今さらですが 知った貴重な沖縄のサンゴ礁

先日、自衛隊ヘリコの宮古島での墜落事件がありました。お悔み申し上げます。

古くからの友人(毎年沖縄に一緒に行く友人です)からLINEがありました。「昨日テレビで見ました。墜落したのは、以前に宮古島から橋を渡って、空港の端で車を停めましたが、その目の前ではないでしょうか。とても綺麗な海を見た記憶があります。あの先はそんなに深かったんですね」

多分この光景のことだと思います。 友人の言うとおりでして、すぐそこでも100mの水深だそうです。沖縄の場合、遠浅で、なかなか泳げるところまで行けないところが多いのですけれど。

筆者ヘンデルは全くの素人ですが、調べてみると、どうも落ちたところは裾礁(きょしょう)の先か、島棚(insular shelf)の外だったようです。実はその先には沖縄トラフ(海盆)が口を開けているのでした。

ちなみに宮古島の南側には南西諸島トレンチ(海溝)があります。オマケですけれど、西表(いりおもて)、石垣、宮古から本島に続く琉球海嶺(琉球弧)には、途中に慶良間ギャップがあります。

さてそこでサンゴ礁の成り立ちですけれど、これは「理系地理マスターひろ」さんのブログで「受験地理B短期マスター塾」をご覧ください。https://juken-geography.com/systematic/coral-reef/ です。(勝手に紹介させていただきます。お許しください) 裾礁(きょしょう)、堡礁(ほしょう)、環礁(かんしょう) の違い、さらに世界の分布図が載っています。

まず環礁といえば、ゴジラの故郷ビキニ環礁をすぐ思い出すのはトシのせいでしょうか。あんな綺麗なところで核実験なんて、ざけんじゃねーぞ、と思っております。

堡礁で即、思うのはクレートバリアリーフですね。オーストラリアのほんとにグレートな広さの堡礁(バリアリーフ)です。

裾礁ですが、受験地理B短期マスター塾サイトのサンゴ礁分布地図をご覧いただくと、裾礁は沖縄に集中していることがわかります。 世界には環礁が集中しているところ、堡礁が集中しているところ(グレートバリアリーフ等)があるのですが、裾礁については沖縄が世界の中で圧倒的な密度の高さです。

裾礁とは、中央島のまわりに、海岸からすぐサンゴ礁が存在している状態です。つまり、沖縄近辺は海岸から続くサンゴ礁をシュノーケリングで、ダイビングで、すぐそこで見て、楽しむことができるのです。それが世界的に見ても沖縄に集中しているんです。

なにか、沖縄のサンゴ礁や、サンゴが砕けてできた真っ白な砂浜が愛おしく思えてきました。

慶良間で潜った時の写真で、左は古くからの友人、下は海亀のシッポ(?)です。

果報(カフウ)バンタ(崖)から望む裾礁です。遠浅が続いて、その先白波が立って、その向こうの海が青いのは、サンゴ礁が終わって、一気に深くなるからだと思われます。沖縄はこうした海底地形がほとんどです。

例外が南大東島です。隆起環礁というそうです。サンゴ礁が隆起してできた島である証拠は左下の写真、地面の石灰岩です。貝の化石がいくつも混じっています。 環礁全体が隆起したので、右の写真のように、海岸がなく、断崖で囲まれています。フェリーの乗り降りはクレーンで吊って行います。釣りをしている人に聞いたら、ほんの15m先は水深50m!だそうです。

いやー、沖縄って、ほんっとに良いところですね~!(水野晴郎さん風・・フルッ)

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 13日目 11月19日 那覇市歴史博物館

那覇市歴史博物館にやってきました。琉球王国の国宝は那覇市歴史博物館に収蔵されているイメージです。王冠、千代金丸(刀)、緑釉燭台、衣装など琉球王家のお宝、国宝は那覇市歴史博物館に収蔵されています。

