くにたち市民オーケストラ 第45回ファミリーコンサート ベト7第2楽章インスパイア

4月23日府中の森芸術劇場に行ってきました。コロナ禍になってから3年間、ホールはお預けにしてました。 友人がステージに乗るというので行ってみることにしました。トラ(エキストラ)なのか、団員になったのかは聞きそびれました。

府中の森芸術劇場どりーむホールは結構な大箱で、定員2000人です。それが入場無料。ファミリーコンサートというくらいでして、「3歳以下のお子さまの入場はご遠慮ください」・・ということは幼稚園からOKということです。

こりゃ覚悟がいるなと思いつつ、友人の出るコンサートだし、折角の機会と思い、出かけました。

プログラムは、アタマがチャイコフスキーのイタリア奇想曲、サブメインがリムスキー・コルサコフのスペイン奇想曲、メインがベートーヴェン交響曲第7番、という華やかな(賑やかな)曲目集です。

大箱でしたが、コロナ禍終息は未だしの中、適度な空席は助かりました。ただ、左にイッコ空けたお隣がおチビさんで、ちょっと参りました。しかし、休憩でお帰りになり、というかホール全体でも休憩の間に、そろってチビちゃんたちがいなくなり、ちょっとした張り詰めた、というほどではないにせよ、ピッと緊張感のある空気になりました。

ベートーヴェンの7番です。prestoの第3楽章から熱狂の第4楽章がお好きな人もいらっしゃるでしょうけれど、「なんたって第2楽章だ!」という人は多いでしょう。筆者ヘンデルもです。

「永遠のアレグレット」と呼んだのはワーグナーだそうです。楽章を通じて、単調なリズムを貫き、変奏部に入ってもセロとコントラバスは同じリズムを刻みます。それに繰り返される主題とオブリガードが絡みます。心に浸み込むような、抱きしめたくなる旋律と和声が展開されます。 でも、スコア(総譜)をみるとムッチャ、シンプルです。ffでは「タン、タ、タ、タン、ターン」のリズムが体に叩きつけられます。筆者ヘンデルはこの単純の美とでも言いましょうか、これがベートーヴェンの神髄だと思っています。

汚い色の塗り方で申し訳ありませんが、中段から下、ホルン2本、トランペット2本、ティンパニ、1stバイオリン、2ndバイオリン、ビオラ、セロ、コントラバスまでが全く同じリズムを叩きつけてくるのです。前の方の「抱きしめたい」からうって変わって「もう参ったよ、降参だから!」って思います。

さて、今日はベト7の「永遠のアレグレット」にならぶ、美しい曲を考えてみました。

アレグレットつながりでいくと、ポコ・アレグレットですけれど、ブラームス押しの筆者ですから、まずブラ3(ブラームス交響曲第3番)の第3楽章です。セロとバイオリンが奏でる主題が、不安定なリズムなんです。音楽学としてなんと解説されるか素人にはわかりませんが、そのメロディーに哀愁を感じてしまいます。

明るいロマンチックでたまらん、というのはドボ8(ドボルジャーク交響曲第8番)の第3楽章、アレグレット・グラツィオーソ(優美に)です。この踊るような、でも胸を締め付けるような旋律はたまらんです。

美しい、ということならチャイ5(チャイコフスキー交響曲第5番)の第2楽章です。チャイコの特徴、超々甘美な旋律がホルンによって奏でられます。ご存じでしょうか、チャイ5の2楽章はアンダンテ・カンタービレ(歌うように)なんです。

チャイコのアンダンテ・カンタービレと言えば、これは条件反射で弦楽四重奏曲第1番の2楽章、通称アンダンテ・カンタービレなのですが、筆者には交響曲5番の2楽章がド真ん中なのです。

アンダンテ・カンタービレつながりでいけばラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」第18変奏がアンダンテ・カンタービレですし、後半難曲になりますけれど、メンデルスゾーンのアンダンテ・カンタービレとプレストアジタート 変ロ長調もたまらんです。

さらに「美しい」をついでに。あくまで筆者ヘンデルの好みですけど、もうちょっと。

ラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は外せないでしょう。

マスネーのオペラ「タイス」の間奏曲、いわゆる「タイスの瞑想曲」は アンコールの定番ですね。

本日のお話のトリを務めますのは、マスカーニ の「カバレリア・ルスティカーナより間奏曲」です。1幕物のオペラで、舞台転換の時に演奏されます。これが、凄いんです。戦争に行っている間に間男されて、帰ってきて、そいつとこれから決闘だ、という場面で流れます。これから凄惨な場面が待っているのですが、それとは真反対な、青白く透き通ったような美しい旋律が、胸を締め付けます。

