北海道には行ったことがありません。行くなら冬だろう、と思っていました。とは言え、最高気温がマイナス、とか想像がつきません。会社の北海道出身者に訊きました。首回りの保温と雪靴が必須とのことでした。
ネットで見ると、アイスバーンではスパイクというか滑り止めがないとダメみたいなことが書いてありました。一方で、道民であんなの付けるのは小学生だけだという文章もありました。そんなこと言っても滑って転ぶのは痛いし濡れるので、雪靴と合わせアマゾンで購入しました。
羽田から函館に入りました。まず向かうは五稜郭です。
この美しい形を見ることが今回の旅行の目的の1つでした。土方歳三が、榎本武揚がここで戦ったのかと思いを馳せました。。
箱館奉行所です。
私には珍しく、美しい雪景色です。
ラッキーピエロがありました。
ハンバーガーショップです。道南にしか出店せず、顧客志向で、地元ではトップシェアをとる戦略です。娘が自営業を始めるとき、ラッキーピエロの社長さんの本を買って、読ませました。
看板メニューのチャイニーズチキンバーガーです。
店の雰囲気はこんな感じ。
窓の向こうはフェリーです。
石畳の八幡坂です。
ナナカマドです。
函館は大火が何度かあり、街路樹に防火林として植えられたと聞きました。
高田屋嘉兵衛資料館に寄りました。北前船の高田屋です。私の貸し切り(他に誰もいない)でした。沖縄生活が長い私には、北前船が琉球まで来ていたことを知っています。昆布を中国に密貿易する中継地でした。でも高田屋嘉兵衛は来てなかったようです。
函館市北方民族資料館です。
ここも私の貸し切りでした。展示物は興味深く、アイヌの切り紙紋様は期待通りでした。
ここで大きな疑問が生まれました。アイヌ民族とはよく聞きますが、琉球民族と言わないのは何故だろう、ということです。
アイヌの言葉の日本語との対照表をみると、一つ一つの単語は私にはまったくわからないのですが、文法が日本語と同じなのです。英語や中国語は「主語+述語+その他」の順序ですが、日本語とアイヌ言語は同じ「主語+その他+述語」という順序なのです。
ウチナー口(沖縄方言)も同じです。聞いただけではヤマトンチュ(本土人)の僕には理解不可能なのですが、文法は同じです。この点について、資料館で説明を求めましたが、「今日は学芸員がいない」とのことで話は聞けませんでした。
そもそも民族って何でしょうか。そっちの方はまったく知識がありません。思わずその場でWikiを引きました。
民族とは土地・血縁・言語・宗教・伝承・社会組織などの文化的特徴で区別される共同体だそうです。でも一致しない場合が多く、民族概念への帰属意識なんだそうです。
6年間のオタク沖縄生活のなかで知っています。上記の文化的特徴という点では琉球は十分だと思います。でも、立場によって感じ方は違うと思いますが、20歳前後から50歳前後のウチナンチュ(沖縄生まれの沖縄育ち)から民族という言葉を聞いたことがありません。
素人の私の意見としては、沖縄の混血度合いの高さと開放性のような気がしています。琉球は北海道の昆布からマレーシアの胡椒、紫檀まで海洋交易が盛んでしたし、中国や朝鮮半島から多くの人が渡来し、定住しています。約600年前の三山抗争のころ、鎧は日本風でした。チャンプルー文化とは言いえて妙です。沖縄なのに真っ白い肌の人、毛むくじゃらの男性(これは多い)、南方体型の人、内地よりは多様な人たちで沖縄は構成されています。(と思っています)
これが「琉球民族」という言葉が一般に使われない理由だと思います。この件については今後も調べていきたいと思います。
いったん宿に戻って、ホテル敷地の高級回転ずしで腹ごしらえしました。
ショウガの乗った赤い肉はクジラです。
その後、函館のもう一つのメインイベント、函館山の夜景見物に向かいました。観光バスです。夕方から雪が結構な吹雪になり、キャンセル続出らしく、参加したのは4名でした。ロープウェイを降りると雪がやんでいました。
見事な夜景です。手前と奥がガスっているのは雪です。今日の函館は最高気温マイナス4度だったそうで、函館山が何度なんだかわかりませんが、相当な寒さと思われます。でも15分か20分の滞在時間では冷え切るまではありませんでした。
ホテルのすぐ前です。
Windows10のロック画面でみたツリーがありました。
ホテルの窓からです。時間によって色が変わります。 
ホテルの屋上には温泉があり、生まれて初めて、氷点下での露天風呂を味わいました。
北海道旅行1日目はここまでです。宿のラビスタ函館ベイは「朝食の美味しいホテル」でなんかのサイトで7年連続第1位だそうで、楽しみです。
初めての北海道 3泊4日の旅 二日目 に続く
ご存知、四代泰衡の首を入れた首桶から出てきたハスの種が800年の年を超えて花を咲かせたものですね。