私の推測、邪推のレベルですが、思いますに、国王の尚さん、琉球の氏族にしてみれば、明治政府からいわゆる琉球処分をされ、そこに県令を押し付けられたわけで、相当の反発があったと思います。そんな経緯から「県立博物館」ではなく「市立博物館」に尚家は寄贈したのではないかと思っています。

断片的にしか承知しておりませんが、尚家の皆さんは素晴らしい方々と思っております。拙ブログ「驚きのチコちゃんに叱られる」編でも尚家の功績に触れています。また、識名園や守礼門などの再建に際し、みんなで寄付したとは云うものの、実はかなりの部分は尚家が出したとも聞いています。一中健児の塔には尚家のお子さんの名が複数刻まれていることも存じ上げています。

さて博物館です。企画展は「近代沖縄の染織」です。その中にこんな写真がありました。これは興味深いです。

女学生の服装の変遷(1937年) ※カメラはダメよ、のマークはありませんでした。

一番右が明治時代の琉装です。帯は見えません。この着付けは「ウチンシー」と呼ばれるものと思われます。(ド素人の見解です) 身分により服も違えば、着付けによっては帯もあり、紐で結ぶものもあり、と聞いて(思って)います。

琉装の左がいわゆる和服、さらに左が和服に袴です。左から2番目が大正時代の運動服だそうで、一番左が昭和のセーラー服です。沖縄県立第一高等女学校の運動会での一コマだそうです。

取り扱い商品に「クバウチワ」「パナマ帽子」とあります。

螺鈿細工について、以前からの疑問が解けました。夜光貝の真珠層を削る、という理屈は知っていましたが、現在ならグラインダーで薄く削ることができると思うのですが、昔はどうだったのだろうか、というのが疑問です。それは「煮貝」という方法だ、と知りました。

僕は「テツ」ではないのですが、史料かなと思いまして。大阪から西鹿児島までの寝台車でした。
Wikiによれば、琉球新報が日本復帰を願って本土に沖縄名の列車を走らせよう、という目的で列車名を公募したそうです。

10日目 11月16日 波照間島行の回で「泡波」を紹介しました。現地で360円ほどだった100mlミニボトルを国際通りで発見しました。

1100円です。アマゾンだと1500円ですけど。
本土では「モズク」なのですが、ここまで堂々と「スヌイ」とは。気持ちよく割り切ってますね。
きた! タロイモです。ターンム(田芋)ではありません。

11月20日 14日目 に続く

驚きの「チコちゃんに叱られる」

NHKで9月19日(土)「チコちゃんに叱られる」再放送で2つの驚きがありました。今回はその番組の紹介です。引用というか、丸写しなことをお許しください。

チコちゃんの問いかけは「ねぇねぇ岡村、お弁当のタコのウインナーって、どうしてタコなの?」でした。(だったと記憶しています)

その答えが凄い!「琉球王家の次男が少食だったから!」

これには私も見当がつきませんでした。

琉球王朝最後の王様「尚泰」、その息子が「光」、孫が「明」、その長男が「卓」、次男が「承」(つぐる)  ※皆さま敬称略で申し訳ありません。

承さんが子供のころ、食べることが嫌いで母の道子さんはお弁当に苦労したのだそうです。

唯一の好物が卵とキュウリのサンドイッチで、その付け合わせに当時の赤いウインナーを入れたのだけれど、当時の赤い皮は堅かったのです。それに滑る。

そこで縦に切れ目を入れて炒めたら、タコの形になった。これが始まりだそうです。

尚道子さんは料理のコンクールで優勝し、NHK「きょうの料理」のスタートから長年出演されたのだそうです。

さらに驚き。

道子さんの妹が、岸朝子さん。あの、料理の鉄人に出ていた「おいしゅうございます」の女性だったのだそうです。 名門の一族だったんですね。

尚さんちは琉球処分で東京に移されて、お怒りもあったと思うのですが、道子さんの父「明」さんは住宅公団副総裁になられ、日本独自の「ダイニングキッチン」という間取りを考案されたのだそうです。

