ある文集に投稿した原稿を掲載しています。
~ ウチナータイム ~ ※ウチナーとはオキナワを沖縄風に発音したものです。
那覇市の市民憲章の3つめに 「私たちは 時間を守りましょう」 とあるくらい、時間にルーズなのがウチナンチュ(沖縄生まれの沖縄育ち)です。
私的な集まりでは遅刻は当たり前、互いにそれを不思議に思わない、その時間感覚を「ウチナータイム」と言います。いまでもウチナータイムを体感するのが結婚式です。
「披露宴が始まる時間には家を出よって感覚ですかね~」 ・・・と聞いたことがあります。
~ 沖縄の結婚式 ~
ご存知の方もいらっしゃると思います。沖縄の結婚式は300人~500人!の出席は普通です。お祝いは基本、皆さん一律壱万円です。
ウチナータイムだからでしょうか、席に着いた人から順に、好き勝手に飲み始めます。大皿料理は食べちゃいます。なので「乾杯!」のときには、すでに出来上がっている人もいます。
私は沖縄勤務の間、3回の結婚式に出席しました。会社の上司という立場なので、(すでに出来上がってる?)450人の前でスピーチするのです。1度は後ろのほうが大騒ぎで自分の声がよく聞こえず、絶叫していた覚えがあります。沖縄ではご家族、親族が前のほうに座るのです。
「余興が命」です。まずステージがあります。ステージ上で10組くらいの、プロ顔負けの相当凝った出し物があります。
そういえば、沖縄の獅子は毛むくじゃらです。 最後のお約束は、エイサーから全員参加のカチャーシーです。そうです、あの、両手を上にあげて、左右にヒラヒラ動かすお祭り騒ぎ、あれをほぼ全員でやるのです。
お祭りといえば・・・
~ 那覇のお祭り ~
〇ハーリー 5月子供の日までの3日間にわたるお祭りです。長崎で云えばペーロンです。港でステージライブあり、相撲大会あり、アトラクション(乗り物)まで出ます。毎晩花火があがります。
本来、神事であり地域対抗で競うものですが、一般競漕もあります。一般競漕では、赤い翼と青い翼の競争、警察と消防署の組み合わせ、空自、陸自、海自の戦い、なんて身の毛のよだつものもあります。 私もチームを作って参加しましたが、場所取りは1カ月前からでした。隣はUS NAVYの看板がぶら下がってました。ここに割り込まれる心配はありません。。
〇大綱挽き 10月の那覇大綱挽きも3日がかりのお祭りです。ギネス認定の、長さ200m、直径2mの綱を1万5千人で引き、見に来る人が30万人というお祭りです。米兵と思われる人たちも多く参加し、とにかく揉みくちゃで、まず綱に触るのが大変です。
40トンの綱は、とても動くと思えないのですが、それがズリ、ズリ、と何センチかずつ動くのは不思議な光景でした。
終了後、綱は短く切られ、皆が持ち帰ります。健康長寿の縁起物です。
〇エイサー 内地で言えば、盆踊りにあたります。写真は勤務先の忘年会での1枚です。各地の青年会が中心となって行います。従いまして、お盆の前には暴走族がいなくなる、なんて冗談もあります。
衣装を着て汗を飛び散らせ、全力で真剣に踊る姿はヤンキー兄さんも確かにカッコよく、沖縄の女性が「エイサーはヤバい」と云うのはわかります。
コザで行われる全島エイサー、那覇の青年ふるさとエイサーが有名ですが、味わいとしては「道ジュネー」です。お盆の時期に、地元を演舞しながら練り歩くのです。なんたって、地元ですし、踊り手と近いですから。
沖縄のお盆は、旧暦です・・・ ;
~ 旧暦 ~
沖縄ではお正月以外は旧暦で行事を行います。もちろん、旧正月も祝います。
旧暦3月にはシーミー(清明祭)です。お墓の前で、門中(むんちゅう:親戚一族)がそろってご先祖様を供養し、ご馳走をお供えして、皆で食する催しです。
