沖縄滞在記 (11/7~11/27) 2日目 11月8日 その② 天尊廟

波上宮を降りてくると、天尊廟があります。このあたりは久米という地域です。福建から渡ってきた中国人を久米三十六姓と呼びました。その子孫には、前の前の沖縄県知事の仲井眞さんがいます。天尊とは道教での神様です。以前はここに孔子廟もありました。

天尊廟右側には天上聖母です。 媽祖の称号ですね。
海の安全、自然災害などから人々を守る女神様です。千里眼と順風耳に守られています。
左側は龍王殿と関帝廟ということで神様が同居しています。

さて沖縄スーパーの沖縄料理チェックです。

そーめんちゃんぷるーです。
本来のソーミンチャンプルーの味付けは塩だけ、と聞いたことがあります。
もずくの天ぷらです。これは大好き。
ジューシーは沖縄の炊き込みご飯です。和風出汁と豚肉の出汁で作ります。
東京でも見るようになったポー玉です。油みそ(アンダンスー)がミソかな。(w)

今晩は月食でした。昼間は小雨で期待していなかったのです。6年前の沖縄勤務時代の何人かに「帰るよ」と伝えておりましたら、LINEでほぼ同時に「見えてる」「見えなくなった」と連絡が入りました。実はその前にRBC琉球放送の生放送で「見えてます」と言ってたものですから、一回、外に出てみたのです。でも見当たらず、というか方向もわからず尻尾を巻いて帰ってきたのでした。ところがその後、3人から「見た?」「見えてる」「北東40度くらい」「見えなくなった」と同時進行でやりとりが始まりました。再出動しました。

ひらけた駐車場で、オバーが口を開けて夜空を見上げています。「月はこっちのほうに見えるんだ」「北東っていってますけど」「こっちだ」「おかしーなー、まさか北とニシ(北のウチナー口)を間違えてませんか?」などいう非生産的な会話が行われ、安謝のバス停に登ることになりました。安謝のバス停というのは、高架になっていて、階段で登るのです。オバーは両手で手すりをつかんで、よいしょ、よいしょ、と登るのです。ところが。残念ながら見えません。

あきらめてマンションにもどる道すがら、「こりゃ日頃の行いだね⤵」と思いつつ、ふと見上げると「あった!」のでありました。皆さんにLINEしたのは「見えた! なんで、意外とちっちぇんでやんの」でした。「こりゃ日頃の行いだ⤴」と思い、先ほどのオバーを探しに戻りましたが、もういませんでした。

沖縄日記 11月9日(作成中) に続く 

沖縄滞在記(11/7~11/27) 2日目 11月8日 その① おもろまち いなむどぅち ジャッキーステーキ 琉球料理 千日 池上宮 

古島の駅まで歩いてみました。ねぐらの近所は歩いてみるのが一番だと思っています。すると如何にも沖縄らしい道路案内標識が。

真っすぐ行くと「こちんだ」「はえばる」です。難読地名でしょうね。「こち」は東風、これには聞き覚えがあります。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花  あるじなしとて 春な忘れそ」 菅原道真ですね。 「はえ」について、瀬戸内の少なくとも倉敷では南風をハエと呼びました。私は倉敷育ちなので知っているのです。(ひょっとしたら倉敷時代に本で得た知識かもしれませんけど)「原」について、九州でもハル、またはバルと呼ぶのを大分勤務を経験した私は知っていました。

左に曲がると浦添です。 浦添では12世紀半ば頃から、舜天王・英祖王・察度王と続く3つの王統が興り(舜天は伝説とも)、のちに尚巴志が三山統一して首里に都を移すまで首都でした。映画ハクソーリッジの舞台は「浦添よーどれ」です。

右に曲がると「おもろまち」です。この地名は古くからのものではありません。米軍から返還された土地を那覇の新都心としてデザインされた地域です。由来は「おもろさうし(そうし)」という尚王朝時代の歌集で「思い草紙」といった意味です。

さて、やってきました沖縄の食堂。沖縄料理「東雲」です。外観の写真を撮るの、忘れました。だって、やっと沖縄料理にありつけるんだもの!

沖縄の食堂によくある、セルフのフリードリンクです。
冷水、アイスコーヒー、アイスティーが飲み放題です。
「いなむどぅち」です。イナムルチとも。「猪もどき」の意です。
甘い白みそ、カステラかまぼこ、豚肉、こんにゃく、椎茸、油揚げ、です。
ミニ沖縄そば

「いなむどぅち」を出す食堂は、そんなに多くなく、東雲に行けば、ある!と知っていたので、まずは「いなむどぅち」を注文し、沖縄そばも食べたくてしかたなかったので、ミニ沖縄そばをいただいた、というわけでした。

コーレーグースです。島唐辛子を泡盛に漬けたものです。辛いもののない沖縄料理のなかで、
唯一辛い調味料です。液は泡盛ですから、入れすぎると顔が赤くなります。ご注意を。

