初めての北海道 3泊4日の旅 最終日

まず北海道大学に向かいました。

まるで公園です。

 子供たちが遊んでいました。

古河講堂です。 古河財閥の寄付だそうです。

総合博物館です。 期待通りの充実ぶりで、丹念に見てまわりました。

ナウマンゾウです。

なんだか忘れました。

一服して, 

農学部のソフト食して

外に行ってポプラ並木です。 

素敵なところです。

北海道大学をあとにして、向かったのは大倉山ジャンプ場です。地図で数キロだったので、時間節約のためタクシーで向かいました。

 上から見ると目が眩みそうなエスカレーターです。

 ジャンプ場全景です。

ナショトレ 

リフトで登ります。

 踏切台です。

てっぺんです。 選手は海に向かって飛んで行きます。

帰りは怖かった。まるで垂直に降りて行きます。

札幌オリンピックミュージアムに行きました。

お子様向けかもしれませんが、他にお客さんもいなかったので、ジャンプのシミュレーターをしっかりやらせてもらいました。137mのジャンプで、係のお姉さんは「立派です」と言ってくれました。ボブスレーの体験シュミレーターもありました。一人でしたけど、やってみました。画面のカーブに合わせて体重を右に左に動かすのです。スケルトン、リュージュなどとともに体験してみたいスポーツの一つだったので、満足しました。

真央ちゃんのスーツです。

日の丸飛行隊(笠谷・金野・青地)の板です。(知ってる人は減ったでしょうね)

ということで、初めての北海道旅行は終了しました。

お土産の数々です。

初めての北海道 3泊4日の旅 三日目

今日は札幌発の「旭山動物園と青い池バスツアー」です。12月の平日金曜なのに、15名の参加でした。

さて、動物園入り口からの光景です。

とにかく、このシロクマ君にしびれてしまい、シロクマ君だけで31枚も写真を撮ってしまいました。

 TVの映像で、プールにザブンと飛び込む絵がよくありますが、あれって実は・・ 水槽の前にいる僕たちの頭が水の上に出てて、アザラシだと思って本能的に飛び込んじゃうんだそうです。・・あ~、そうだったの。。

でっぷり太ったアザラシ。僕みたい。

 タヌキと目が合ってしまった。

木のコブが2つあると思ったら フクロウでした。

残念ながら金網に焦点が合ってましたが、あまりの可愛さに削除できず、掲載します。

キタキツネって巣穴であったかくして寝るのかと思っていましたがこの通り。 雪のなかでも平気なようです。

旭山動物園内です。 広い園内ですが、散歩するのもいい感じです。

ただ、残念なことが1つ。公園内レストランで最安値メニューがこちら。 旭川ラーメン、1,000円です。これがガッカリ。観光地料金とは言え。。 旭山動物園の入園者数はピークから半減したそうです。こんなことするからじゃないか、と毒づいています。今年はパンダでもっと減るでしょう。こんな事しちゃ、いかんな~。食いモンの恨みは恐ろしいんだから。

それはともかく、JAの美瑛選菓に寄って、いよいよ青い池です。つもりとしては、12月上旬はまだ氷っておらず、周りは雪で白く、青い池が眺められると思っていたのですが、今年は寒く、もう真っ平の真っ白らしいのです。ちなみに青い池は地理的には「水たまり」なのだそうです。

バスの車外気温を見るとマイナス11.4度です。どんな凄いことかと思いましたが、体感はそうでもありません。着る物着て、履くものを履けば大丈夫、ということでした。ユニクロの極暖は凄い。ユニクロの「今日は暑いからもう1枚着る」というのは信用していませんが、極暖は効果大だと思いました。

青い池です。 綺麗。

照明の色が変わります。

その後、白ひげの滝に行きました。 滝壺は青いそうですが、夜ですから見えません。水煙が上がっています。これ、空気が冷たいので、湯気なんじゃないでしょうか。

夜10時、ホテルに到着し、三日目を終了しました。

 

初めての北海道 3泊4日の旅 最終日 に続く

 