尚家の皆さん、素敵です。上記のことを私の記憶として、また、たまたまこのブログをご覧になった方に知っていただきたくて記事にしました。

ちなみにですが、TVに出演された承さんは、とてもハンサムで俳優さんで通ると思います。

首里城が燃えてしまいました。戦争による破壊からの、守礼門、識名園などの復元の際には(みんなの募金とは言うものの)尚家からの寄付が相当大きかったと聞いています。

尚家の皆さんには感謝し、尊敬申し上げます。

アンマー考 かりゆし58

先日、自治会役員で知り合ったお二人と沖縄居酒屋に行きました。

マスターの許可を得ていないので、場所はナイショです。

沖縄出身の人がやってる、沖縄の家庭の味居酒屋です。親戚から食材を送ってもらっているとのことで、現地のまんまが出てきます。野菜パパイヤのイリチーもありました。(イリチーというのは、炒めたあと出汁を入れて含め煮にする調理法です)

同行したうちのお一人は、お母さんで、お子さんのうち一人は石垣島で暮らしているそうです。子供時分はヤンチャ少女だったのだそうです。

石垣にお嬢さんを訪ねて行ったとき、カラオケで唄ったのが「アンマー」だったそうです。その時、お母さんは涙ボロボロ、大泣きしたのだそうです。

彼女は今日は泡盛の勢いも借りて、ゴーインに「アンマー歌って!」とカラオケのリモコンを私に渡すのでした。

何度も聞いたことはありましたけど、歌ったことはありませんし、マイクを持つのはちょうど2年ぶりでした。

結局歌ったわけですが、歌詞にいくつか疑問がありました。多分多くの方が疑問に思われていたと思います。以前から気になっていた部分と、今回初めて歌ってみて気づいた新しい疑問がありました。 

前説が長くなりましたが、今日はその疑問を考えてみました。

疑問① 「ただ真っすぐ信じる道を歩んでほしいと願いを込めて」つけた名前はなんでしょう?

これは多分、間違いなく、「真悟」でしょう。作詞・作曲が前川真悟さんですから。

疑問② 「あなたに言ってはいけない、決して口にしてはいけない言葉」とは、どんなことでしょうか。

歌詞のストーリーが実体験だけなのか、脚色もあり、なのかわかりません。でもスー(父親)が全く登場しません。それに絡んだことではないでしょうか、と思います。

疑問③ 「あなたの背中に負われながら、眺めた八重瀬岳の夕陽は」ここはどこでしょう?

前川さんは八重瀬町出身とのことです。八重瀬岳を西に見る集落というと富盛です。なんかここに違いない、という気がするのです。

富盛というとウフシーサーがあります。沖縄最古のシーサーと言われます。WWⅡ時には兵士がシーサーを盾に銃をかまえる写真が残っています。シーサーには弾痕も残っています。

疑問④ 「優しさのなかに凛々しさを秘めた人になるようにと願い、あなたの一番好きな花の名前を付けました」 さて女の子の名前は何でしょう?

これは考えました。デイゴじゃ女の子の名前じゃないし、アカバナ、なわけないし。ブーゲンビリア、サガリバナ、違いますよね。

ズバリ「ユリ」「小百合」だと想像します。私は富盛のウフシーサーには2度訪れていました。とても気持ちの良いところです。ウフシーサーのある勢理城(ジリグスク)には登る途中、白い百合の花が咲き乱れているのを見つけ、写真に収めていたのを思い出したのです。

以上、4つの疑問について、私なりの答えを出しました。ご意見のあるかた、ぜひお教えいただけると幸いです。

実は、富盛のウフシーサー訪問記は本ブログにアップしています。リンクのページの後半にシーサーとユリの写真があります。 https://brahms-sym.net/2017/05/18/1日南部探訪%ef%bc%88東御廻りを中心に%ef%bc%89其の三%e3%80%80