「いなむどぅち」と沖縄そばでお腹はチャポンチャポンになりましたが、店を出て、すぐのところが東町郵便局です。そのポストがこれ。

ハーリーレースが描かれています。
反対側は旗頭(はたがしら)です。大綱引き、エイサーといったお祭りの際の地域のシンボル旗です。

下の写真はジャッキーステーキです。西町にある老舗ステーキハウスで、行列が常です。(観光客が多いけど) 赤身のステーキで、昨日の88のようには多店舗展開していません。88と同様、昔のAサイン店(Approved  for US forces:米軍承認店)でした。

昨日の88と違って、こちらの定番ステーキソースはA-1ソースです。
結構、酸っぱいです。

その後、閉業してしまった、琉音(りゅうね)という琉球料理のお店に行ってみました。かつて 琉球料理乃山本彩香 という正統派琉球料理のお店があり、それを受け継いで小林さん(ナイチャーです)が営んでいました。前日までの完全予約制で、基本3組しか入れなかったんです。

かつての琉音です。 今は違うお店になっていました。
琉球料理です。 居酒屋さんの沖縄料理とは違います。
「豆腐蓉 は6時間前からアルコールを飛ばしています」などとても丁寧な仕事をしていました。
この画像はfacebookからいただきました。実際には一品ずつの提供でした。

閉業はコロナが理由としか思えず、コロ助はなんて残酷なんだ、と本当に思っています。実は久茂地の琉球料理「ままや」さんも閉業してしまいました。

ブラブラ歩きを続けます。

シーサーかと思ったらネコでした。
50年を超す老舗沖縄食堂です。こちらは元気なようで安心しました。
後日行こうと思います。

琉球国の一之宮、波上宮(なみのうえぐう、通称なんみんさま)を目指すことにしました。もう一遍、沖縄に帰ってこれた、お礼を言いたいと思ったもので。

途中にある甘味処です。沖縄そばが旨いともいわれます。

これまた老舗の甘味処、千日です。元気に営業してました。
クーラー無しなので、僕には夏はムリ、11月の今こそ「ぜんざい」を味わうチャンスなのです。
お店の中は「氷」の文字でいっぱいです。11月ですけど。
沖縄の「ぜんざい」は、かき氷の下に金時豆のアンコです。
千日のかき氷はフワフワで定評があります。

琉球一之宮、波上宮です。

熊野信仰と琉球王国総鎮守の融合が行われているようです。

だいぶ長くなりましたので、この回はここまでです。

11月8日 2日目 その② に続く。

沖縄滞在記(11/7~11/27) 1日目 11月7日 その② バス停近くのウィークリーマンション 88ステーキ 沖縄食材

コロ助前からの3年、そりゃ長いよね、と思いつつも「だるま屋」がインバウンドに依存していたとも思えず、オヤジがトシだから、とかならしょうがない、などと思いながらタクシーに乗り込んで、借りたウィークリーマンションに向かいました。

場所は安謝橋バス停徒歩1分です。以前の沖縄生活の経験で、那覇市、浦添市あたりでクルマが無くて、どこに住むかにあたりモノレールの駅に近いのは基本です。しかしもともと電車のない沖縄、実はバス網がメッチャ充実しているのを知っていました。モノレール駅近と、ひょっとしたら同等以上に幹線道路のバス停は便利なんです。

マンションを借りるにあたって「安謝橋」と聞いて即決したのは、安謝橋から那覇バスターミナルに向かう(これを上りと言うのでしょうか)のは、そのほとんどがBT(バスターミナル)行、または経由するのです。那覇BTはモノレール旭橋駅に隣接しています。安謝橋バス停からは一部、おもろまち駅行、または経由があります。 つまりモノレールの駅までトコトコ何分か歩くよりも、よっぽど楽で便利、と考えたからでした。

若干、予想外だったのは、マンションが下り側(北谷方向)で、那覇BT行きとは58号線(ゴッパチ)を挟んで反対側だったところです。那覇BTを起点に考えるので、どうしても上りに乗る頻度が高いわけです。安謝橋付近のゴッパチは片側2車線、中央分離帯が高架の片側2車線分もあり、上りと下りで合計8車線分という太さなんです。高齢者は青信号1回では渡り切れず、中央分離帯で2回目の青を待つのを目撃しました。1回で渡るには、僕でも急ぎ足になります。 というくらいで「安謝橋バス停まで徒歩1分」では実質、なかったわけです。

さて、初めてのウィークリーマンションです。郵便ポストからの鍵の取り出しにひと苦労がありましたが、そこは不動産会社さんごとの問題だと思われ、ここでは省略します。部屋の状況はこんな感じ。