初めての北海道 3泊4日の旅 二日目

ホテルの窓から見る朝の函館山です。

楽しみにしていたラビスタ函館ベイの朝食です。 イクラ盛り放題です。お代わりしたいのですが、「もう入らん、これをトシと言うのか・・」と思いました。

部屋には自分でコーヒー豆を挽くセットがありました。 美味しかった。

小樽に向かいます。 スーパー北斗です。飛行機との選択で、雪原を見たいとうこともあり、料金的にもグリーン車を奢りました。

 鈍色の海です。

小樽は駅から海が見えました。

 旧日銀小樽支店(歴史的建造物)です。

その中、窓口です。 

「誰が来るんですか?」と訊くと、館長さんが出てきてくれました。

「(民間)銀行が預けにくるんです。預金準備・・」 私にはこれで分かりました。「第一銀行や三井銀行がくるんですね。今は準備率はないけど」 日銀OBであることは明らかでしたので、ここぞとばかりにいくつか質問をしたのですがここでは割愛します。

日本銀行那覇支店は、予約なしで入れる見学室のある唯一の日銀支店なのですが、お土産グッズはありません。

ここ旧小樽支店は一応商業施設らしく、グッズ売り場がありました。小樽支店の建物の形をした箱に入ったクッキーを買いました。これが凝っていて、蓋を開けると金庫のフタがまたあるのです。

次は小樽運河です。

 雰囲気あります。

小樽市総合博物館の展示物の1枚です。 こんなに船があって、今の東京湾以上ですね。

下駄の爪掛けです。雪仕様なのかな。 こんなの、あ~、あったな~って感じで超久しぶりに見ました。

こんな大きな倉庫もありました。

売り家です。 二重玄関です。沖縄のコンビニを思い出しました。沖縄は台風の風対策なんですけどね。

 札幌に戻って、ご当地パンを買いました。北海道の人には懐かしいかもしれません。

札幌に戻って、夜です。地元居酒屋で食事して、時計台を見て、大通公園に行くとイルミネーションがありました。

ということで二日目が終了しました。

初めての北海道 3泊4日の旅 三日目 に続く

初めての北海道 3泊4日の旅 一日目

北海道には行ったことがありません。行くなら冬だろう、と思っていました。とは言え、最高気温がマイナス、とか想像がつきません。会社の北海道出身者に訊きました。首回りの保温と雪靴が必須とのことでした。

ネットで見ると、アイスバーンではスパイクというか滑り止めがないとダメみたいなことが書いてありました。一方で、道民であんなの付けるのは小学生だけだという文章もありました。そんなこと言っても滑って転ぶのは痛いし濡れるので、雪靴と合わせアマゾンで購入しました。

羽田から函館に入りました。まず向かうは五稜郭です。 この美しい形を見ることが今回の旅行の目的の1つでした。土方歳三が、榎本武揚がここで戦ったのかと思いを馳せました。。

箱館奉行所です。

私には珍しく、美しい雪景色です。

ラッキーピエロがありました。 ハンバーガーショップです。道南にしか出店せず、顧客志向で、地元ではトップシェアをとる戦略です。娘が自営業を始めるとき、ラッキーピエロの社長さんの本を買って、読ませました。

看板メニューのチャイニーズチキンバーガーです。

店の雰囲気はこんな感じ。  窓の向こうはフェリーです。

石畳の八幡坂です。

ナナカマドです。 函館は大火が何度かあり、街路樹に防火林として植えられたと聞きました。

高田屋嘉兵衛資料館に寄りました。北前船の高田屋です。私の貸し切り(他に誰もいない)でした。沖縄生活が長い私には、北前船が琉球まで来ていたことを知っています。昆布を中国に密貿易する中継地でした。でも高田屋嘉兵衛は来てなかったようです。

函館市北方民族資料館です。 ここも私の貸し切りでした。展示物は興味深く、アイヌの切り紙紋様は期待通りでした。

ここで大きな疑問が生まれました。アイヌ民族とはよく聞きますが、琉球民族と言わないのは何故だろう、ということです。

アイヌの言葉の日本語との対照表をみると、一つ一つの単語は私にはまったくわからないのですが、文法が日本語と同じなのです。英語や中国語は「主語+述語+その他」の順序ですが、日本語とアイヌ言語は同じ「主語+その他+述語」という順序なのです。

ウチナー口(沖縄方言)も同じです。聞いただけではヤマトンチュ(本土人)の僕には理解不可能なのですが、文法は同じです。この点について、資料館で説明を求めましたが、「今日は学芸員がいない」とのことで話は聞けませんでした。

