1日南部探訪(東御廻りを中心に)其の一

友人にクルマを出してもらって、南部を廻りました。

私は沖縄ではクルマを持っておらず、いつもは路線バスと歩きなので、保栄茂(「びん」と読みます)の交差点が見つけられなかったり、受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は未だ行ったことがない、という状況でした。今回は友人のクルマがあるのを幸い、東御廻り(あがりうまーい)を巡り、さらに過去の宿題(見つからなかったトコ)を片づけることにしました。

東御廻りとは、琉球を作った神様のアマミキヨがニライカナイからやってきて、田んぼを作ったり、グスク(城)を作って住みついたところ(霊場)を国王や聞得大君(きこえのおおきみ:チフィウフジンガナシ:最高神女)が巡礼したことに始まります。

その① 園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)

東御廻り(あがりうまーい)の出発点。首里城にある世界遺産です。皆さんもご存知だと思います。ここは何度も訪れたことがあるので、パスにしました。

その② 御殿山(うどぅんやま)

 拝所(うがんじゅ)とは、神様が存在または来訪する聖域で、祈る場所です。御神体はありません。ここ御殿山は天女が降り立ったところだそうです。国王、聞得大君が久高島(アマミキヨが降り立った島)に渡るときの発着地だったそうです。

その③ 親川(うぇーがー)

 聖泉です。霊力を授かるそうです。御新下り(うあらうり)のおりにはお水撫で(うびぃなびぃ)の儀式(再生)が行われたそうです。祠の真ん中に三つ巴の紋がありました。

 親川の公園の敷地にこんなのがありました。与那原の大綱引きも有名で、盛んです。残念ながら開館は午後からで、入れませんでした。

その④ 場天御嶽

 琉球を統一した尚巴志の祖父、佐銘川大主(さめかわうふぬし)が祀られている御嶽(うたき)です。場天となっていますが、地名では馬天のようです。

急坂を自転車を押してきたオジーの話だと、山崩れで流されて場所が変わったそうで、周りにはイビ御嶽、上場天御嶽、下場天御嶽などが点在しています。

そして、きっと当時のままであろう石畳道がありました。

その⑤ 佐敷上グスク(さしきうぃぐすく)

 尚思招、尚巴志親子の居城あとです。写真は月代宮(つきしろのみや)です。8代の王様を合祀しています。とても神聖な感じで、気持ちの良いところです。ウグイスも鳴いていました。雰囲気だけ、22秒の動画です。

  とても大きな相思樹がありました。大きいのですが、枝先には小さな黄色の花がしっかり咲いていました。ご存じの方も多いと思いますが、「相思樹の歌」はひめゆり部隊の生徒さんたちが唄っていた歌です。 ・・・切ないので、ここには詳しくは記しません。お調べください。

その⑥ テダ御川(てだうっかー)

 拝んで(うがんで)いる先客がいたので、遠景です。ティーダ(太陽)の神様が降り立ったところで霊泉があったそうです。国王や聞得大君が久高島参拝のときにはノロ(ヌルとも。祝女と書く。私の解釈では世襲の女性国家公務員)がオモロ(古歌謡)を謡って航海安全を祈念したのだそうです。

駐車場から380m、海岸を歩いていくのですが、これが気持ちよかった。適度な風が吹き、向こうには久高島、エメラルド色の海。 綺麗。

アダンが熟れていました。 下を見ると 初めて見ました。この実の繊維が丈夫で、草履を作ると聞いたことがあります。

その⑦ 斎場御嶽(せーふぁうたき)

皆さん、ご存知ですよね。ここも何度も行ったことがあるので、今回はパス。

番外1 昼食

 こちらのランチビュッフェを食しました。結論は「正解」でした

  あまり言うことをきかないペッパー君が出迎えてくれました。(僕が彼との付き合い方を知らないのでしょう)

 しゃぶしゃぶしていただく温野菜、グラパラリーフ(カルシウム豊富)、ケイヌ、ビタンカ・・ 何だかわかりません。

で、お代わり。 と、これだけ一人で食べたわけではありませんよ。

さらにデザート・・ 黒人参茶です。濃い紫色で、山盛り入れると真っ黒です。美味しいとまで言わないけど悪くない、です。

さて、やっと午前中が終わりました。午後の道中はまた次回です。

南部探訪(東御廻りを中心に)其の二 に続く

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