ヘンデルは転勤族でしたし、父も転勤がありました。
子どものころの引っ越しですから、どうしても連絡は切れてしまって、一番古い友達は高校時代の友達です。
高校の同窓会が、9月に倉敷で開催されるという通知が来ました。
筆者が転勤族だったこともあり、過去、同窓会には1度も出席したことがありません。
筆者が大学に入ると、父母も倉敷から異動し、倉敷とは縁が切れたはずでした。
ところがヘンデルが自身の転勤によりまして、2000年前後の6年間、倉敷支店勤務になったのです。中高の6年間と合わせ12年間、倉敷に住んだことになります。
倉敷は第2の故郷です。(第1の故郷は実家がある前橋市なのですが、私は住んだことがないのです) ちなみに第3の故郷はなんたって、沖縄、です。
48年ぶりとなる友人がほとんどです。記憶はほぼなく、かなり心配、緊張しました。
ところがなんてこともなく、同テーブル(同じクラス)なのに記憶にない人には思い切って「初めまして!」から始めてしまいました。
同窓会の模様です。
同窓会には前乗りしました。岡山まで新幹線に乗りました。現役のときには絶対飛行機だったのですが、料金が倍違うことと、グリーン車を奢らせてもらいました。ヘンデルは自家用車を保有していないんです。おデブだから少しでも歩くという目的もあり、東京だからクルマはいらないよね、という思いもあります。なので、タクシーを使ったり、グリーン車に乗ろうよ、と思っているのです。
ホテルは同窓会会場でもあるアイビースクエアにしました。なにせ倉敷に住んでいましたので、名所・アイビースクエアや名門・国際ホテルに泊まる機会はなかったのです。
新幹線やホテルは日本旅行のサイトでお願いしました。旅行社を使うのは初めてです。これは快適で、沖縄に行くときには飛行機の手配が先か、ホテルの手配が先か、なんて悩んだりしていましたが、旅行社まかせで良いのは「チョー楽」でした。
アイビースクエアは明治時代の倉敷紡績(現クラボウ)の工場をリニューアルしたホテルです。とても綺麗でオサレ。
朝食前、フロントの「いってらっしゃいませ」の声に送られて、すぐ裏の倉敷川、美観地区に散策に出ました。
20年ぶりです。
国立西洋美術館にも「カレーの市民」があります。大学に入って知りました。
でもこれは6人の群像です。それ以来、大原美術館にあるのは群像を叩き切った一部、だとずーっと思っていたのですが、今回初めてわかったことがあります。
大原美術館の市長さんの像の足元には切った跡はなくて、Rodinとロダンの署名が入っていました。
「大原美術館」と書かれた名札をぶらさげたオジサンがいたので、「お尋ねしてもよろしいですか?」と尋ねてみました。「カレーの市民って、群像だと思ってました。これは市長さんだけを切り取ったものだと思ってましたが、ここにロダンって署名が入ってるんです」
「いろんなのがあるんです。ひろしま美術館には、ひろしまってひらがなで書くんですけど、習作なんだと思いますけど、こんな、小さなものがあるんです」「12体とか作られました。スタンフォード大学とか(にもあります)」
後日「カレーの市民 スタンフォード」で検索してみますと、6人がバラバラに、円になって立っているのです。驚きました。並んでいるとばかり信じていました。
何十年にわたる疑問が解消したのでした。
大原美術館にはトータル10回近く行ったと思うのですが、この作品は子ども心に鮮烈な記憶となっていまして、大人になってからも毎回強く記憶に、印象に残る作品でした。
何回目かの出会いで初めて赤いキャンバスをスパッと切り裂いているだけだと分かったときはチョー驚きでした。
ところが今回の訪問ではこの作品が見当たらず、でも出口のミュージアムショップには絵葉書があったので、ショップのお姉さんに訊いてみました。
すると「今は展示していません。収蔵しています」という返事でした。
ショップのお姉さんはバイトではありませんでした。
何故?とは訊かなかったのですが、それは展示環境や照明、虫などの影響から守り保存するためだと思います。で、今、値段を調べたら、45億円!だそうです。たまげました。
筆者は昔から、見る目が有ったのかしら、と思わなくもない、次第です。
20年ぶり以上に大原美術館を訪れて、疑問が溶けたり、驚いたり がありました。
もう一つ、20年ぶりの大原美術館訪問で発見がありました。
10回くらい行ったことのある大原だからなんですけど。(行ったことのある第2位は東京国立博物館です。数年に1度のペース)
自分のお気に入り、または気になった絵に出会うと、すっごく嬉しいし、ほっとするんです。
「やあ、また会ったね。ここにまだあったか」みたいな。
美術の教科書に載っている絵が大原美術館には普通にあるんです。
受胎告知みたいなチョー有名な絵でもなく、上のフォンタナもそうですけれど、たとえばセガンティーニ「アルプスの真昼」だとかホドラーの「樵」だとか、ルノアールの「泉による女」(これは有名か)、岸田劉生なんかも印象に強いです。
何度も通った美術館の絵、それを20年ぶりに見たのですから、筆者だけの特殊な感情かもしれません。
なんかほっとした、またはほっこりした、感じがしたのでした。