この画像は画像まとめサイトから拝借しました。
今、発掘の最中です。
てっきり蕎麦をよそってもらうものだと思っていたら、今は写真のように自分で移して食すのがスタンダードのようです。中尊寺駐車場周りの蕎麦屋のサンプル写真もこうなってました。


ご覧のとおり人影まばらで、伊達家が植えたという杉並木は立派なもので雰囲気があります。
背負っていた笈だの色々収蔵品があると書いてありましたが、シーズンでしょうか、扉が閉まっていて見ることができませんでした。






小ぶりなお堂ですが、入っている仏像はたいしたものです。中央に金剛界大日如来、左手には千手観音と脇侍、不動明王と童子、右手には胎蔵界大日如来と不動三尊が置かれています。しばらく動けませんでした。


雰囲気バリバリです。



「がんづき」と「じゅうね餅」です。見たことも聞いたこともないシロモノです。
デコボコ岩に氷が張っていて、危ないです。すぐそこで立入禁止になっています。冬以外の季節に来るところです。
毘沙門天を祀っているのに鳥居があります。神仏混淆ですね。毘沙門堂がこちら。
岩をえぐってお堂を建てています。結構な迫力です。立派なお寺です。奥には大きな摩崖仏もあります。大分県で見た摩崖仏以来の大きさでした。






常高堂まえのお地蔵様です。お地蔵様と気楽にお呼びしますが、地蔵菩薩というくらいですから、仏様のなかでは如来に次ぐランクです。菩薩でも装身具をあまり身に着けません。日本では道祖神とごっちゃになっていると思っていますが、子供の守り神(仏様ですけど)としての信仰もあることから、親しみやすい姿かたちがほとんどです。多くの仏様の前では背筋が伸びるのですが、お地蔵様の前ではホッと力が抜けることが多いです。なかでも、このお地蔵様は微笑みをうかべているようであり、こちらも笑顔になりそうです。
こんな写真を撮ってしまいました。撮影禁止の札が、探したけど無かったと思うのです。そんなはずはなかろ、とは思うのですが、とにかく貸し切り(入館者が僕一人)だったので、こっそり撮ってしまいました。



見るからに豪華です。
安くて旨い。お勧めです。

土留めの袋に数字が書いてあります。土留めは他県からの借り物で、返すにあたっての確認用なのだそうです。
民間の船は「〇〇丸」ですが、官庁の船には「丸」はつかないんだそうです。そういえば自衛艦には「〇〇丸」はないですね。これは水産庁の船です。
あとから来た船のロープは、すでに架かっているロープの下からくぐらせて舫うそうです。そういわれてみれば、そうじゃないとね。
補助の申請が遅れた家は、まだ被害の痕がそのままです。
陸まで持ち上げられた船だそうです。英2文字は都道府県名で「MG」は宮城の船の印です。
タンと冷麺もいただきました。
観光マップは表には出ていないのですが、係のアンマーに言うと、出してもらえました。
こんな妙に新しい石標があり、行って見ると、こんな拝所がありました。離れて写真を撮りたいのですが、後ろが急坂で、濡れた落ち葉でフカフカで下がるのは困難でした。ハブも怖かったし。

確かな歴史を感じさせます。
伊良皆集落の皆さんの管理なのでしょうか、意外なほど綺麗で、水量も豊富です。大きな亀がいましたが、カメラを用意している間に潜ってしまいました。



濡れたジャングルは雰囲気があります。いい感じです。でも土がむき出しのところは滑りますし、枯葉の積もったところはハブが怖いですし、なんか神経を使いました。




墓所の知名度は低いとはいえ、日常で拝む(うがむ)人がいるのです。
信号を拡大すると・・
なんて目出たい・・・
赤犬子宮です。琉球古典音楽の始祖です。詳しい物語は沖縄にありがちな、おゲレツ伝説を含みますので、ご自身でお調べください。




グスクの本丸門です。この門はニライカナイに通じるとされていて、夏至と冬至には太陽の光がまっすぐに差し込むのだそうです。
門から見える海です。今日一番ってほど美しい光景でした。
沖縄で最古のシーサーと言われます。横から見ると凛々しいのですが・・・ 正面から見ると、どうにもマヌケです。
ミニラ? でもこのシーサー、WWⅡを今に伝えています。このシーサーを盾に身を隠しつつ銃を撃つ写真が旧海軍司令部壕に残っています。その証拠にシーサーの身体には弾痕がいっぱいあります。写真にも丸い穴があいています。
グスクというくらいで、小高い丘の上です。戦争って、丘の取りっこなんですね。(おもろまちの、1日に4回もてっぺんの旗が変わったというシュガーローフが有名です)
村を火から守って、凛々しくマヌケで、悲しい歴史を知るシーサーを慰めるかのように、ユリが美しく咲いていました。
きれいな水が湧いていて、この日も子供たちは大喜びで遊んでます。その昔、南山王の他魯海(たるみー)が中山王の尚巴志所有の金屏風とこのガーを取り換えっこしてしまい、それがもとで南山の衰退が始まった、と言われるガーです。タルミー、なんてお人よしなんでしょ。それに引き換え・・・ モゴモゴモゴ。。
製糖用水車だそうです。なかなかの規模です。なによりガーとして現役で、農家の人が野菜を洗っているほどの綺麗さと水量です。通りがかりでタマタマでしたが、いい物見ちゃった、って感じでした。
「クール」です。何か文字が消えているわけではなく、反対側も「クール」でした。
ここには何度来ても圧倒されます。なにせ一面の緑です。
甘熟トマト、すぬい(モズク)とモズクのたれ、パッションフルーツを購入しました。すぬいはすっごく美味しく、毎日食べています。本土で売ってるモズクとは太さ、歯ごたえ、長さが違います。
今日の目標の1つ、保栄茂(びん)です。だいぶ消えてますが、バス停です。交差点の信号の地名表示が見たかったのですが、交差点はありませんでした。



