那覇市立壺屋焼物博物館にやってきました。この博物館は「やちむん通り」にあります。「やちむん」って何でしょうか。「やきもの」をウチナー口で言ったものです。
ウチナー口では 「アイウエオ」が「ア、イ、ウ、イ、ウ」という3種の母音に変わるんです。もう一つだけ、「キ」は「チ」に変わるんです。 この2つがわかれば、例えば「おきなわ」は「うちなわ」になり、「ウチナー」になりますね。
「やきもの」はキがチに変わって、モがムに変わって、「やちむん」になるわけです。
さて、壺屋焼ですが、荒焼(アラヤチ)は三山以前からあったようです。荒焼は登り窯で素焼きですから、素人の私にとっては、本土で言えば備前焼に似ています。(歴史的に言えば、備前は1,000年の歴史だそうです) 荒焼は泡盛の熟成用の甕や、瓦に使われました。
島津に連れ去られた尚寧王の時代に朝鮮の陶工を呼び寄せて、彼らが壺屋焼のもとになったそうです。その後釉薬をかけた上焼(ジョウヤチ)も作られ、泡盛の酒器(カラカラ、抱瓶)、食器となって使われています。
読谷に「やちむんの里」がありますが、これは沖縄初の人間国宝、金城次郎さんが窯を首里から移したことから始まりました。
最も典型的な柄は魚紋だと思います。線彫りで唐草も多いです。私も椀、皿、マグカップ、丼ぶり(いただきものです)で愛用しています。
その後、県立博物館に向かいました。
沖縄には「港川人」という日本最古(発見当時)の旧石器時代の全身骨格があります。実はその後、那覇市山下町で「山下洞人」が発見され、これが現在の日本最古の人骨です。(ちなみに、山下町は戦後しばらく米国占領下では「ペリー区」と呼ばれてました。マレーの虎、山下大将を思い出されるからだそうです)
県立博物館で良いところはミュージアムショップが充実しているところ、入場料を払わなくてもOKです。ここでお土産調達ができます。(お菓子はありません)
11月26日 20日目 に続く