沖縄滞在記 (11/7~11/27) 8日目 11月14日 月を詠ム 首里城 指司笠樋川 石畳道 神戸Bar仲々

僕が東京でお世話になった人が沖縄出身で、この秋沖縄に戻ることになりました。「じゃ、ご縁があれば、沖縄で旨いものでも食べましょう」「はい」の言葉を真に受けて、今日、食事することになりました。

お昼過ぎの待ち合わせで、お昼は普天間のカレー屋さんを紹介してもらいました。これが典型的な隠れ家的お店で、看板が出ていません。店名は「月を詠ム」です。

「詠ム」という言葉は和歌とか俳句・俳諧を詠む、と使います。「ム」をカタカナにするあたり、オサレです。 昔の人にとっての月は、今の私には知る由もありませんが、明かりの乏しい当時、深い精神性を感じさせるところです。

カフェです。カレーにも凝ってる、カフェです。店の雰囲気がこちら。

コンクリートの打ちっ放しで、思い切りスタイリッシュです。

その、カレーがこちら。

ポークキーマビンダルー、エビとココナッツミルク、白無花果と茄子の合いがけ です。

「三種を混ぜるとまた美味しい、そこまで計算してます」 ここまでくると、ケレン味も突き通して、お店の意図に乗っていく(食しちゃう)ことができます。 とても美味しく、いい感じです。パクチーがダメな人はいますが、このエスニック色の強い確りしたカレーには、パクチーがあった方がいいと思います。 気持ちの良い味と、空間でした。

「燃えちゃった首里城」へ向かいました。円覚寺から歓会門、瑞泉門、広福門は無事でしたが、復元工事の建物外観が見えています。万国津梁の鐘は見当たりませんでした。

屋根にあった龍の口髭です。炎の強さがわかります。

ご存じの通り、首里城はWWⅡの際に艦砲射撃によって真っ平になりました。地下に司令部があったから当然です。 その後再建されたのですが、当時のことですからシロクロ写真しか残っていません。瓦の色が赤なのか、黒だったのかさえわからなかったそうです。壁の色も白、黒の記録(絵画)は多いのですが、外壁まで弁柄(赤色)になったのは、私はちょっと恣意的にすぎるんじゃないの、という気がしています。昭和の大修理の時には色は剝げ落ちていたと聞いています。戦前、琉球処分以来、手が入れられなかった正殿は荒廃し、取り壊しも検討されたそうです。鎌倉芳太郎さん(琉球研究の功績は大きい)らの尽力で史跡指定になったそうです。

※後日BS1スペシャル「祈りの首里城 デジタルでよみがえる姿」を拝見しました。その中では、外壁が黒いのは民間の絵師によるものが多く、王府の絵師のものは赤だったとのことでした。民間の絵師はそもそも首里城を見ていないのではないか、という解説でした。昭和の大修理のときに赤に決まったのは、「赤であってほしい」という民意が優ったのではないかと思います。今回の再建にあたって、今また赤か黒か、なんて議論しているくらいですから。 また、赤漆なら蘇芳、弁柄による色だと思うのですが、どちらかはわからないでしょう。

鎌倉芳太郎氏が撮影した御後絵(うぐい)です。現物は燃えてしまい、色は不明です。
写真はWikiから借りました。

というくらいで、首里城は忠実な復元の求められる世界遺産ではありません。玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)といった、石造りのものは世界遺産に登録されています。

友人を指司笠樋川(さしがさふぃーじゃー)にも案内しました。拝所(うがんじゅ)です。琉球国王だった尚家の家の一角にあります。(現在は木の仕切りができていました)

私のチョーお気に入りスポットです。本ブログのTOPページのメニューからもご覧いただけます。実はこの写真は後日の撮影でして、当日は近くに駐車場がなくて、友人一人で行ってもらったのでした。

金城町の石畳道にも足を運びました。

ちょっと下った左側に大アカギがあります。ここも拝所です。その近くに鬼餅の由来の物語の舞台になった崖があります。詳しくはご自身でお調べください。(オゲレツです)

これが私としては大失敗だったのでありまして、石畳道まで遠かったうえに急坂なんです。友人は体力が無いはずなのに。ダイジョブだ、なんてLINEが来ましたが、そんなはずはなく、ホントに申し訳ありませんでした。

晩ご飯です。沖縄第一ホテルとなりの「神戸バー仲々」です。長いカウンターがあってBarなのですが、ステーキが売り物で、神戸牛と石垣牛の食べ比べができるんです。そのほか出てくるものがなんでも旨いんです。(ピザでもカレーでも!)