食器、布団一式、タオル類は持ち帰り可だそうです
ガス乾燥機付きはありがたいです

荷物を降ろしたあとは、空腹をなんとかするために、外に出ました。タクで来るとき、ゴッパチ沿いには近くにコンビニはなかったのを知っています。外に出たら赤いネオンサインの光。それに釣られてゴッパチを渡ってみると・・

88は沖縄の老舗チェーンですが、1,000円で「Jr.」が付いてる店は初めてです

300gです。ステーキソースは88では「No.1ソース」が定番です。

石垣牛だの本部牛はありません。白米、写真のサラダと肉汁は食べ放題です。ライス無料とは知らず、ガーリックライスを頼んでしまいました。ということはつまり、です。1000円ステーキを頼んで、ライスと肉汁でお腹をいっぱいにしちゃうことが可能です。肉と味のほうは、値段相応というところでした。

88の同じ敷地、お隣にMAX VALUがありました。ネットで見てみると24H営業です。ネグラのとなりに巨大冷蔵庫、ということになります。明日の朝ご飯を仕込みに行きました。

上段が「くーぶいりちー」198円、「だいこんいりちー」198円
イリチーとは「炒り付け」です。
下段はデミグラスハンバーグ98円です。こっちのほうが安いのは違和感が。
東京のスーパーではもう姿を消したスイカが絶好調です。
北部の今帰仁(なきじん)産です。さすが沖縄。
沖縄にしかない、軟骨ソーキ、なかみ汁(内臓肉)です。僕には懐かしさでいっぱいです。
沖縄の「ぜんさい」のアンコは金時豆です。
ぜんざい、というと「かき氷」を意味することが多いです。

発祥は宮古島と承知していますが、ぐしけんパンも作っています

沖縄日記 11月8日 に続く

2022年沖縄滞在記 (11/7~11/27)  1日目 11月7日 その① ゆいレールの切符 だるま屋の宮古そば

沖縄に帰ってきました。

コロ助のおかげで3年ぶりの沖縄です。この3年ぶりの旅行が終了すると、私はまもなく65歳となり再雇用も満了、という運びになりました。(今はまだ65歳前ですが、有休消化でお休みなんです)

ということで、行くぞ(帰るぞ)沖縄! 初めてのウィークリーマンションなんてのを借りまして、ANAの3日前割引を使って、当初16日間の沖縄訪問を企図したのでありました。3日後には沖縄に行くんだ、理由はないけど16日間行くんだ、という根拠レスな信念のもと、一気に飛行機と宿のチケット予約にトライしたのです。そしたら、これが出来ちゃうものなのでありました。(たぶんローシーズンの11月だから)

後日加筆:家の都合で沖縄滞在が5日伸び、3週間という長旅になりました(もはや旅行ではなく、「滞在」と言うべきかと思いまして、タイトルを変更しました)

羽田からは、高校生の修学旅行と一緒でした。そんなシーズンなんですね。 3日前に予約した席が最前列通路側という、旅慣れた人(仕方なく何度も乗る人)が指定する席を取れた(たぶんダイアモンドメンバーが、たまたまキャンセルした)こともあり、kindleで山本一力に集中し、快適な空の旅でした。

とは云うものの、機内ではBluetoothのイヤホンでアマゾンミュージックがOKだと思っていたのですが、うまくいきません。ご存じの方、教えていただけると助かります。

那覇空港に到着したとき、結構、空腹でした。近いところで、「そうだ、だるま屋の宮古そばか、みそ汁だ!」と思い、最寄りの旭橋駅までモノレールを使うことにしました。切符を買うと、切符にQRコードがあり、ああ、これは改札でピッてするんだよね、と思い出しました。

この切符は後日の古島から旭橋のものです。
右にQRコードがあります。端っこに塗りつぶしがあるからでしょうか、QRリーダーでは読み取れません。(ド素人)

電車のなかで、宮古そばとみそ汁、どっちにしようか。え~い、両方か。いや待てよ、そりゃ多いだろ、「みそ汁のご飯はいらないよ」と言おうか、それでもみそ汁とそばの出汁でお腹がチャポンチャポンになるんじゃないか、などと心配しながら旭橋駅で降車しまして、テクテク歩き出しました。この頃には霧雨交じりの蒸し暑さに、懐かしさと不快を感じづつ、久々の沖縄、最初のメシは「だるま屋」の宮古そばだ、というい思いでゴチゴチになっていたのでありました。 

しかし、これが記憶よりも結構遠いんです。金秀の先かと思いきや、パシフィックホテルよりもまだ先で、「おっかしーなー」と思いつつ、空腹と相まって期待はいや増すのでありました。

着いた!と思った黄色い建物、なのですが、ん?看板が違う。念のためと思って眺めたメニューも異なるものでした。大ショックです。 だるま屋は昔、行きつけだった床屋の大将から「みそ汁が旨いよ。飲んだ後はだるま屋のみそ汁だ」「ステーキじゃないんですか」「胃が疲れるだろ」とかいって紹介されて、僕もお気に入りになって、3年ぶりの沖縄メシはだるま屋の宮古そばだ!と決めていたのに、何てこと!