クラシックファンの皆様、お一人おひとりに好みはございましょう。ベト7第2楽章にインスパイアされて、筆者ヘンデルが頭に浮かぶのはこんなところです。

チェリビダッケのベートーヴェン、ブラームスの交響曲を紹介します。

先日、高校時代の友人LINEグループで、このリンクが貼られました。

チェリビダッケのベートーヴェンの交響曲第9番合唱付きの第4楽章です。非常に独創的な演奏です。それに、この写真は筆者ヘンデルの知るチェリの様子とはだいぶ違います。けど髪の毛を振り乱しているのは置いといて、顔の造作は確かにチェリのようです。

第九については本ブログ1月15日でも取り上げました。今日はチェリビダッケについて語りたいと思います。

チェリって最近はTUBEのおかげもあってでしょうけれど、一般でもよく聞く名前になっているようです。でもちょっと前(ちょっとと言っても30~40年前・・)はコアなクラシックファン以外には、なかなか知られていなかったのではないでしょうか。

なにせ録音嫌いなんです。どこまで本当なのか、筆者は(ネットで調べても)よくわかりません。生前の録音は1枚だけと言う人がいて、それもチャリティ用だ、とおっしゃるブログもありました。モノラル時代の録音は、ある説もありました。

今ある録音は没後発売された、遺族公認の正規盤だそうです。ほとんどがライヴ盤です。それまでは海賊盤しかなく、録音自体ひどいものだったそうです。

録音嫌いの彼の言い分は「音楽はその時の一瞬だ。コンサートホールによって残響時間も違う。複製には価値がない」というものでした。

実は筆者ヘンデルはチェリが初来日した1977年、読売日響を振ったとき、そのホールにいたのでありました。恥ずかしながら、実はその時の曲目を覚えていません。多分ブラームスだと思うのですけれど。(ブラームスファンの筆者のことですから)

いまネットを見ると「遅い」という人が多いようです。筆者ヘンデルは当時、カラヤンよりもカール・ベームに心酔しておりました。そのせいか、チェリを聴いても「遅い」とは感じません。今聴くと、2楽章とか、ひっぱるな~という気はしますけれど。逆にカラヤンは速くて、なんかせわしない気がしているのです。

多分、録音嫌いのチェリに対して、録音大好きのカラヤンが、今の世代にとって聞きなれた「標準」になっていて、一方チェリは「独創的」になったのではないかと思います。 ・・ちなみに今でも筆者ヘンデルにとってはベームが「標準」です。

フルトヴェングラーがナチ協力疑惑で演奏が禁じられた時代、チェリがベルリンフィルを振っていました。フルトヴェングラーが1947年に戻ってきた際、ベルリンフィルはチェリの毒舌、偏屈に辟易としていたそうで、フルヴェンの後はカラヤンが首席指揮者に就任した、という流れでした。

当時、人気はチェリの方が高かったそうですが、一説には彼がルーマニア人だったから降ろされた、とも言われます。 んなこと言ったらカラヤンだってザルツブルク出身のオーストリア人じゃん、と思いますけどね。。

なんともチェリらしい録音を紹介します。アマゾンミュージックのものなので、ワードプレスに埋め込めるかどうか、わかりませんけれど、やってみます。

https://music.amazon.co.jp/albums/B00BK65GOI

昔から、曲が盛り上がってくると「うなり声」が聞こえる、という評判ではありました。この録音は明確にオケと一緒に「唄っている」、または感に堪えず「うなっている」、または本番中にもかかわらず「オケに指示を出している」ことがわかります。

これを含めてチェリなんです。

NHK クラシック音楽館「指揮者なしのオーケストラ 第九に挑む!」これは凄い。

表題の番組は、兄弟で「迫力のマルチ画面!指揮なしのオーケストラ第九に挑む」という番組もあります。二つの番組は実は同じコンサートのドキュメンタリーです。

前者は「トリトン晴れた海のオーケストラ」が指揮者なしで、ベートーヴェンの交響曲第九番を演奏者が楽譜から作り上げる物語でした。私はこれにシビれまして、録画を3度見ました。