昔と変わらぬ、突き出しの糠漬けです。(沖縄には漬物はないので、珍しいのです)
焼き野菜です。
たまらず、つついてしまいましたが石垣牛のフィレです。
あぐー豚です。

そのほか、やんばる鶏、だし巻玉子なんてものもいただきました。

もう1件、行きつけだったジャズクラブ(Live)に案内したかったのですが、私が明日、早朝から石垣、波照間に向かうもので、二次会は無しで、解散になりました。

11月15日 9日目 いよいよメインディッシュ、波照間島行(16日)に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 7日目 11月13日 沖縄スーパーの食べ物

6日連続でほぼフルにお出かけし、疲れもたまってきました。ところが・・

このお天気。 これが昨日ならよかったのに。覆水盆に返らず、あとのカーニバル。でも疲労感がハンパなくて、近くのスーパーで沖縄食材探しにとどめることにしました。

東京でもありますけど、玄米や黒米は、沖縄では重要な主役の一つです。
左の茶色いのが「ちんびん」、いわば黒糖入りクレープです。お菓子です。 右の黄色いのは「ぽーぽー」です。こちらはアンダンスー(油みそ)を塗って、巻いたもので、しょっぱく、おやつでもいいですけど、食事ともいえます。
ンムクジアンダギー(芋くず揚げ)です。
アンダンスー(豚肉を茹でて、黒糖、泡盛、味噌を加えて弱火で練ったもの)
おからのイリチーなんてのは私でも知りませんでした。
沖縄県民のソウルフードの一つ、ゼブラパンです。甘いです。

なんともレトロですけれど、現役です。

左からレモンケーキ、コンペン(くんぺん)、かるかん、まんじゅう、
タンナファクルー(玉那覇、色黒な人のこと、餡なしのクンペンとも)

11月14日 8日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 6日目 11月12日 浦添市美術館 カフェくるくま おきなわワールド 首里城 富久屋 

今日は、東京で知り合った人が沖縄に就職して、初めての沖縄ってことで、沖縄には先輩の私からいくつか話をした、という人と会う日です。事前に曇りの予想の日にカーシェアを予約し、アポをもらったのですが見事に雨。

ジモティー(地元の人)でもなかなか行かないような所だったり、雨でも楽しめるところを考えたんですけど、どうなりますことか。

まず、浦添市美術館に案内しました。

外観はなんとも多国籍チックです。イスラム寺院を彷彿させます。内井昭蔵さんの設計です。

浦添市美術館は琉球漆器のコレクションです。沖縄は湿度が高いので漆器の制作には向くそうです。漆器自体は縄文時代からあるそうですが、以下私の想像、妄想です。琉球王国は東南アジア全域と貿易がありました。一方、北前船は北海道から加賀経由、鹿児島までコンブを運び、おそらく船を替えて、琉球を経由して中国福建省まで運ばれたと思っています。コンブの帰り荷の一つは漢方薬で、これが富山にもたらされたと考えれば、もの凄く点がいきます。福建省では昆布が採れませんし、沖縄も昆布は採れないのに、何故か一人当たりコブ消費量では日本一なんです。 海上輸送の力ですね。

こうして漆器の技法も、琉球には東南アジアから、中国から、加賀から流入、交流したのではないかと考えています。沈金、箔絵、螺鈿、蒔絵に加えて、琉球独自の堆錦(ついきん)という技法はタイにまで広まったのだそうです。

拙宅の部屋の壁にかかっている、いただき物の琉球漆器です。堆錦だと思われます。

浦添市美術館には美しい螺鈿の漆器が数多くあるのですが、私にはあと二つの重要なアトラクションがあります。

一つは琉球交易図屏風です。

Bingで検索した画像からお借りしました。

琉球の歴史に興味ある人なら1時間眺めても飽きないと思います。昔の那覇の様子が描かれています。防衛施設の三重城、交易品の倉庫の御物城、島津の船舶、外国人居留地の久米、那覇の水源である落平(ウティンダ)、波上宮、弁髪の人と歓談する人 など細かに描かれています。