在りし日の「だるま屋」 どうです、この風格ある佇まい!

だるま屋の宮古そばは「正調」宮古そばだと思っています。具が麺の下に隠れているのです。また、フーチバー入りみそ汁がお気に入りで、タマゴは無しが僕の主義だったのです。う~、空腹と歩いた疲労も重なって、「ショック、大!」なのでありました。

今はなきだるま屋の宮古そば

11月7日 1日目 その② に続く

2019年那覇・南大東島旅行 4日目(最終日)

8:15気象台に行きました。

ウインドプロファイラー(看板によると:風向、風速を測るんだそうです)

毎朝8:30にラジオゾンデを打ち上げます。気球にセンサーを搭載して、地上から高度約30kmまでの大気の状態(気圧、気温、湿度、風向・風速等)を計測するのだそうです。打ち上げの様子はこちら・・・

打ち上がるのは25秒後です ちょっとお待ちください

この打ち上げを見ていたのは我々2人ともう一人、ビターチョコレート色に日焼けしたオジサンでした。オジサンは気象について知識があるようでした。なんでも、日本中をドローンとサーフィンで廻っているとのことでした。

ドローンも大型になると結構な風にも耐えられるし、自動で戻ってきたり、障害をよける機能なんてのも付いてるんだそうです。たしかに、ここ何日間か風が強い南大東島でのドローン映像を見せてくれました。へ~、こんな人もいるんだ、と面白くなりました。

その後、池の傍を通りがかると、友人が「あの人たちがいる」とクルマを止めてバックさせました。昨日、同じ飛行機で大東島に来て、飛行機をバックにお互いに写真を撮りっこした人たちです。多分ご夫婦。ホテルも同じで、今朝の朝食時も一緒でした。

夫婦でウェーダー(胴長靴)を着込んで、水辺で網をのぞきこんでいるのです。「何してるんですか?」「バレたか」・・怪しいのはもうわかってます。「水生昆虫を調べてます」「ゲンゴロウとかですか?」「もっと小さいの」

池の写真がこれしかありません。。 オヒルギ群落の展望台からです、

網の中には2㎜くらいの、そりゃ小さな、虫らしきゴマ粒がいました。去年、奄美で新種を発見したんだそうです。相当お目出たいことであることはわかる気がします。記念ポロシャツを作って、それをクルマから引っ張り出して見せてくれました。申し訳ないことに虫の名前は、その場で失念してしまいましたけれど。

1日中、ひたすら水辺で手網をすくい上げ、入ったものをチェックするのだそうです。2㎜くらいの虫を探して。「ヘンな物入りませんか?カメとかヘビとか」「ヘビはあんまり入らないな」 南大東島は大陸とくっついたことがないので、新種、亜種が期待できるのはわかります。 頑張ってください、と水生昆虫学者夫婦と別れました。

うふあがり島(大東島)なんて、変な人しか来ないのかな、と思う一方「そか、変な人は変なヤツと仲良くなるんだ」と思い、自分で納得したのでありました。

海軍棒プールです。岩礁を砕いて、プールにしたものですが、本日の「晴れたり台風だったり」の天気ではこうなります。どこがプールだか・・・

10秒後に見えてくる波の線がプールの縁だと思います

う~ん、大東島だ。この暴れっぷりと海の色。私も友人も無言でしばらく眺めていました。

旧南大東空港、(株)グレイスラムに行きました。

サトウキビを原料に、コルコルというラム酒を作っています。お土産とTシャツを買いました。これ、きっとレアだと思います。。

今回の旅行は「食」にはツキがなく、一昨日はイラブーがなかったし、昨日は中途半端な時間で食堂が閉まっていましたし、今日は日曜でそもそも休み、なのでありました。昨日のお昼なんてバナナ1本とピーナツ(友人はシージャーキー)、今日は那覇までお預けです。南大島空港にはカップラーメンしかないのです。大東島に来て、大東そばも大東すしも食べてないなんて。私としたことが。 しゃーない、那覇で食べるぞ!と決意したのでした。

風に揺られ、遅れながらも那覇空港に到着。遅れたせいで、お昼を食べる時間もなく、渋滞が怖くてタクシーにも乗らず、モノレールで首里城に到着、即まちまーいのガイドをお願いしたのでした。

首里城は着々復元が進んでいて、たまに来ると新しい庭、建物があります。

定番コースですが何年かに1度は参加するべきコースだと思います。でも私みたいなのがいるとガイドさん、面倒だろうな、と思いつつ。 ・・Orz. 