そもそも民族って何でしょうか。そっちの方はまったく知識がありません。思わずその場でWikiを引きました。

民族とは土地・血縁・言語・宗教・伝承・社会組織などの文化的特徴で区別される共同体だそうです。でも一致しない場合が多く、民族概念への帰属意識なんだそうです。

6年間のオタク沖縄生活のなかで知っています。上記の文化的特徴という点では琉球は十分だと思います。でも、立場によって感じ方は違うと思いますが、20歳前後から50歳前後のウチナンチュ(沖縄生まれの沖縄育ち)から民族という言葉を聞いたことがありません。

素人の私の意見としては、沖縄の混血度合いの高さと開放性のような気がしています。琉球は北海道の昆布からマレーシアの胡椒、紫檀まで海洋交易が盛んでしたし、中国や朝鮮半島から多くの人が渡来し、定住しています。約600年前の三山抗争のころ、鎧は日本風でした。チャンプルー文化とは言いえて妙です。沖縄なのに真っ白い肌の人、毛むくじゃらの男性(これは多い)、南方体型の人、内地よりは多様な人たちで沖縄は構成されています。(と思っています)

これが「琉球民族」という言葉が一般に使われない理由だと思います。この件については今後も調べていきたいと思います。

いったん宿に戻って、ホテル敷地の高級回転ずしで腹ごしらえしました。 ショウガの乗った赤い肉はクジラです。

その後、函館のもう一つのメインイベント、函館山の夜景見物に向かいました。観光バスです。夕方から雪が結構な吹雪になり、キャンセル続出らしく、参加したのは4名でした。ロープウェイを降りると雪がやんでいました。 見事な夜景です。手前と奥がガスっているのは雪です。今日の函館は最高気温マイナス4度だったそうで、函館山が何度なんだかわかりませんが、相当な寒さと思われます。でも15分か20分の滞在時間では冷え切るまではありませんでした。

ホテルのすぐ前です。 Windows10のロック画面でみたツリーがありました。

ホテルの窓からです。時間によって色が変わります。 

ホテルの屋上には温泉があり、生まれて初めて、氷点下での露天風呂を味わいました。

北海道旅行1日目はここまでです。宿のラビスタ函館ベイは「朝食の美味しいホテル」でなんかのサイトで7年連続第1位だそうで、楽しみです。

初めての北海道 3泊4日の旅 二日目 に続く

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その4(最終回)

 平泉2日目は中尊寺さんをゆっくり廻る目的で、JRで一駅、一関から平泉に向かいました。るんるんバスまで40分あり、観光案内所に行くと「あなたの足なら20分、タクシーでも1,000円かからないよ」と教えられ、月見坂のしんどさを昨日知っている僕はタクを選択しました。

違うコースで行くと、新しい発見はあるもので、中尊寺ハスの池がありました。 ご存知、四代泰衡の首を入れた首桶から出てきたハスの種が800年の年を超えて花を咲かせたものですね。

正面にはこんなお堂がありました。

 この素敵な坂を超えるとすぐ金色堂です。

讃衡蔵の売店で音声ガイドを借りました。お土産を買ったり送ったりして、ここのお姉さんには親切にしてもらいました。平日の朝ということもあり、他にお客さんが一人もいなかったこともあると思います。

昨日はお昼を食べる間もなく観光とお参りを優先し、寒さもあいまってここの売店で甘酒をいただいたのでした。

讃衡蔵の仏像や収蔵品を、音声ガイドに従って、すべてを相当ゆっくりと拝観しました。ほぼ貸し切りなのはありがたかったです。

金色堂では仏像の一人ひとりのお顔までよく拝見しました。7倍の単眼鏡を持忘れてきたのが残念でなりません。光背の彩色や、台座を飾る螺鈿や、高欄というのでしょうか、木材の角には象牙をはめ込んである様子など、よ~く眺めたかったのです。この画像は画像まとめサイトから拝借しました。

でも、昔の人はこんなに近くで眺められたはずはなく、全体として極楽を模したお堂を見たのだろう、と思い納得させました。

ただ、以前NKKスペシャルで見た、須弥壇の4㎝×4㎝の螺鈿は確認しました。沖縄の夜光貝を持ってきたそうです。沖縄で琉球漆器の工房にお邪魔したとき「中尊寺には4㎝×4㎝の螺鈿があるって聞いた」と言ったら、職人さんが目を丸くしていた代物です。ついに見ることができました。