6月28日の半日ちょっと(ゆいレール展示室、フライトシミュレーション、上間菓子店)

丸6年の沖縄生活で行き残したところに、ゆいレール(沖縄モノレール)の基地がありました。ネットによれば無料で、月~金が開館です。(前回は土曜日で、那覇空港駅からテクテク歩いて行ったのですが、休館日で涙を飲んだのでありました)

でも、「無料」という時点で期待はできない、というのが経験則です。 

友達がクルマを出してくれて助かりました。日頃の行いが良い人ばかりで、沖縄の梅雨明けのピーカン天気になりました。(気温は東京ほど高くなりませんが、日差しがキツイ)

さて、ゆいレール展示館は赤嶺駅と那覇空港駅の中間にあります。

 展示館のビルの受付には誰もいなくて「グッズを買う人は内線してください」という、おおらかさです。ところが展示は充実しています。(別の意味でなんですけど)

1階はゆいレールがらみの展示なのですが(でも構想した人や、えらい人の新聞記事だったりが多くて・・)、半分くらいはケービン鉄道でした。軽便鉄道と書きます。WWⅡ以前の本島の蒸気機関車網です。これはちょっと楽しい。

2階は個人のコレクターの寄贈です。寝台特急「那覇」があったとは知りませんでした。(私はテツではないもので・・) 沖縄には来ないのになぜ? 沖縄返還を願って命名されたのだそうです。(なんか素敵・・)

ペーパークラフトをいただいて、あとにしました。無料にしては申し訳ないほどの設備でした。

ところで、ゆいレールのロゴがこんな所にも・・・

その後、トライエアさんのフライトシミュレーターに行きました。電話すると、平日のせいか、あっさりOK。ネットによれば、訓練用として使える「模擬飛行訓練装置」なのだそうです。自前でFTD(飛行訓練装置、Flight Training Device)を作って販売までしている本格的なものです。

といいつつ行ってみれば、とてもフレンドリーなお兄さんが出迎えてくれました。順番を待つ間、VRのジェットコースターがあり、やってみました。(200円!)VRのヘッドセットも初めての体験です。

とても面白かったです。僕は昔からリアルのジェットコースターには強かったこともあり、・・なのかどうかわかりませんが、上級コースでも「楽しめた」というレベルでした。

さて本番のフライトシミュレーター。初体験ということもあり、5分1000円の最短最安コースを選択しました。友人は那覇を、僕は東京を選択しました。 ズバリ、楽しめました。バーチャルの景色は現実に忠実で(当たり前なのかしら)美しく、エンジン音もホンマモンです。

「80ノットになったら操縦稈を引いてください」「車輪を格納してください。右の白いレバーです」などと手取り足取り指導してくれるお兄さんは、ナイショですが自衛官、それもイーグルドライバー(F-15乗り)なのだそうです。(どうせ本ブログを見る人は少数ですから、ナイショですけど、ま、カンベン)

そこで質問しました。昔から知りたかった、「日本の自衛隊は空母への着艦訓練はするのですか?」 結論は「ない」そうでした。艦載機ではなくても、着艦フックはついているのだそうですが、ホントに非常用で、使うとその後修理がいるのだそうです。

「F35じゃなくてもスーパーホーネット(F18)でいいって意見がありますけど?」  「80年代の設計とじゃ全然違います。座ったらわかります」

体感すれば理屈以上の違いがあるってことだと思いましたが、座ったことあるんだ、と思いました。僕は鉄道ファンでも飛行機オタクでもないので、頓珍漢な質問もしました。

その後、沖縄のアイスクリーム屋、ブルーシールのお店に行きました このマークはご存じですね。

軽食があるのは知っていたのですが、実はあまり興味がなく、これも初体験でした。というのも、マクドナルドによくある明るいパステルに囲まれたメシは、旨い不味いの前に苦手、だからです。トシのせいでもありましょうけど。ある事情で行かなくなったハンバーガー屋さんのエンダー(A&W)は落ち着いた色調でむしろ好きだったのですけど。こちらは資料映像です。    

