くらい行ったことのある大原だからなんですけど。(行ったことのある第2位は東京国立博物館です。数年に1度のペース)

自分のお気に入り、または気になった絵に出会うと、すっごく嬉しいし、ほっとするんです。
「やあ、また会ったね。ここにまだあったか」みたいな。
美術の教科書に載っている絵が大原美術館には普通にあるんです。

受胎告知みたいなチョー有名な絵でもなく、上のフォンタナもそうですけれど、たとえばセガンティーニ「アルプスの真昼」だとかホドラーの「樵」だとか、ルノアールの「泉による女」(これは有名か)、岸田劉生なんかも印象に強いです。

何度も通った美術館の絵、それを20年ぶりに見たのですから、筆者だけの特殊な感情かもしれません。
なんかほっとした、またはほっこりした、感じがしたのでした。