年末、後者の放送があり、これは第九を通しで見せて(聴かせて)くれました。これが感激モノで、鳥肌が立ちました。最後はプレーヤーの映像も手伝って、ウルウル来ました。演奏者一人一人の呼吸、視線が良くわかりました。久しぶりに集中して聴き通しました。コンサートホールではない第九に、これほど集中したのは、いつ以来かと考えてしまうほどの名演でした。

過去、私が一番シビれた第九はフルトヴェングラーの「バイロイトの第九」(1951年録音)でした。 45年以上も前、私が学生の時、三畳一間の下宿で、FMラジオから流れた第九に「ホルン、落ちたよ(音をはずした)」と思いつつ、4楽章では感動と感激で涙したものでした。もちろん、当時のことですから、のちに「バイロイトの第九」と呼ばれる名演奏だなんて知る由もありません。 ・・ん~、なんて感受性の豊かな時代だったのでしょう。

余談です。 年齢を重ねるごとに、残念なことに感受性は薄れ、音楽で涙することはなくなってしまいました。(それに絶対音感を持っていたのですが、加齢により今ではほぼ全音、高く聞こえてしまいます。スコアを見ながら聴くとき、目と耳で修正が必要です)

指揮者なしの「晴れオケ」の第九は。ひょっとしたら、学生の時以来の感激だったかもしれません。

番組はコンサート・マスターの矢部達也さんが「皆さん100回とか200回とか弾いた方もいるかもしれないんですけど(300回くらいやってる、の声)、そういう経験とか蓄積とかノウハウはものすごい大事なんですけど、とりあえずそれは今置いておいて、今はじめて楽譜を見てやっているという感じでいきたいんです」という言葉から始まります。

ご覧の通り、アタマは2ndバイオリンとチェロの「刻み」で始まります。セコバイのトップ、双紙正哉さんの呼吸で、チェロとアイコンタクトを取りつつ始まります。(指揮者がいないから)

するとコンマスの矢部さんが「あのー、出だしのところなんですけど、なんでトレモロじゃないんでしょうね?」

双紙さん「やっぱり6連符って、16音符でもないし32分音符でもないし、6連。6連が(ベートーヴェンは)欲しかった・・」

確かに6連符です。ベートーヴェンは音の「6つの粒」が欲しかったはずだ、と彼らは思いました。

演ってみると・・・ 矢部さん「すごくいい感じだと思う」 するとコントラバストップの池松宏さん「(音が)でかすぎると思うんだけど」「なんか合うことにすごい神経がいってる気がして、それよりも。なんかね」

それぞれプロオケのコンマスだったり、首席奏者で芸大教授だったりする人たちが、こんなに自分の思いを表に出してをぶつけあうのです。凄いです。

実は筆者ヘンデルは学生オーケストラの一員でした。ニックネームがヘンデルってくらいで、クラシックファンです。本ブログのドメインはブラームス-シンフォニー . ネットです。学生のアマチュアオケの団員としては、指揮者の指示、意図通りに演奏すれば良くて、褒めてもらえれば嬉しくて、そうすれば良い演奏になった、というのが正直なところです。指揮者の先生から解釈を教えてもらうと、「そうなのか!ブルックナーはそう描いたのか!」と目を丸くするような、純真な若者だったのでありました。

番組のナレーション  晴れオケのメンバーは、何十年という時間を楽器の演奏に捧げ、音楽と対峙してきたプロフェッショナルです。それぞれの経験と能力を持ち寄って、一つの音楽を作り上げる、晴れオケの演奏の魅力はそこにあるのです。

番組は「見せ場で輝くプレーヤーを堪能すべし」となります。登場するのがセコバイ2列目の直江智紗子さんです。彼女は神奈川フィルのセカンドのトップです。

自分の映像を見ながら 「弾いちゃってますね~。ここ大好きなんですよ」「セカンドの刻みの真骨頂」

1stバイオリン3列目の会田莉凡さん(札幌交響楽団コンサートミストレス)「ちーちゃん、めっちゃ弾いてると思ったら、双紙さん(セコバイトップ)その倍くらい(弾いてた)、なんか」  

要はセコバイの皆さん、シビれまくってたってことですね、プロなのに。 それは、羨ましいです。

次の登場はティンパニの岡田全弘さん(読売日本交響楽団首席ティンパニ奏者)

