今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。
私の勤務する○○は、この6月おかげさまで○○周年となりました。その記念行事で「50年前の写真展」を開催しました。お立ち寄りいただいた方も多いと思います。
そのなかに、何気ない、そんなに目を引くこともない小さな祠の写真がありました。それが昭和30年代の「一里塚」でした。ほんとに塚があったのです。
今は区役所通りの出口のあたりに信号の名前でしか残っていません。そこで私の悪い癖、いや好奇心がムラムラと頭をもたげてきました。
「一里塚」は日本橋を起点に一里ごとにある、くらいの知識はありました。ということは、そもそもこの辺に街道があったはずでして・・・ ここから私の小岩めぐりが始まりました。
まず地元の商店街の人に訊きました。「あのへんはね~、昔『渡し』があってさ、関所があったんだよ」
そうでしたが。街道と言えば「五街道」くらいしか頭に浮かばなかった私ですが、関所まであったという、このあたりは何街道だったんだろう?と、思っているうちに、翌日。
「高橋さん、聞いてみたらさ、五分一橋から一里じゃねぇかってさ」と早速情報が入りました。この親切! なんとも下町であります。それも「五分一(ごぶいち)」なんて、なんともチャーミングな付録付き! だって、5分の1ですよ。
疑問は膨らむばかりです。実は後から思えば、一里塚は千住宿から二里目であったと江戸川区史に載っているのですが、まずはゴブイチに行ってみました。
・・・続きは、次回をお楽しみに‼