もう一つは北斎の描いた琉球八景です。これが凄い。想像で書いているので、遠くに富士山が見えたり、雪景色だったりするのです。 もっと有名になっていいのにな~、とホントに思います。

以前の公開時のポスターです。

その後、できれば久高島に行きたいという希望があったもので、南部に向かいました。お昼は「カフェくるくま」という観光客には大人気のお店にしました。

晴れていればこんな感じ(資料映像です w )、なのですが今日は雨。

お店のHPからお借りしました。

久高島の見える窓辺でいただきました。

窓の外には海が広がり、雨雲の様子がわかります。目の前の久高島に雨雲がかかっているのが見えています。

私が久高島にこだわるのは、琉球最高の聖地、斎場御嶽から国王が拝むのが神の島、久高島なんです。アマミキヨが上陸した浜があり、いまだに男子禁制の御嶽があります。一木一草たりとも持ち出してはいけない、などのルールがあります。 とても心洗われる空間と景色で、以前、私は家内も娘も、長男も、友人も、連れて行きました。

昔、久高島でガイドをお願いしたとき、クルマ(相当ポンコツ、失礼)で回ったこともあったのですが、雨だからって、今日の今日じゃ無理でしょと、ここは断念。雨だし、玉泉洞に行くことにしました。

玉泉洞は「おきなわワールド」にある鍾乳洞です。かなり大きく、公開されている部分で890mもあります。私は岡山育ちで、井倉同、満奇洞で鍾乳洞は珍しくはないのですが、もう一つ「おきなわワールド」には見どころがあります。スーパーエイサーです。「スーパーよさこい」のエイサー版です。 

入場すると、太鼓の音が聞こえます。エイサー会場に急ぎました。でも残念なことに最後のショーの最後の数分しか見ることができませんでした。

ゼロじゃなくて良かった、という話でした。鍾乳洞に向かいます。

これは見事です。南大東島の星野洞をスケールアップした感じです。
写真だとまるでかき氷ですが、これはブクブク茶です。煎り米を煮出したお湯を巨大茶筅で泡立て、それをサンピン茶(ジャスミン茶)の上にふわりと乗せたものです。

おきなわワールドをあとにして、燃えちゃった首里城に向かいました。

弁財天堂です。円鑑池は水が抜かれています。池にいたバリケン(カラフルな巨大アヒル)はどこに行ったのでしょうか。(後日わかりましたが、隣の龍潭池にいました。良かった)
歓会門です、首里城に入る最初の門です。歓迎します、という意味です。

門番さんが立っています。「あと7分で全ての門が閉まります」とのことでした。「龍樋まではいいですか?」「いいですよ」

下の龍樋の写真は首里城公園管理センターHPからお借りしました。

龍の樋は中国皇帝からもたらされたそうです。この水は冊封使の徐葆光が「中山第一」とその美味しさを称えたそうで、石碑にまでなっています。門番さんによると、この水に触るといいことがあるらしいです。

晩ご飯は、本ブログではお馴染み、首里の富久屋さん(僕の大のお気に入り)です。

この佇まいは変わりません。

この3年は富久屋さんにも変化をもたらしました。昼は予約なしの早い順、夜はコース料理しかありません、ということになっていました。ということは「うむくじぷっとぅるー」は食べられるはずもなく、「びらがらまち」「みぬだる」はあるかもしれないけれど、お代わりはできない、ということです。でも、この雰囲気と沖縄居酒屋ではない琉球料理を、連れの人に食べてもらいたい、僕も食べたい、ということでやってきました。

左上からターンムアンダギー(だと思う)、右にいってジーマミ豆腐、その下がドゥルワカシー、中央下がスンシーイリチー(竹の子)、左がスヌイ(もずく)
下の黒いのは「みぬだる」です。出汁で茹でた豚肉に黒胡麻をまぶしたものです。その上はラフテー。オクラを乗せて、その上の揚げ物が今となっては不明です。 おいしそう。
ゆし豆腐です。やさしい味でした。

今日1日遊んでくれた友人に、お礼を言います。ありがとうございました。僕が行きたいところに行き、食べたいものを食べました。 友人を無事送り届けて、今日は終了です。

資料画像です。富久屋さんのオードブルです。今はもう無いのかもしれません。

容器の上に乗っている細長い緑の葉っぱは「サン」と言います。
魔除けです。これがないと痛みやすいといいます。

11月13日 7日目 に続く