その後、那覇には大東そばを出す店を2つあるのを知っていて、ニューパラダイス通りにタクシーを飛ばしました。「元祖大東そば」で降りたのですが、なんと、そばも、すしも売り切れとのこと。すでに午後4時ごろです。空腹のあまりたまたま目に入った花笠食堂に入りました。

そこで、ナーベラーンブシー、ポーク卵、煮込み、沖縄そばを頼みました。とにかく、ガッツいて食しました。

このお店、正しくは食堂花笠2号店だそうで、平和通りの先の花笠食堂とも58号線の花笠とも違うんだそうです。でもいいんです。美味しかったから。

こうして那覇空港にたどり着き・・・ のんびりするどころか、ゆっくり食事の間もないほどの慌ただしい(充実した、と同意味だと思っている)那覇・南大東島2人旅行は終了したのでした。

お腹いっぱいだし、飛行機の中ではぐっすりでした。私の方は、羽田に着いて、空港リムジンバスに小走りで飛び乗るという荒業というか、最後までパンパンの旅でありました。(乗れてラッキー!)

後日、会社の同僚から、「何しに大東島行ったんですか。大東島に観光に行くなんて聞いたことがない」と云われ、思わず答えに迷いました。こんなに刺激的で、美ししさに見とれ、興味深く、他人との会話が面白い24時間をどう伝えたらいいのか、難しかったのです。

本土の人が、初めて宮古に行くのはとてもお勧めです。そりゃまずは宮古に行くべきだと思います。宮古の海に心奪われます。

2度目は大東島がお薦めだ、と断言できます。私もいつか一晩かけてフェリーで再訪し、クレーンで上陸してみたいものです。そして今回できなかった、現地の大東ずしを食し、インガンダルマを試し、光るキノコを見て、オオコウモリと出会いたいものです。 ・・・宿題、あるなぁ。

2019年那覇・南大東島旅行 3日目

9:45那覇空港をボンバルディアで出発しました。カッコいいです。

南大東島空港です。

空港でレンタを借りましたが、これがまた、塗装の剥げたポンコツ軽自動車。しかし走り出すと・・

内地の人には珍しいウージ(サトウキビ)畑 ザワワ、ザワワ、

友人はこの光景に早くもヤラれたようです。

まずはバリバリ岩に向かいました。これには私が大興奮! 年に7センチも本島に近づいている、のが実感できます。

続いて港に行ってみましたが・・・

今日の南大東島は熱帯低気圧の影響を受け「晴れ、ときどき台風」なのです。晴れるとこうなります。

うーん、この色。宮古島の甘い青と違って、透明感があり、引き込まれそうな青。
ここに、亀さんが息継ぎしに上がってきたのです。携帯を出すの、間に合わなかった。。

釣りをしている若い衆がいました。サビキで20㎝のムロアジを釣り上げ、それを生餌にカンパチなど青物を狙っています。私も一時期海釣りにハマった頃があり、海釣り談議で盛り上がりました。私の友人は「大東島では岸壁からマグロが釣れる」と那覇で聞き込んできていました。本当か尋ねると「あそこにブイがありますね。あそこで(深さ)18メートル」とのこと。岸壁からマグロは可能なのでした。

彼から「23日に豊年祭りがあって、そこで相撲大会をやる。その番付を決める相撲を今晩やる」と聞きました。 ・・・これは行ってみなくちゃ。

漁港に行きました。これが、凄い。まあ、ご覧ください。

岩盤掘込み式漁港だそうです。人工の入り江を作ったのです。海に近い岩盤を掘って掘って掘りまくり、最後に左側の海からの入り口を切ったのだそうです。右側の圧倒的な崖というか、岩壁の圧力は物凄いものでした。

よくもまあ、これだけの穴をあけたもんです。

星野洞という鍾乳洞に行きました。ここは前日の予約が必要です。カギを開けに来る人が必要だからです。南大東島のことだし、観光用に整備なんてされてないだろ、という予想で(去年の西表島のケービングの記憶があって)、トレッキングシューズを履いてきたのですが、これがビックリ。帰りは動く歩道で戻れるほどの整備ぶり。

あとで聞いたのですが、竹下さんが首相のときの「ふるさと創生」で1億円配ったお金で整備したんだそうです。これは良い使い方をした、と思いました。鍾乳洞はとても、非常に、美しかったのです。

岡山県育ちの私には鍾乳洞は身近な存在で、井倉洞、地底湖のある満奇洞、山口県ですが秋芳洞など、いずれも複数回行ったことがあるのです。それらと比べて、星野洞は美しいのです。広さこそ、秋芳洞に譲りますが、白さ、細~い鍾乳管など、とても綺麗でした。

来場者があるまで扉を閉めておくのは、滅多に人が来ないからではなく、湿度の管理に目的があるのでした。星野洞の鍾乳石、石筍、石柱は「生きている」のです。だから綺麗なんですね。

