中尊寺さんには、昔からお参りしたくて拝観したくてずっと機会を待っていました。
子供のころ何度も読んだ義経記(少年少女世界の名作文学、山本和夫著、川端康成監修)で僕のヒーローの1人だった源義経ゆかりの地であり、終焉の地ですから、ずっと行ってみたいと思っていました。
また、学生のころから始まった重要な趣味の一つである寺社仏閣巡り、お参りしての仏像拝観は大好きで、金色堂はどうしても行ってみたいところでした。
私は天台宗で、中尊寺さんはその東北大本山というご縁もあります。
何年か前のNHKスペシャルで取り上げられ、先月はブラタモリで紹介された場所でもあり、興味はいよいよ増すばかりでした。
それと、このたび旅行を実現するにあたり、もう1ヵ所寄りたい所がありました。
津波の痕を、この目でみておきたかったのです。後世に語り継ぐべきだと思っていますし、そのためにも体感しておきたかったのです。
宿は一関でしたので、気仙沼を訪れることにしてコンベンション協会語り部さんにガイドを予約しておきました。
一関から気仙沼行きの列車は2両編成の単線です。
気動車です。単線の気動車(ディーゼル車)てのは味わい深いです。久しぶり。
12時前、気仙沼駅に到着、まずは昼食です。事前に情報を得ていた「あさひ鮨」です。タクシーの運転手さんもお勧めでした。
海鮮丼 見るからに豪華です。
鮪のスジの串焼き 安くて旨い。お勧めです。
昼食後、いよいよ震災あとを巡るツアーです。
上のほうに「ここまで水が来ました」の表示板があります。
気仙沼港です。
建設中の防潮堤です。
盛り土をしています。 土留めの袋に数字が書いてあります。土留めは他県からの借り物で、返すにあたっての確認用なのだそうです。
民間の船は「〇〇丸」ですが、官庁の船には「丸」はつかないんだそうです。そういえば自衛艦には「〇〇丸」はないですね。これは水産庁の船です。
あとから来た船のロープは、すでに架かっているロープの下からくぐらせて舫うそうです。そういわれてみれば、そうじゃないとね。
補助の申請が遅れた家は、まだ被害の痕がそのままです。
語り部さんが言っていました。「津波が来るとなったら、上へ逃げるんだ。40分あるからっていってもクルマじゃ渋滞で逃げられない」「引き波がすごいんだ。海岸あたりの土は1メートル持っていかれた。防波堤の下には砂がない」
陸まで持ち上げられた船だそうです。英2文字は都道府県名で「MG」は宮城の船の印です。
復興途中の、妙に小綺麗な市営住宅になにか寂しさを感じたり、土を盛っている工事中のところを見て、頑張ってくださいと思ったりしながら気仙沼をあとにしました。
一関に戻って、前沢牛を食べに出ました。
前沢牛のロースとカルビ、岩手短角牛だそうです。
タンと冷麺もいただきました。
以上1日目でした。