沖縄滞在記 (11/7~11/27) 10日目 11月16日 波照間島(果てのサンゴの島)

いよいよ波照間です。今回の沖縄滞在の最大の目的です。思い起こせば、私が波照間島を知ったのは松岡圭祐さんの「人の死なないミステリ」の「Qシリーズ」、主人公の凛田莉子が波照間島出身であることでした。その後、私が「離島の離島」に好奇心を持ち、まずは宮古、次は石垣、次は西表、次は? となったとき、波照間が候補にあがりました。

しかし問題は手段がフェリーしかなく、その欠航率が3割を超すと知りました。石垣まで行ったはいいけど渡れない、つまり石垣で宿がいる、波照間に行けたはいいけど帰れない、てことは東京に戻れない、というリスクを考えると、現役の間はムリでした。それで前回選択したのが南大東島でした。こちらは飛行機があったので。 

今回は引退後であり、何日か戻れなくても平気(ウィークリーマンションを余裕を持って借りている)、何より日帰りが可能と知ったこと(帰れなくなるリスクが大きく下がる)でした。

波照間でレンタカーはグーグルMAPで見ると、たぶん3社、そのうち港に1番近い会社に電話すると、なかなか出ません。時間を変えても出ません。やっと出ると「泊りの人が優先で、日帰りのお客さんは先着順。フェリーから急いで来てください。電動自転車ならあります」とのこと。てことはフェリーに早く並んで、出口に近い場所に座らなくちゃ、ということになります。

意外に長い列です。フェリー後方はオープンデッキです。気持ちよさそうでしたが、木のベンチでした。外海は波が高く、乗り心地が悪かろうと想像して前方のシート席へ。でも出入り口に近い窓側は空いてなく、前のほうへ。

「んぎしたおーりょー」とは「いらっしゃい」です。本島なら「めんそーれ」です。 

着岸すると出口は前方から。ラッキー、とばかりに急ぎ足でレンタ屋さんへ。でも誰も後ろにいません。拍子抜けして受付へ。すると免許証をコピーしただけで、「このクルマ」と鍵をわたされました。なんともラフな手続き。

「なかなか電話に出ないんですよ」「フェリーの時間しかいないから」なるほどです。納得しました。さらに「ガソリンは入れなくていいから」だそうでありました。ラフな手続きって、ん~、そりゃ島からクルマを乗り逃げしようもないもんね、と納得しました。

まずはニシ浜へ。残念なことにお天気はイマイチ。

離島の海です。綺麗です。
見事なほどに人の姿はありません。

今回の沖縄滞在の最大の目的が波照間島訪問、2番目の目的が「海を眺めてボーッとすること」でした。その2つの目的が同時に果たされてしまいました。本島では見たり食べたりが忙しく、石垣では暑くて、ボーッと海を眺めることはできませんでした。そういう意味では雲が多めで良かったのかもしれません。

なんせ人っ子一人いないのです。 気が付いたことは、海岸に散らばるサンゴ(の骨)が大きいのが多いのです。本島ではまず見ない、枝サンゴ、それも細かいのもあるのです。本島、石垣のは皆が持って帰っちゃったんだろうな、と思います。

ところで、波照間って「果てのうるま」が語源だそうです。「うるま」はウチナー口で「サンゴ(ウル)の島(マ)」という意味です。「果てのサンゴの島」です。確かに果てです。この島の南はもう遥か、フィリピンですから。。

なんてことで、ヤヴァイです。流木に腰かけて、海を眺めていると帰りたくなくなっちゃいそうです。ホントに帰りたくなくなっちゃうと、それこそヤヴァイので、エイヤッと腰をあげました。夕方、帰りのフェリーの前に、また来よっと。

島内4か所あるらしい売店のうち、3か所を覗いたのですが、どこも、あんま、愛想よくありません。観光客は歓迎されてないようです。水着で入るな、砂を落としてから、だとか。「弁当のゴミは?」と聞くと、「週に1度だけだから、ウジがわく」と断られ「あ、そうか、持って帰るのか」と気づかされた次第です。

こちらは餌をもらっているヤギさん。
道端を歩くヤギの親子 野良ヤギではありません。放し飼いです。 クルマが来てもなかなかどかない。 

今になって思い起こしますと、1日クルマで走って、出会ったのはこのヤギの親子と、電動チャリの女性2人組、同じく電動チャリのオジサン1人、でした。 ヤギのほうが多い。。

では最南端に向かいます。どんな景色が待っているのでしょうか。

一応、証拠写真です。
こんなのもありました。
琉球石灰岩に化石が入ってます。
島の南端は外洋ですから、波が凄いんです。撮影するの、怖かったです。
最南端の碑から360度、誰もいない、樹木も生えない、荒涼ともいえる景色です。
先ほどのニシ浜(ニシって沖縄方言で「北」のことです)とは大違い。南端は太平洋の外海です。
お弁当を食べてたら、カラスが寄って来ました。逃げません。
赤ウインナーの端切れを遠くに投げてやったら、後ろからお友達が3羽飛んできました。
黄色い筋、魚の網か、と思ったのですが、グーグルレンズで調べると「スナヅル」です。
私は初めてでしたが、珍しいものではないようです。
最南端の交番です。日本地図ですが、台湾まで書いてあります。
コート盛 火の見やぐらです。