沖縄のお墓は大きいのです。墓前には大なり小なり、空間があります。
糸満の幸地腹門中(こうちばらむんちゅう)のお墓はチョー大きく、5000人のご先祖様が葬られ、毎年のシーミーには1000人が集まると言われています。
旧暦5月4日(ユッカヌヒー)には糸満ハーレーです。 (那覇ハーリーは新暦子供の日に行います。那覇は「ハーリー」です)
糸満市では当日が平日の場合は、会社、役所、学校は公休日にしたり半ドンにします。
糸満ハーレーは海人(ウミンチュ:漁師)らしく、サバニ(船)を途中で1回転覆させ、水をかき出して、乗り込んでまた漕ぐ、という転覆バーレーです。
糸満市のある南部では、旧暦や門中を大事にするなど古い沖縄が色濃く残っています。ディープな沖縄と言えるかもしれません。
沖縄の行事として年間最大イベントはお盆です。
旧暦7月13日ウンケー(お迎え)、14日をナカヌヒ(中の日)、15日をウークイ(お送り)と云います。ご先祖様をお迎えし、お送りする3日間です。
私が沖縄に赴任したとき、引継ぎで
「お盆のとき、 長男の嫁は休みますけど、それは土地の風習ですから」
というほどのイベントなのです。もっとも、仕事を理由に家事がサボれて助かるという人もいましたけど。
~ 離島と「離島の離島」 ~
拙文が長くなりまして恐縮ですが、最後に、どうしても紹介したいと思うのが離島です。
沖縄で、「離島」というと宮古島と石垣島を指します。
離島といっても、どちらも人口は数万人、宮古空港も石垣空港も毎日数十便の飛行機が香港・台湾を含め、あちこちに飛んでいます。
宮古・石垣からさらに飛行機またはフェリーに乗っていく島のことを、「離島の離島」と表現します。たとえば西表島(いりおもてじま)、波照間島などのことです。
念のためですけど、NHKの天気予報では「先島(さきしま)諸島」と呼びます。
宮古島の人と石垣島の人の間には微妙な空気を感じます。どうも互いをライバル視していて、どちらも「あっちよりマシ」と思っているフシがあります。
薩摩の重税に苦しんだ琉球王府は、離島への締め付けをさらに厳しくしました。人頭税なんて税金をかけた歴史があります。納税能力に関係なく、一定の年齢になると税を課す制度です。一説にはですけれど、人頭税石といって143㎝ほどの石柱の高さに子供の身長が達すると、1人前の税金がとられたという石も残っています。
宮古島には「ドイツ村」があります。 なんで? 亜熱帯の宮古に何故ドイツ村? 違和感バリバリだと思います。私も最初は理解できませんでした。
実は明治時代、ドイツの商船が台風で座礁し、近くのイギリス船でも救助をあきらめたほどの海に、宮古島の人々が小舟を押し出し助けたのだそうです。
さらに、普段はコメも食べられないような貧しい島民が、鶏をつぶして食べさせ介抱したのだそうです。
その後、ドイツ皇帝から博愛記念碑を贈呈されています。
トルコのエルトゥールル号遭難事件は結構有名ですが、宮古とドイツの間にもこんな歴史があったのです。
歴史はともかく、離島は海の色が違います。沖縄本島も綺麗なところは多いですけど、離島は間違いなく、一段違います。 また、面白いことに、各島で色が少しずつ違う気がします。
私の「人生三大ビックリ」の1つは宮古島の海の色です。あまりのビックリに 「なんじゃこら」 と20回くらいつぶやきました。
「バスクリンを海に溶いて、下から蛍光灯をあてたような」 などという、全くもって非文学的表現をしたものでした。 ・・・どうにも例えようがなかったのです。
沖縄の海の色は本ブログでご覧ください。
≪ 沖縄物語 了 ≫