次は日の丸展望台です。展望台といってもマンションの4階くらいです。今日は「晴れ、時々台風」という天気で、明日の帰りの飛行機が心配になるほどの風でした。

島がすり鉢状なことがわかります。空との境目は山ではなく、海でもなく、防風林なのです。 15秒後には低い虹が見えます。

ホテルよしざとに泊まります。このホテルがまた内地の常識と違います。3階の私の部屋は洋室で、トイレは独立ですが、お風呂と洗面所が一部屋で、でも湯船と洗面台の間にはカーテンがありません。床には湯桶と椅子まで用意してあり、洗面台の下までビショビショにならざるを得ないのです。1階和室を割り振られた友人の部屋は、湯船もなくシャワーだけ、洗面台もトイレも一緒の空間で「床が濡れるでしょ」とホテルの人に言うと「サンダルを履いて、洗面台やトイレは使う」のだと教えてもらったそうです。なるほど。それはそれで・・

友人の撮った画像です。二重の虹なんて、初めて見ました

ふるさと文化センターで村役場の作った「島の名所・名物」という立派な本をいただいて、ホテルで夕食をいただいたあと、釣りの若い衆から聞いていた相撲を見物に行きました。同じ相手と三番勝負を行い、いろんな人と対戦を重ねて番付を決めるようです。きっちりマワシを締めて、真剣にぶつかり合います。四角に審判もいます。面白く、1時間ほども観戦していました。

遠景です。本格的でした。

ナイトツアーを予約していました。大きなコウモリを見たいのと、星を見たい、と希望していました。ガイドの東さんから電話があり「この風では生き物が出てこない。見てきたけどいない」とのことでした。ツアーは中止です。

そこでもう一つの目的、インガンダルマとナワキリを食しに居酒屋を探しに出ました。といっても居酒屋は「在所」と呼ばれる地域に数件しかありません。

入ったお店で「インガンダルマある?」と聞くと、アンマーは残念そうに「2人前残ってたんだけどね」「(ダンナが)出しちゃえっていうからアソコに」 アソコには地元の衆が酒盛りをしているのでした。取り返してきそうな勢いだったのですが、「いいです、ナワキリください」ということで、ナワキリのバター焼きとフギ炒めをいただきました。ナワキリって、骨が皮から生えてるような、並びです。

結構、刺激的で中身の詰まった1日でした。(いつもの事ながら)明日午前中まで、南大東島です。明日は何が待っているのでしょうか。

2019年那覇・南大東島旅行 2日目

朝食は「沖縄第一ホテルの朝食」を予約していました。十数品目出てきて、600カロリーで、器も見事、と聞いていたし、ネットでも見ていました。

松山の交差点から、一銀通りを入った右側です。というか、私にとっては「神戸バー仲々」の隣、です。「仲々」は大好きで、10回くらい行ったと思います。バーなんですけど、神戸牛と石垣牛のステーキ食べ比べができます。ピザやカレーなんてサイドメニューに至るまで、出てくるものがどれも美味しいのです。

さて沖縄第一ホテルです。

朝8時、9時、10時の入れ替え制で、1回3組です。予約が必須です。で、出てきたお料理がこちら。

パンはあわてて食べてしまい、写真に撮るの、忘れました。他にも何枚かお料理がありました。冬瓜漬けは「謝花きっぱん店のですか?」と尋ねると、「そこしか作ってない」とのことでした。

ミルク神のお面

梁にはミルク神のお面、お料理にはオオタニワタリということからすると、八重山出身のオーナー、料理人と思われます。

私は「これがオオタニワタリだ」と思って食べたことがなく(あのお店のラフテーにはオオタニワタリが添えられていたはず、というのはありました)、長年の課題が叶いました。

西町の金秀(にしのまち市場)で友人と待ち合わせしました。沖縄のスーパーにはあっても、本土の皆さんには珍しいであろう食材を紹介します。

西町金秀の向かいにある「だるま屋そば」で「みそ汁」(局地的に有名)を食べたかったのですが、まだ開店していないし、久高島に渡るフェリーの時間までに、垣花樋川に行きたいってこともあり、だるま屋はグッとこらえて出発しました。

垣花樋川(かきのはなヒ-ジャー)は日本名水百選に選ばれています。

かなりの坂を下りて行きます。前回は足裏が薄いサンダルで、断念したのです。途中 イーユクイイシヌヒライサー(上休み石の平石) なんてのがあるくらいです。

その後時間があったので「カフェくるくま」に向かいました。

レモンを入れると色が変わるハーブティー

オサレな絶景の人気店で、平日の昼前だというのに待ってる人がいました。僕たちはテラスでOKということで、すぐ入れました。

前回、私はバスで海沿いを来て、急坂を歩いて登り、発掘中の知念城に立ち寄り、くるくまで一服し、沖縄刑務所に抜けて、往きとは違うバス路線で帰ったのでした。あらためて、凄いことやったな~、と思うほどの坂でした。