出てきたパスタはフツーでした。

本日のもう一つのイベント、上間菓子店工場見学に向かいました。知ってる人は知っている、スッパイマン(乾燥梅干し)のメーカーです。

 味付けして

乾燥させて 出来あがり。

工場限定販売の「スッパイマンさーたーあんだぎー」なんてのを大量にゲットしました。                     

さらにスッパイマンふりかけ。 おいしそう。

帰りがけに、道の駅豊崎のJAおきなわ食菜館 菜々色畑に寄りました。そしたら僕の大好き丸吉せんべいの「うす焼梅せんべい」がありました。工場は識名園にあり、自転車では坂がキツくて懲りたので、タクシーで買いに行ったこともあるほどハマったのが、こちら。

さらにこんなレア物が・・  これが凄い。これは当り! ちゃんと泡盛の味がする飴です。比嘉酒造の製造です。素晴らしいことにザンシロとザンクロで、味がそれぞれ再現されています。シロはフルーティーで、お酒のイメージ通りです。(泡盛の有名ブランド、残波には白と黒があるのです。通称ザンシロ、ザンクロと云います) オマケに袋の裏には「未成年、運転中、運転予定の方は食べちゃダメ」と書いてあるのです。100gあたり0.05gアルコールが入っているということで・・・

道の駅で売っている、こちらは沖縄の典型的なお弁当です。   本土の人には「そういえば」という印象だと思いますが、ご飯の上にも必ずオカズが乗る! のが沖縄の弁当のお約束です。

ナーベラー(へちま)のお弁当です。さすがに、これはレアだ。。

 普通にサトウキビを売っています。 包丁などで割って食します。歯が丈夫なら、歯でも剥くことができます。中の柔らかいところを噛みます。甘いです。カスは吐き出します。

ずいぶん遊んだようですが、朝9:30集合で、帰ってきたのが15:00前。なんとも効率の良い(身の詰まった)半日ちょっとでありました。友達の2人、ありがとう。

尚巴志のお墓

ウチナンチュ(沖縄地元民)でも知らない人が多い尚巴志のお墓です。

王様のお墓といえば、首里の玉陵(たまうどぅん)です。こちらは有名で規模も大きく、訪れる人も多い、でも第二尚氏以降の王家の墓です。

北山、中山、南山の、三山に棲み分けていた琉球を統一したのが、尚巴志(童名「さはち」、尚巴志は当て字という説も。中山世譜では尚姓を明から賜ったことになっている)でした。

ウチナンチュには人気の高い英雄ですが、何故かみんな、お墓がどこにあるか知りません。

歴史は勝った人が、自分に都合が良いように書き換えるものです。尚巴志王統から王の座を簒奪した金丸(第二尚氏の始祖、のちの尚円王)としては、三山統一の英雄、尚巴志の色を消したいと思うのは当然だと思います。

金丸のクーデターのあと、第一尚氏の家臣(親戚)が一族の遺骨を掘り出し、中部の山中に隠したと思われます。

ネットの先達の記録を参考に、レンタカーを借りて行ってみました。

まずは喜名番所で観光マップをゲットしました。 観光マップは表には出ていないのですが、係のアンマーに言うと、出してもらえました。

尚巴志のお墓に行こうと思う、と云うと、私の頭のてっぺんから足まで見渡して、「アナタの思っているより険しいよ。木や草もこうやって行くようだ」と腕を左右に振るのです。「今どきだからハブの心配もあるし」と脅すのです。梅雨の時季で、小雨交じりでもありました。

アンマーに道順を教えてもらい、出発しました。ネットでは「米軍嘉手納弾薬庫地域として接収されていて、黙認耕作地」だとか「警告看板がある」などと書いてあったので、行っていいものなのか、ちょっと心配だったのですが、これで安心しました。

