古島の駅まで歩いてみました。ねぐらの近所は歩いてみるのが一番だと思っています。すると如何にも沖縄らしい道路案内標識が。
真っすぐ行くと「こちんだ」「はえばる」です。難読地名でしょうね。「こち」は東風、これには聞き覚えがあります。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 菅原道真ですね。 「はえ」について、瀬戸内の少なくとも倉敷では南風をハエと呼びました。私は倉敷育ちなので知っているのです。(ひょっとしたら倉敷時代に本で得た知識かもしれませんけど)「原」について、九州でもハル、またはバルと呼ぶのを大分勤務を経験した私は知っていました。
左に曲がると浦添です。 浦添では12世紀半ば頃から、舜天王・英祖王・察度王と続く3つの王統が興り(舜天は伝説とも)、のちに尚巴志が三山統一して首里に都を移すまで首都でした。映画ハクソーリッジの舞台は「浦添よーどれ」です。
右に曲がると「おもろまち」です。この地名は古くからのものではありません。米軍から返還された土地を那覇の新都心としてデザインされた地域です。由来は「おもろさうし(そうし)」という尚王朝時代の歌集で「思い草紙」といった意味です。
さて、やってきました沖縄の食堂。沖縄料理「東雲」です。外観の写真を撮るの、忘れました。だって、やっと沖縄料理にありつけるんだもの!
「いなむどぅち」を出す食堂は、そんなに多くなく、東雲に行けば、ある!と知っていたので、まずは「いなむどぅち」を注文し、沖縄そばも食べたくてしかたなかったので、ミニ沖縄そばをいただいた、というわけでした。
「いなむどぅち」と沖縄そばでお腹はチャポンチャポンになりましたが、店を出て、すぐのところが東町郵便局です。そのポストがこれ。
下の写真はジャッキーステーキです。西町にある老舗ステーキハウスで、行列が常です。(観光客が多いけど) 赤身のステーキで、昨日の88のようには多店舗展開していません。88と同様、昔のAサイン店(Approved for US forces:米軍承認店)でした。
その後、閉業してしまった、琉音(りゅうね)という琉球料理のお店に行ってみました。かつて 琉球料理乃山本彩香 という正統派琉球料理のお店があり、それを受け継いで小林さん(ナイチャーです)が営んでいました。前日までの完全予約制で、基本3組しか入れなかったんです。
閉業はコロナが理由としか思えず、コロ助はなんて残酷なんだ、と本当に思っています。実は久茂地の琉球料理「ままや」さんも閉業してしまいました。
ブラブラ歩きを続けます。
琉球国の一之宮、波上宮(なみのうえぐう、通称なんみんさま)を目指すことにしました。もう一遍、沖縄に帰ってこれた、お礼を言いたいと思ったもので。
途中にある甘味処です。沖縄そばが旨いともいわれます。
琉球一之宮、波上宮です。
だいぶ長くなりましたので、この回はここまでです。
11月8日 2日目 その② に続く。