さて、いよいよ久高島です。友人は2度目、私は4度目の訪問です。斎場御嶽(せいふぁーうたき)から拝むのがこの島です。すべてが神様のもので、一草一石とも持ち出してはいけません。フボー御嶽という何人たりとも立ち入れない場所、男子禁制の区域なんてものあります。

島でイラブー汁を食す予定でした。カミンチュ(神人)のオバーが手づかみで捕獲して燻製にするのです。島には3軒の食堂があるのですが、3軒ともイラブーはありませんでした。しかたなく、マース煮(魚の塩煮:沖縄のアクアパッツア)を食しました。

今はガイドさんがいます。内間さんにお願いしました。自前の軽で廻ります。

カベール岬

イラブー汁がない理由がわかりました。明日、燻製にするのだそうです。もっとも燻製にするのに何日もかかるそうですけれど。燻製小屋の裏には金網のなかに、ヘビがウネウネといっぱいいました。これが燻製小屋だなんて、地元のガイドさんじゃないと、わからないですよね。

五穀が流れ着いたイシキ浜、イザイホーが行われる久高殿など案内してもらって、やっぱりガイドさん、いたほうがいいよね、と認識を新たにしました。

帰りに富盛のウフシーサー(沖縄最古のシーサーと云われる)を見れるかと思ったのですが、結構ギリというかピッタリの時間でレンタカーを返し、夕食に向かいました。

久茂地交差点の1本うら、アグーしゃぶしゃぶの「まつもと」です。友人が遊びにきたときは、こちらにお世話になるのがお約束です。でも、今日は二人。肉の皿に花は咲きませんでした。(涙) でも味はいつも同様、すっごく美味しかったす。

明日はいよいよ、南大東島です。天気はなんとかなりそうです。熱帯低気圧は近いけど。

2019年那覇・南大東島旅行 1日目

高校時代の友人との年に一度の沖縄旅行が、いつの頃からか恒例になりました。
岡山在住の彼とは那覇で待ち合わせです。

今年、那覇から何処に行こうかとなった時に、友人の希望は屋久島でした。縄文杉は確かに興味津々、魅力的でしたが、時あたかも屋久島豪雨のニュースのあとでした。その時の映像で、皆さん本格的な登山姿だったことを記憶していて、私の思いは「マジか」でした。

調べてみると、那覇からは鹿児島経由のほかなく、1泊ツアーとなることを考慮すると、週末お手軽旅行は「ムリ」となりました。

2案としては、打って変わっておとなしく久米島でした。はての浜は物凄くチャーミングでしたが、どうせ「何にもない田舎に行くなら」と思うと、もうちょい刺激を求めて大東島ってどうだろうと思いつきました。

南大東島って、台風の時に聞く名前でしかありませんでした。ネットで引くと・・・

南大東島の資料画像です。グーグルからお借りしました。フェリーは5日に一度の入港なので、タイミングが合わないとこの写真は撮れないのです。

砂浜がなく、岩壁を削った港からは人も物もクレーンで上陸、でした。島の中央が一番海抜が低く、大陸とくっついたことがないので独自の生態系が・・ とのことでした。「これは行ってみるしかない、飛行機はあるし」(フェリーだと、欠航率が高いのです) ということで、「のんびりしたい」という思いと裏腹、今年も刺激的な旅行プランになったのでありました。

私は木曜日に那覇入り、金曜に友人と合流、久高島に行って、土・日に南大東島、という計画です。北大東島という選択もあったのですが、南でも十分田舎なのに、もっと田舎なので・・・

前週に台風は行き過ぎ、快晴の那覇空港に到着。おもろまちのホテルに向かうモノレールの中で中身そばが食べたくなり、那覇在住時代の同僚からラインで教えてもらった浦添の高江洲そばに行くことにしました。思い付きでしたので、足としてカーシェアを予約しました。2~3時間の足としては最適です。

予約したクルマがなんとこれ。ハスラーです。一度乗ってみたかった。なんたって、可愛いですもんね。で、浦添の高江洲そばの中身そばがこちら。

じゅーしーおにぎり付き。「中身」というのは豚の中身、つまり内蔵なのですが、何度も茹でることで臭みはありません。鰹だしのやさしいスープで、食感を楽しむものだと思ってます。高江洲そばは有名店で大きな店舗ですが、お昼を過ぎてもまだ満席でした。実は高江洲そばは「ゆし豆腐そば」の元祖だそうです。ゆし豆腐というのは「おぼろ豆腐」の沖縄版ですが、私は今日は「ナカミ」と決めてました。

期待通りの味に満足しました。

おもろまちのホテルにチェックインして、その後、那覇まちまーい(有料ガイド)の「那覇の市場迷宮めぐり」に参加しました。             那覇まちまーいはこちら  http://naha-machima-i.com