その「警告看板」がこちら。

国道58号線から向かう道は未舗装です。未舗装道路を走るのは、以前の東村行き以来です。もちろんすれ違いはできません。でも轍(わだち)があって、車が通ることを示しているので、さほどの心配はしませんでした。

途中には こんな妙に新しい石標があり、行って見ると、こんな拝所がありました。離れて写真を撮りたいのですが、後ろが急坂で、濡れた落ち葉でフカフカで下がるのは困難でした。ハブも怖かったし。

こんな石畳も一部にありました。 確かな歴史を感じさせます。

上ぬカーで突き当りです。伊良皆集落の皆さんの管理なのでしょうか、意外なほど綺麗で、水量も豊富です。大きな亀がいましたが、カメラを用意している間に潜ってしまいました。

ここが墓所への入り口です。

右の石標がこちらです。 

こんな所を進みます。 濡れたジャングルは雰囲気があります。いい感じです。でも土がむき出しのところは滑りますし、枯葉の積もったところはハブが怖いですし、なんか神経を使いました。

この細道の途中にも、小さな拝所がありました。

クルマの通る道から100何十メートルといったところでしょうか、多少のアップダウンはありますが、そんなに遠くないところにこの石標がありました。

石標の右上の墓所の全景がこちら。

お墓の中央です。 墓所の知名度は低いとはいえ、日常で拝む(うがむ)人がいるのです。

南部佐敷出身の成り上がりにして(誉め言葉です)、中山王武寧を追っ払い、南山王他魯毎(たるみー)を滅ぼし、北山王攀安知を自死させ、という策士にして相当な暴れん坊だったに違いない尚巴志ですが、一代の英傑に違いなく、畏敬の念をもって手を合わせました。

その後、阿麻和利のお墓を探したのですが見つかりません。ガイドマップには道もなく、この辺、て感じで人にも聞いたのですが、無理でした。

トリイ通信施設入口(トリイステーション、グリーンベレーもいる)です。 

その先にはこんな交差点がありました。 信号を拡大すると・・  なんて目出たい・・・

 

次に目指したのは 赤犬子宮です。琉球古典音楽の始祖です。詳しい物語は沖縄にありがちな、おゲレツ伝説を含みますので、ご自身でお調べください。

ウガンでいる人がいました。 なので遠景です。お重まで持ち込んで本格的です。これが、綺麗なネーネー(若い女の子)2人です。向こうも驚いたでしょうけど、僕も驚きました。

さて、沖縄生活も短くなった僕には、もう一つ行かなくてはならない場所がありました。

  

  米軍上陸の地碑です。鉄の暴風といわれた攻撃はここから始まりました。こんな綺麗な所で信じられませんが、あんな光景を見たくない、やっちゃイカン、と思いました。

日帰りの石垣島

石垣島には、となりに竹富島、由布島、由布島、ちょっと遠くに西表島、波照間島などあるのですけれど、今回、とある事情で那覇から日帰りせざるを得ませんでした。(20:15には那覇の久茂地にいなくてはならない最重要の事情があったのです。この事情はいずれ記します)

石垣からフェリーで15分の竹富島には寄りたかったんですけど、竹富滞在時間が1時間しか取れないとわかり、断念しました。となれば、少しゆっくり石垣を廻ります。

川平湾です。

 絵葉書でおなじみですね。 1月の沖縄としてはとても珍しいことに雲一つない青空で、最高のコンディションでした。

 この船、宙に浮いているように見えませんか?透明度抜群です。

本島に残した(ゴルフに行った)友達から「箱亀でTシャツ買ってきてくれ」という依頼がありました。 このお店です。 今どきの女性のセリフなのですが、いわゆるとても「かわいい」柄です。とぼけた味がとても好い。無地のTシャツしか着ない僕としては珍しく柄物を2枚買いました。娘のアクセサリーと。 このブログをご覧の方にもお薦めです。

