僕が東京でお世話になった人が沖縄出身で、この秋沖縄に戻ることになりました。「じゃ、ご縁があれば、沖縄で旨いものでも食べましょう」「はい」の言葉を真に受けて、今日、食事することになりました。
お昼過ぎの待ち合わせで、お昼は普天間のカレー屋さんを紹介してもらいました。これが典型的な隠れ家的お店で、看板が出ていません。店名は「月を詠ム」です。
「詠ム」という言葉は和歌とか俳句・俳諧を詠む、と使います。「ム」をカタカナにするあたり、オサレです。 昔の人にとっての月は、今の私には知る由もありませんが、明かりの乏しい当時、深い精神性を感じさせるところです。
カフェです。カレーにも凝ってる、カフェです。店の雰囲気がこちら。
その、カレーがこちら。
「三種を混ぜるとまた美味しい、そこまで計算してます」 ここまでくると、ケレン味も突き通して、お店の意図に乗っていく(食しちゃう)ことができます。 とても美味しく、いい感じです。パクチーがダメな人はいますが、このエスニック色の強い確りしたカレーには、パクチーがあった方がいいと思います。 気持ちの良い味と、空間でした。
「燃えちゃった首里城」へ向かいました。円覚寺から歓会門、瑞泉門、広福門は無事でしたが、復元工事の建物外観が見えています。万国津梁の鐘は見当たりませんでした。
ご存じの通り、首里城はWWⅡの際に艦砲射撃によって真っ平になりました。地下に司令部があったから当然です。 その後再建されたのですが、当時のことですからシロクロ写真しか残っていません。瓦の色が赤なのか、黒だったのかさえわからなかったそうです。壁の色も白、黒の記録(絵画)は多いのですが、外壁まで弁柄(赤色)になったのは、私はちょっと恣意的にすぎるんじゃないの、という気がしています。昭和の大修理の時には色は剝げ落ちていたと聞いています。戦前、琉球処分以来、手が入れられなかった正殿は荒廃し、取り壊しも検討されたそうです。鎌倉芳太郎さん(琉球研究の功績は大きい)らの尽力で史跡指定になったそうです。
※後日BS1スペシャル「祈りの首里城 デジタルでよみがえる姿」を拝見しました。その中では、外壁が黒いのは民間の絵師によるものが多く、王府の絵師のものは赤だったとのことでした。民間の絵師はそもそも首里城を見ていないのではないか、という解説でした。昭和の大修理のときに赤に決まったのは、「赤であってほしい」という民意が優ったのではないかと思います。今回の再建にあたって、今また赤か黒か、なんて議論しているくらいですから。 また、赤漆なら蘇芳、弁柄による色だと思うのですが、どちらかはわからないでしょう。
というくらいで、首里城は忠実な復元の求められる世界遺産ではありません。玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)といった、石造りのものは世界遺産に登録されています。
友人を指司笠樋川(さしがさふぃーじゃー)にも案内しました。拝所(うがんじゅ)です。琉球国王だった尚家の家の一角にあります。(現在は木の仕切りができていました)
金城町の石畳道にも足を運びました。
これが私としては大失敗だったのでありまして、石畳道まで遠かったうえに急坂なんです。友人は体力が無いはずなのに。ダイジョブだ、なんてLINEが来ましたが、そんなはずはなく、ホントに申し訳ありませんでした。
晩ご飯です。沖縄第一ホテルとなりの「神戸バー仲々」です。長いカウンターがあってBarなのですが、ステーキが売り物で、神戸牛と石垣牛の食べ比べができるんです。そのほか出てくるものがなんでも旨いんです。(ピザでもカレーでも!)
そのほか、やんばる鶏、だし巻玉子なんてものもいただきました。
もう1件、行きつけだったジャズクラブ(Live)に案内したかったのですが、私が明日、早朝から石垣、波照間に向かうもので、二次会は無しで、解散になりました。
11月15日 9日目 いよいよメインディッシュ、波照間島行(16日)に続く