泡波(波照間島で唯一の泡盛。希少性が高い)を買いに泡盛販売所へ。共同売店でミニボトルは5本ゲットしたのですが、できれば三合瓶を手に入れたかったのです。酒造所のすぐ近くに販売所があります。でもミニボトルしかありません。三合瓶は、今日、明日の入荷はないそうです。「ミニボトルは売店で買ったんです」「ちょっと高かったでしょ」という会話がありました。せっかくなので、Tシャツとトートバッグ、巾着を購入しました。

一升瓶型ミニボトルです。他に透明三合瓶型があります。現地では360円と記憶していますが、那覇で見たら1100円。今、アマゾンでは1500円しています。(100mlですよ) 
島民が作って、島内で消費してしまうので、外に出ないんです。それで希少性が高いんです。
30度もあるわりにはスッキリ、飲みやすいけど、高級酒ではないと思います。(お酒は好みですからね)

再び、ニシ浜に来ました。

やっぱり誰もいません。
しばらくして、ちょっと明るくなると、この海の色です。う~、たまらん。

港に戻ります。

亀甲墓だと思いますが、甲羅(屋根)の両端がピンと上がっているのは特徴的だと思います。
採石場らしいです。
地元飲料です。「ゲンキ」がいいですね!
石垣島から那覇への飛行機はプロペラ機(ボンバルディア)でした。
石垣からのプロペラは初めてです。終便でお客さんが少ないからかな?

こうして、波照間島行は終了しました。満足度は高いです。西表島よりもはるかに田舎で(西表って、島内一周道路がないくらい未開の地なんですけど)、南大東島よりも、もっと田舎です。(南大東には信号機があります。1機だけど) 波照間には島内に1つも信号はありません。「食堂」という看板がありません。コンクリートブロックが案内板らしく、食堂らしき文字は書いてあるのですが、予約なしでどうかとか、お店って感じの建物ではなくて、訪ねる勇気がありませんでした。 

波照間島、ありがとう。

11月17日 11日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 9日目 11月15日 石垣島 エメラルドの海を見る展望台 川平湾 ヤギ刺し 具志堅用高記念館 玉取崎

石垣島には何度か訪れており、今回の目的は波照間島行です。翌日朝8:00石垣発のフェリーで行って、16:20波照間発で日帰りの予定です。 でもせっかく石垣に今晩一泊するのですから、石垣に朝イチ行って、石垣観光もやろうと思いました。幸い、スカイチケットというサイトで最安値航空券と最安値レンタカーを簡単に入手できました。(手数料が高い気がしますが、フリーダイヤルも快適に指示してもらえました)

F15です。沖縄空港は民間と共用です。スクランブルがかかると、民間の離発着は待ったになります。
わすか1時間のフライトです。Kindleで快適な時間でした。
石垣島が見えてきました。

レンタを借りて、まず「エメラルドの海を見る展望台」に向かいました。

今一つクリアではないのですが、十分綺麗です。

展望台を降りてきたら、この貫禄ありすぎる案内標識! 離島ならではですね。

定番、川平湾に向かいます。実は私、シュノーケリングやスキューバは何度かやりましたが、グラスボートって乗ったことがないんです。今回試します。

3年ぶりの川平湾です。

グラスボートに乗り込みました。ただ、スイマセン、グラスボートの画像がどうにもサイズダウンできません。今まで何十枚もやってきた作業が何度やってもできないのです。 結論としては、海のコンディションもありましょうし、サンゴ礁があるのは見えますが、当たり前ですけど、上から見下ろすアングルしかないことと、サンゴやニモと距離があることが弱点です。

過去と比べると、透明度が今一つです。グラスボート屋さんに訊いてみると、2~3日前に大雨が降って、
川から泥水が流れ込んだからじゃないか、とのことでした。ちょっと残念。

石垣島といえばユーグレナですが、こんな自販機が・・・

お昼はもちろん、八重山そばです。

旨いす。

10数年前、初めて石垣島を訪れた際、初めてのヤギ汁を食したのが、下のお店です。当時、こんなに青くありませんでしたし、もっと迫力がありました。(ボロでした) クーラー無しは変わってないようですけれど。(実は本島で、私一人で貸し切りだった観光バスの運転手さんに「お客さん、ヤギ汁は食べられないだろう」と言われ、機会があればチャレンジするつもりだったのです) 偶然入ったお店が、この通称「トニーそば」と呼ばれる名物店だったのでした。   ※トニーって赤木圭一郎のことですよ、念のため。

このお店ではヤギ汁は丼ぶりに骨付き肉が山盛りになって出てきました。猛烈な匂いでした。その後何度もヤギ汁はいただきましたが、こちらのお店ほどの盛りと匂いはありません。(10年以上前の経験です)
出た! ヤギ刺しの自販機!? 来たか、ここまで! 
金武の海の駅ではレンチン山羊汁がありましたし、時代は変わったのでしょうか?
ヤギ刺し1000円、箸とヤギ刺し専用醤油付き1100円!