玉取先展望台です。これまた絵葉書通り。

リーフの先は急に深くなるらしく色の違いが鮮やかです。

でも・・・楽しみにしていた具志堅用高記念館は閉館してました。

ダッシュで石垣から那覇に戻った1日でした。

難読地名:勢理客、保栄茂

勢理客(ジッチャク)、保栄茂(ビン)と読みます。

難読地名の東西横綱は北海道と沖縄だと思います。さて、沖縄・・・

 ジッチャクです。実はPCでジッチャクと入力すると勢理客と変換できます。この地名は本島を南北に貫く国道58号線の交差点にあり、本島の人なら皆知っています。

本ブログのトップページのメニュー、「沖縄あるある」で記しています「あいうイウ」の法則と「キ」は「チ」に変わるの法則で、何故ジッチャクと読むのかわかります。

「勢理客」は普通に読むと「セリキャク」ですね。「あいうイウの法則」で「セ」は「シ」に変わります。「キ」は「チ」に変わります。

つまり「セリキャク」は「シリチャク」になり、「ジッチャク」となったと思われます。

 保栄茂1153番地です。「わくわく児童館」の住所です。相当歩いたのですが、保栄茂交差点を見つけることができませんでした。(無いのかもしれません)こちらは本島の人でも知らない人はいます。驚いたことに「ビン」と入力すると「保栄茂」に変換されます。

これも、上記の法則で読み解くことができると思っています。

普通に読んだら「ほえも」です。「ホ」は「フ」に変わります。「エ」は「イ」に変わります。「モ」は「ム」に変わります。つまり「フイム」です。「フィン」になり「ビン」に縮まったのではないでしょうか。

読み解くことができるという点で北海道よりマシかもしれません。

「ん」から始まる言葉

もっとも一般的な「ん」で始まる言葉が「ンブシー」です。「ナーベラーンブシー」はウチナンチュなら分かります。 

「ナーベラー」はヘチマ、「ンブシー」とは味噌煮です。パパイヤ、菜っ葉もンブシーにします。島豆腐、アブラゲなどの他の具材と油で炒めてから、出し汁、味噌でしばらく煮ます。お店によって出来上がりは様々ですが、これが一番一般的かな。 ごく普通の食堂、はるみ食堂さんのです。

 

「ンジャナ」 「苦菜」です。写真は久高島の2つしかない食堂の1つの「ンジャナ定食」です。ンジャナのお浸しに、魚の切り身が混じってます。体に良さそうな味がしました。

「ンム」 芋 です。「ウム」と表記することが多いです。田芋(サトイモに近い)と書いて、「ターンム」と呼びます。

 このブログのフロントページ、メニューの「沖縄の食べ物」に取り上げた「うむくじぷっとぅるー」です。 これは僕のおススメ、首里の富久屋さんの「ンムクジプットゥルー」です。 ンム=イモ、クジ=クズ、プットゥルー=トロトロ・ネバネバ  これもお店によって、相当違います。トロミの強いスープのようなプットゥルーもあります。

「ンナシルー」 汁物です。文献によると、昔、貧しくて具なしの汁のことをンナシルーと呼んだ、と読んだことがあります。

ウチナンチュは、シリトリは「ん」で終わってはいけない、負けになる、という、そういうルールの遊びなんだ、と思っています。そう聞いたことがあります。

・・・しましょうね~

5年も沖縄にいると、もう慣れてしまいましたが、しばらくはかなり違和感がありました。

居酒屋で「そろそろ帰りましょうね~」

床屋で「髪の毛洗いましょうね~」

僕を誘っているわけではありません。

沖縄では「・・しましようね~」は「I will・・」「僕はこうしますよ~」であって、「Shall wee・・」「よかったら一緒に」ではないのです。

したがいまして、綺麗なネーネーが「そろそろ帰りましょうね」と云ったとして、ドキッとしてはいけません。 「お先に失礼します」なのです。