音声ガイドはパンフの文字をクリックすると、その場の説明が流れる仕組みで、毛越寺さんなどを含め平泉中の名所名跡をカバーしています。昨日の復習ということで全て拝聴しました。

なんだかんだ5時間くらい中尊寺さんに滞在して、歩いて平泉の駅に向かいました。途中、卯の花清水に寄りました。 

芭蕉に同行していた曽良(そら)が、義経のために老体に鞭打って討ち死にした兼房を称えて「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」と詠んだのです。もっとも兼房は架空の人物だって聞いたことがあります。

テクテク歩いていくと、無量光院跡に出ました。 今、発掘の最中です。

早めに駅に向かったのは、盛岡以北で低気圧による強風が吹いていて、東北本線が遅れている、と知ったからです。駅に着くと、運休もあったけど、95分遅れ!ですがとにかく動いていることがわかりました。

ここは「わんこ蕎麦」だ、と思い、芭蕉館に行きました。昨日のレンタカー屋さんのお兄さんも芭蕉館って言ってましたから、地元では有名なお店と思われます。 てっきり蕎麦をよそってもらうものだと思っていたら、今は写真のように自分で移して食すのがスタンダードのようです。中尊寺駐車場周りの蕎麦屋のサンプル写真もこうなってました。

95分遅れの電車で一関に着きました。警戒しすぎて新幹線まで2時間以上ありました。それで観光地図をみて、世嬉の一の酒の民族文化博物館に行ってみることにしました。

 

杉玉です。私の祖母の家が造り酒屋だったので、そうそう、こんなのもあったよな、って感じでした。

 

こんなポスターもありました。

駅まで戻って、まだ時間があり、喫茶・軽食の店に入りました。そこで見たのが「曲がりネギの蕎麦」の文字。昼にわんこ蕎麦食べたよね、と思いつつ、興味のほうが勝り、頼んでしまいました。

 確かに甘い。辛くない。ネットで見ると、育ったネギをいったん抜いて、斜めにしてまた土をかけるんだそうです。

その後新幹線はほぼ時間通りに発車、ず~っと、退職したら行くんだ、と思い描いていた中尊寺を訪ねる「気仙沼・平泉の旅」を終了しました。

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その3

中尊寺さんの町営駐車場に入れようとして「武蔵坊弁慶の墓」があるのに気づきました。

中尊寺さん入り口の月見坂です。 ご覧のとおり人影まばらで、伊達家が植えたという杉並木は立派なもので雰囲気があります。

結構きつい坂ですし、雪の影響か、ぬかるんでいます。ヒールのある靴を履いた女性とすれ違いましたが、滑ってすべって、左のロープにしがみついていました。

弁慶堂です。 背負っていた笈だの色々収蔵品があると書いてありましたが、シーズンでしょうか、扉が閉まっていて見ることができませんでした。

薬師堂です。

郵便ポストは雰囲気を損なわないためでしょう、こんな色でした。

本坊表門です。

本堂です。

大日堂です。 小ぶりなお堂ですが、入っている仏像はたいしたものです。中央に金剛界大日如来、左手には千手観音と脇侍、不動明王と童子、右手には胎蔵界大日如来と不動三尊が置かれています。しばらく動けませんでした。

次に讃衡蔵(宝物館)に向かいました。入ってすぐの、中尊寺本尊の阿弥陀如来坐像、両脇の薬師如来坐像に圧倒されました。一丈六尺の仏様の坐像ですから、2.67mの大きさです。その偉容は圧巻です。でも、しばらく拝顔しているとやさしいお顔に見えてくるから不思議です。

私に続いて高齢のご夫婦が入ってきました。ごく小さな声でお経をあげました。とてもうらやましく思いました。中尊寺さんは天台宗で、実は私も天台宗です。般若心経を覚えておきたい、と思いました。

紺紙金銀字交書一切経は期待通りでした。驚いたのは金字宝塔曼荼羅です。紺地に金で細かく宝塔が書かれているのは知っていましたが、本物を見て驚きました。宝塔の絵はお経で書かれていたのです。12世紀の美しいタイポグラフィーです。(なんでこんな言われ方しないのかな?)