ここでは間違いなく、ティンパニが場を支配しました。指揮者でした。

「自分が誰にも合わせないで、その前に来たテンポのまま叩いてる。皆さんが僕の音を聴いてくれてるんですよね。これ、聴かないと合わないんですよ」

数年前の記憶で、プロ・アマ混成オケでしたけど、エロイカ(ベートーヴェン交響曲第3番)を聴いたときに、プロのティンパニ奏者が指揮者と、寸分のゆるみの無い一体感でステージをリードした演奏を鮮明に覚えています。その時も感銘を受けたのですが、今回の晴れオケのティンパニ、岡田さんはその時、指揮者だったと思います。

見せ場で輝くプレーヤーは派手な音ばかりではありません。1stバイオリンのトップサイド、渡邉ゆづきさん(都響副首席)の言葉。

「(コントラバスの)池松さんのD(デー:レ)は本当に『春が来た!』みたいな感じで、すごいあったかい音だったので、もうこのレの中で全部弾こうと思って(笑)」

池松さんは凄い人だと存じ上げていますが、それにしてもプロのバイオリニストからピアニシモの音に対して、最大級の賛辞です。

会田莉凡さん、映像を見ながら「あ~、今んとこなんで矢部さんが振り返ったのかって、なんでだっけって思い出した」 直江智紗子さん「なんでだっけ」

※すみません。画像が何故かサイズの変更が出来ず、アップできません。第2楽章322小節目、(U)の手前です。

莉凡さん「タッ、タッ、タッ、タのピチカートを、私最後のリハーサル、ゲネプロの時に『これってクレッシェンドしないんですか?』って言いに行っちゃったんだよね」(笑) 直江さん「へぇ~」

莉凡さん「ピチカートのクレッシェンドもしていい?」 矢部さん「もちろん、しましょう」 「あんまりしてるように聞こえなくて」 矢部さん「そうだね。聴きすぎて」 莉凡さん「三列目だから・・・」

さすがのリボンさんでも、大先輩の矢部さんには相当、遠慮しつつも、ぜんぜん遠慮してない様子がとても可愛らしかったです。実は私の旧勤務先の同僚に、相当レベルの高いアマオケのバイオリニストがおりまして、彼女がリボンさんやコントラバスの池部さんを存じ上げているのです。

では最後のエピソードです。 実はここでもお見せしたい楽譜がアップロードできません。でも第九の4楽章、有名で印象的な、それまでの1楽章、2楽章、3楽章の音楽を否定するチェロとコントラバスのレチタティーヴォ(語るように)のところです。そもそもこのチェロとコントラバスの曲調が「人が語るような」どころではない流れであり、演奏なのですが、なんでもこのあとのバリトンの独唱に連なるものだそうなので、それはそれです。

ゲネプロ(ゲネラル・プローベ:最後の通し稽古)のあとで、コントラバスとチェロの人たちが残っています。 コントラバスの池部さんとチェロのトップ、山本裕康さんが話をしているのです。

チェロとしてはコントラバスの音の上に乗りたい、のだけれど、チェロはコントラバスの前に座っているので、タイミングが取れない。(指揮者がいれば、思い通りのことができるのだが)という話で、結局、同時に出ることで速度が速くなることになりました。コンマスの矢部さんはオーボエの広田さんに、広田さんはトランペットの高橋さんに、本番前に連携したのでした。 結果、本番では聴いたこともない、ムッチャ切れの良いレチタティーヴォになりました。

チェロの山本裕康さん「こんだけ大勢の人がまったく違うことを考えてても、ひとつのことに向かって必死になってる、そういう瞬間ってなんか尊いですね」

コンマス矢部さん「同じ楽譜であっても、いろんなメッセージをみんなが受け取るんだけど、それも含めて全部許容するのがベートーヴェンの偉大さだと思うし、この音楽が何百年も生き残ている理由っていうのは、そこにあると思うんですね」

私は音楽ってのは「アンサンブル」だと思っています。太古の昔、遠くの仲間を呼ぶのに二人で大声を出したら、たまたまハモッた、これが原点ではないかと思っています。(←個人の見解です) その極大化した形が80人のオーケストラではないでしょうか。

私は好きで縦笛、横笛を吹くのですが(どちらも全く独学)、誰かとお互い初見で合わせるのが大好きです。初見の楽譜を演奏するときには、目前の楽譜と自分の音と隣の人の音しかない、すべての感覚が集中した、純粋な時間が流れるからです。そんな時間はもう何年も経験していませんけれど。

またいずれ、音楽の話でお会いします。