このガイドツアーはお薦めです。那覇在住時代少なくとも30数回は参加しました。たいてい参加費は1000円で90分程度、一人でも催行されます。

沖縄赴任から東京に戻って2年、基本に戻って公設市場に行ってきました。公設市場は建て替えするのだそうです。農連市場も綺麗になったと聞きますし、古い沖縄の、良き怪しげな雰囲気がなくなるのはちょっと残念な気もします。

あの独特の匂いがなくなり、オバーも入れ替わり、多少小綺麗になって、でも変わらないものは変わらずで、またそこから新しい歴史が始まるんだと思います。

夜は以前の職場の仲間たちと2年ぶりの再会でした。なんか「1週間夏休みとってきた」程度の久しぶり感でしたが、当時の新人(8期の皆さん)はやっぱりちょっと落ち着いたかな、って気もしました。そりゃ当時ハタチ前後の若者が、2年経てば、人生経験が1割増えたんですもんね。

さて明日は友人と合流、垣花樋川と久高島です。3度目の久高はガイドをお願いしていますし、久しぶりのイラブー(海ヘビ)を食すのが楽しみです。

沖縄そば・愛

ウチナンチュは沖縄そばが大好きです。東京で蕎麦屋とラーメン屋があちこちにあるくらいに、沖縄には沖縄そば屋がいっぱいあります。

地域と島によって、麺の太さ、縮れ、丸い麺 など違います。古くからの沖縄そばにはコシがありません。最近の「〇〇ランキング!」で上位にくる食堂のそばはどれもコシがしっかりあります。人の好みは変わるものなので、どっちが良いとは思いません。自分の好きな沖縄そば屋を見つけることだと思います。

僕の一番好きな店は(マンションからチャリで5分、てこともあり)「だるまそば」の宮古そばです。

宮古そばは具が麺の下に隠れています。貧しさをアピールするためだと言われています。

チャリで3分のところにあった嶺吉食堂のテビチそば。道路拡張と年齢で閉店しました。常連皆さんから「場所変えて続けてよ」の声がありました。中尾彬さんも通っていたそうです。

テビチは腕部分、足先はチマグーと言います。

チャリで2分にあった、波布食堂。今年3月閉店したそうです。ネットで知りました。大型バスが来るようになって、足が遠のいていましたが、残念。

行くときにはタッパーを持って行きました。なかなかそばにたどり着きません。
晩のおかずも肉野菜炒め・・・

以下有名店(僕の好み)を紹介します。

楚辺そば
名護のきしもと食堂
すーまぬめぇ
かどや
てんtoてん ランキングに入る店だけと、伝統的沖縄そばの範囲内。
上等屋のフーチバーそば フーチバーは沖縄ヨモギです。葉っぱをかき分け、麺にたどり着いたら、麺も緑色だった(練り込んであった)のには驚きました。
テビチで有名、嶺吉食堂でちょっとムリ言って作ってもらった中身そば。
これでもか! 高良食堂の沖縄そば定食 これで750円!
北部の国頭村まで食べに行った「くんじゃんそば」

タコライス(キンタコ)

タコライスという名前は、もう本土でも市民権を得たと思います。

蛸が入っているのではなく、タコス+ライス です。

その元祖を名乗っているのが金武(キンと読みます)のキングターコースです。通称「キンタコ」です。

沖縄のみならず、タコライスは今やどこにもありますが、ウチナンチュには「タコライスと言えばキンタコ」であり、「キンタコに比べれば〇〇」というベンチマークでもあります。でもコストパフォーマンスでキンタコを超えることは難しいです。

キングターコース金武本店
金武本店のメニュー

金武は基地の町です。キャンプハンセンという広大な基地の、出入り口の前に小さな町があるという状況です。なのでメニューは英語日本語がチャンポンで、COKE、SPRITEは$1.00です。

お待たせしました、キンタコのタコライスがこちら。

チーズヤサイの最高グレード、600円

高さ約20㎝、どこからスプーンを入れてもバラバラこぼれます。お金のない兵隊さんに、安く、腹いっぱいになってもらおう、という店主の願いだったと聞いています。

基地の町だけに危ない、ということでウチナンチュも夜は近寄らないそうです。危ないんで、街灯は10m間隔で立っています。

金武社交街

危ない、ばかりではなく、琉球八社の一つ金武観音寺もあります。

観音寺の隣には鍾乳洞があり、その地下には泡盛の壜が寝ています。5万本と言われます。泡盛は瓶詰してからも熟成するのです。3年寝かせると「古酒」(クースー)と呼ばれます。

那覇在住だった僕には金武は遠いのです。那覇市の隣が浦添市、そのまた隣の宜野湾市長田に支店があります。長田のキンタコがこちら。

蓋を開けたらこぼれます。長田店は持ち帰りが主で、食べる人には狭いカウンターがあるだけです。それにしても「もう許して」と言いたくなる、この迫力。

タコライスはウチナンチュのソウルフードの一つであることは間違いありません。