金剛華鬘の繊細さにもシビれ、螺鈿にも感激しました。華鬘(けまん:仏堂などの飾り)を模した栞がこちら。

次に金色堂が待っているもので、後ろ髪を引かれる思いで讃衡堂をあとにしました。

TVなどの映像で見慣れた金色堂覆堂がこちら。 

金色堂と阿弥陀様は思っていたよりも小さかったです。直前に見た讃衡蔵の本尊様に圧倒されたあとだったからだと自分で思います。脇侍は観音菩薩、勢至菩薩で、地蔵菩薩6躯、持国天と増長天の計11躯で構成され、これが3対あります。すべてが金で覆われ、金ピカでありながら華美とは思えず、静謐のなかに荘重な空気を作っていました。なかでも驚きは持国天立像です。衣を翻し踊るようなポーズです。躍動感がある仏像は初めて見ました。 この写真は他のサイトからお借りしました。

お経をしまっていた経堂です。

白山神社能舞台です。 雰囲気バリバリです。

以上で中尊寺さんをあとにし、平泉文化史館に向かいましたが閉館していました。次は高館義経堂です。こちら。

供養塔です。

高館から見る北上川です。

その後、柳之御所資料館に行きました。完全貸し切りでした。藤原氏の政庁だったそうです。お寺と違い、生活感のある収蔵品が多く、面白かったです。

帰り道の平泉道の駅で見つけました。  「がんづき」と「じゅうね餅」です。見たことも聞いたこともないシロモノです。

レンタを返す時、お兄さんに訊きました。「がんづきって知ってます?」「知ってますよ」と即答でした。私の表現で言えば、蒸しパンです。「じゅうね」はエゴマです。

以上、気仙沼と平泉の旅2日目でした。

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その4 に続く

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その2

実はこの前々週12月初旬、北海道に行っておりまして、美瑛町でマイナス11.4度を経験しました。この時期としてはかなりの寒波で、当然、雪です。

気仙沼は海沿いだから雪がほぼ無いことに違和感はなかったのですが、内陸の一関・平泉は当然雪だと思い込んでいました。

ところが、雪はほとんどありません。いそいで前夜、ネットでレンタカーを予約しました。「るんるんバス」で廻ろうと思っていたのですが、助かりました。

レンタがあると、パスするつもりだった厳美渓や達谷窟(たっこくのいわや)見物が可能になります。

厳美渓です。 デコボコ岩に氷が張っていて、危ないです。すぐそこで立入禁止になっています。冬以外の季節に来るところです。

近くに達谷窟毘沙門堂があります。征夷大将軍坂上田村麿の創建という歴史です。 毘沙門天を祀っているのに鳥居があります。神仏混淆ですね。毘沙門堂がこちら。  岩をえぐってお堂を建てています。結構な迫力です。立派なお寺です。奥には大きな摩崖仏もあります。大分県で見た摩崖仏以来の大きさでした。

続いて毛越寺さんに向かいました。

大泉が池の州浜です。

 半分凍っています。

 写真では薄暗いとしか見えないのですが、とにかく人影まばらということも手伝って、森々とした杉の木立に囲まれて、鈍色に霞む空気は幽玄とした雰囲気でした。とても良かったです。浄化される気がしました。癒される、というのはこういうことかと初めて思いました。

実は翌日もう一日平泉を廻る予定にしていたのですが、毛越寺さんは記憶がすごく鮮明で、なぜか「記憶を大事にしたい」なんて思って、翌日二度目の訪問はしませんでした。

池中立石です。

池に水を引いた鑓水です。

 常高堂まえのお地蔵様です。お地蔵様と気楽にお呼びしますが、地蔵菩薩というくらいですから、仏様のなかでは如来に次ぐランクです。菩薩でも装身具をあまり身に着けません。日本では道祖神とごっちゃになっていると思っていますが、子供の守り神(仏様ですけど)としての信仰もあることから、親しみやすい姿かたちがほとんどです。多くの仏様の前では背筋が伸びるのですが、お地蔵様の前ではホッと力が抜けることが多いです。なかでも、このお地蔵様は微笑みをうかべているようであり、こちらも笑顔になりそうです。