クンペン(コンペン)の名店です。クンペンは琉球王国時代から伝わる伝統琉球菓子の一つです。現物の写真はありません。ついあわてて食っちまいまして、また今度載せます。・・・スマソ //orz.
以前私が歩いて登ったときには、まだ修復中で、看板も足場(通路)もありませんでした。綺麗になってアーチ門もありましたが、まだ一部修復中です。
知念グスクの奥にある泉(かー)です。沖縄の稲作発祥の地は受水走水だと思っていましたが、こちらもアマミキヨが初めて植えたのだそうです。
自衛隊車両には必ずつく桜マークの航空自衛隊バージョンです。
佐敷ようどれの正面です。自衛官の方のお話だと、こちらに拝みに(うがみに)来る人も結構いるそうです。清明(しーみー)に来る、多分一族の人もいるそうです。
琉球政府の認めた文化財だそうです。(琉球政府は第二次大戦後、沖縄が日本に返還されるまで存在しました)
尚巴志の弟、手登根大比屋(てどぅくんうふひゃー、と読むと思う)が明から持ち帰って、アカバンタ(バンタ=崖)からブン投げて、ここに突き立ったと看板に書いてありました。フッチャー石のフッチ





なんとも趣のある樋川です。映ってませんが(スマソ)黒い四角の窓の右手には五右衛門風呂が付設されています。
左手には古い立派な石畳道がありました。大きなガジュマルが枝を広げ、木陰を作って、とてもイイカンジな場所でした。

拝所(うがんじゅ)とは、神様が存在または来訪する聖
聖泉です。霊力を授かるそうです。御新下り(うあらうり)のおりにはお水撫で(うびぃなびぃ)の儀式(再生)が行われたそうです。祠の真ん中に三つ巴の紋がありました。
親川の公園の敷地にこんなのがありました。与那原の大綱引きも有名で、盛んです。残念ながら開館は午後からで、入れませんでした。
琉球を統一した尚巴志の祖父、佐銘川大主(さめかわうふぬし)が祀られている御嶽(うたき)です。場天となっていますが、地名では馬天のようです。
急坂を自転車を押してきたオジーの話だと、山崩れで流されて場所が変わったそうで、周りにはイビ御嶽、上場天御嶽、下場天御嶽などが点在しています。




尚思招、尚巴志親子の居城あとです。写真は月代宮(つきしろのみや)です。8代の王様を合祀しています。とても神聖な感じで、気持ちの良いところです。ウグイスも鳴いていました。雰囲気だけ、22秒の動画です。
とても大きな相思樹がありました。大きいのですが、枝先には小さな黄色の花がしっかり咲いていました。ご存じの方も多いと思いますが、「相思樹の歌」はひめゆり部隊の生徒さんたちが唄っていた歌です。 ・・・切ないので、ここには詳しくは記しません。お調べください。
拝んで(うがんで)いる先客がいたので、遠景です。ティーダ(太陽)の神様が降り立ったところで霊泉があったそうです。国王や聞得大君が久高島参拝のときにはノロ(ヌルとも。祝女と書く。私の解釈では世襲の女性国家公務員)がオモロ(古歌謡)を謡って航海安全を祈念したのだそうです。
下を見ると
こちらのランチビュッフェを食しました。
あまり言うことをきかないペッパー君が出迎えてくれました。(僕が彼との付き合い方を知らないのでしょう)
と、これだけ一人で食べたわけではありませんよ。
黒人参茶です。
絵葉書でおなじみですね。 1月の沖縄としてはとても珍しいことに雲一つない青空で、最高のコンディションでした。
この船、宙に浮いているように見えませんか?透明度抜群です。
今どきの女性のセリフなのですが、いわゆるとても「かわいい」柄です。とぼけた味がとても好い。無地のTシャツしか着ない僕としては珍しく柄物を2枚買いました。娘のアクセサリーと。 このブログをご覧の方にもお薦めです。