宝物館の熊野三神像です。神様でも脇侍というかは存じませんが、真ん中の神様より右脇の椅像のほうが高いのは珍しく思います。 こんな写真を撮ってしまいました。撮影禁止の札が、探したけど無かったと思うのです。そんなはずはなかろ、とは思うのですが、とにかく貸し切り(入館者が僕一人)だったので、こっそり撮ってしまいました。

とにかく毛越寺さんにはシビれました。

観自在王院跡を横目に見て、次に向かったのが義経妻子の墓です。  義経公のお墓はここか、と感慨がありました。ここには駐車場がありません。12月というシーズンだから置ける場所があった、というところです。

次には平泉文化遺産センターに向かいました。ブラタモリの平泉編を見ていない方は、こちらにある毛越寺さんのCGをご覧になることをお薦めします。番組で紹介されたのと同じ、毛越寺さんの、今はない臨池伽藍と池に架かる橋をCGで再現したものを見ることができます。でも、今日の僕の感想としては「見てみたいけど、再建などせず、無くていい」でした。それほど今日の荘厳な雰囲気にマイッたのでした。

そしていよいよ中尊寺さんです。ドキドキしながら運転しました。

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その3 に続く

気仙沼と平泉 二泊三日旅行記 その1

中尊寺さんには、昔からお参りしたくて拝観したくてずっと機会を待っていました。

子供のころ何度も読んだ義経記(少年少女世界の名作文学、山本和夫著、川端康成監修)で僕のヒーローの1人だった源義経ゆかりの地であり、終焉の地ですから、ずっと行ってみたいと思っていました。

また、学生のころから始まった重要な趣味の一つである寺社仏閣巡り、お参りしての仏像拝観は大好きで、金色堂はどうしても行ってみたいところでした。

私は天台宗で、中尊寺さんはその東北大本山というご縁もあります。

何年か前のNHKスペシャルで取り上げられ、先月はブラタモリで紹介された場所でもあり、興味はいよいよ増すばかりでした。

それと、このたび旅行を実現するにあたり、もう1ヵ所寄りたい所がありました。

津波の痕を、この目でみておきたかったのです。後世に語り継ぐべきだと思っていますし、そのためにも体感しておきたかったのです。

宿は一関でしたので、気仙沼を訪れることにしてコンベンション協会語り部さんにガイドを予約しておきました。

一関から気仙沼行きの列車は2両編成の単線です。

気動車です。単線の気動車(ディーゼル車)てのは味わい深いです。久しぶり。

12時前、気仙沼駅に到着、まずは昼食です。事前に情報を得ていた「あさひ鮨」です。タクシーの運転手さんもお勧めでした。

海鮮丼  見るからに豪華です。

鮪のスジの串焼き  安くて旨い。お勧めです。

昼食後、いよいよ震災あとを巡るツアーです。

上のほうに「ここまで水が来ました」の表示板があります。

気仙沼港です。

建設中の防潮堤です。

盛り土をしています。 土留めの袋に数字が書いてあります。土留めは他県からの借り物で、返すにあたっての確認用なのだそうです。

民間の船は「〇〇丸」ですが、官庁の船には「丸」はつかないんだそうです。そういえば自衛艦には「〇〇丸」はないですね。これは水産庁の船です。 

 あとから来た船のロープは、すでに架かっているロープの下からくぐらせて舫うそうです。そういわれてみれば、そうじゃないとね。

 補助の申請が遅れた家は、まだ被害の痕がそのままです。

語り部さんが言っていました。「津波が来るとなったら、上へ逃げるんだ。40分あるからっていってもクルマじゃ渋滞で逃げられない」「引き波がすごいんだ。海岸あたりの土は1メートル持っていかれた。防波堤の下には砂がない」

  陸まで持ち上げられた船だそうです。英2文字は都道府県名で「MG」は宮城の船の印です。

復興途中の、妙に小綺麗な市営住宅になにか寂しさを感じたり、土を盛っている工事中のところを見て、頑張ってくださいと思ったりしながら気仙沼をあとにしました。

一関に戻って、前沢牛を食べに出ました。

 前沢牛のロースとカルビ、岩手短角牛だそうです。

 タンと冷麺もいただきました。

以上1日目でした。