このあと、箱亀というお店にTシャツを買いに向かいました。ずいぶん前に友人に紹介されたお店です。自分でも買いに行ったり、コロ助の間はお取り寄せするほどのファンなのですが、なんと、無い! グーグルMAPで見ると「閉業」! 2人の友達(オッサンだけど)が悲しみました。

でも、今、このブログを書くにあたり、ウラを取ろうとググってみたら、どうも発展解消したようです。SHOP HACOGAMEとして、お店の場所は変わり、ネットでは品ぞろえを増やして、通販で元気なようです。 良かった。

小腹がすいたのでA&Wに入りました。これは「エンダー」と読みます。アメリカ人風に読んでください。イ エド ブリュ です。 僕はMはダメなのですが(バンズはフカフカ、スポンジみたいで味しないし・・パテがきつすぎる?) エンダーは大好きです。ルートビアも、カーリーフライも。

あと、ここは行かなくちゃ。過去、閉まってたり、時間がなかったり、なかったり、存在を知らなかったり。。 具志堅用高記念館です。

凄い男だと思っています。チャンピオンになった当時、本土では沖縄人というだけで、差別があったと聞いています。(恥ずかしながら私は知りませんでした)それを乗り越えてチャンピオンになり、引き際も見事だったと思います。

過去、綺麗だった覚えのある玉取崎に向かいました。

今日も綺麗です。かなり沖に裾礁の切れ目が続きます。見事なコントラストです。
11月も半ばだというのに・・
旅人の木だそうです。葉に水を溜めたり、葉が東西に開くのだそうです。
オオタニワタリ、売ってるんだ。そこら中に生えてると思うのですけど。
八重山ではオオタニワタリを食べることを知っています。

石垣のホテルです。トリプルのシングルユースという贅沢なのですが、ベッドを3つ入れると、どうにも狭いです。安さと立地(港から近い)で選んだにしては、綺麗でフロントの応対もGOODでした。

今日の晩ご飯です。

アダンの天ぷら!です。竹の子に似た触感で、わずかにエグ味があります。
アダンの実はパイナップルに似ていて、沖縄初心者はよく引っ掛かります。
過去の資料画像です。

木になるパイナップル(笑) 実の繊維はとても固く、草履にしたり、パナマ帽にしたりします。なので、まさか食べるとは思いませんでした。さすが八重山。

11月16日 10日目 ついに波照間島上陸! に続く

 

 

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 8日目 11月14日 月を詠ム 首里城 指司笠樋川 石畳道 神戸Bar仲々

僕が東京でお世話になった人が沖縄出身で、この秋沖縄に戻ることになりました。「じゃ、ご縁があれば、沖縄で旨いものでも食べましょう」「はい」の言葉を真に受けて、今日、食事することになりました。

お昼過ぎの待ち合わせで、お昼は普天間のカレー屋さんを紹介してもらいました。これが典型的な隠れ家的お店で、看板が出ていません。店名は「月を詠ム」です。

「詠ム」という言葉は和歌とか俳句・俳諧を詠む、と使います。「ム」をカタカナにするあたり、オサレです。 昔の人にとっての月は、今の私には知る由もありませんが、明かりの乏しい当時、深い精神性を感じさせるところです。

カフェです。カレーにも凝ってる、カフェです。店の雰囲気がこちら。

コンクリートの打ちっ放しで、思い切りスタイリッシュです。

その、カレーがこちら。

ポークキーマビンダルー、エビとココナッツミルク、白無花果と茄子の合いがけ です。

「三種を混ぜるとまた美味しい、そこまで計算してます」 ここまでくると、ケレン味も突き通して、お店の意図に乗っていく(食しちゃう)ことができます。 とても美味しく、いい感じです。パクチーがダメな人はいますが、このエスニック色の強い確りしたカレーには、パクチーがあった方がいいと思います。 気持ちの良い味と、空間でした。

「燃えちゃった首里城」へ向かいました。円覚寺から歓会門、瑞泉門、広福門は無事でしたが、復元工事の建物外観が見えています。万国津梁の鐘は見当たりませんでした。

屋根にあった龍の口髭です。炎の強さがわかります。

ご存じの通り、首里城はWWⅡの際に艦砲射撃によって真っ平になりました。地下に司令部があったから当然です。 その後再建されたのですが、当時のことですからシロクロ写真しか残っていません。瓦の色が赤なのか、黒だったのかさえわからなかったそうです。壁の色も白、黒の記録(絵画)は多いのですが、外壁まで弁柄(赤色)になったのは、私はちょっと恣意的にすぎるんじゃないの、という気がしています。昭和の大修理の時には色は剝げ落ちていたと聞いています。戦前、琉球処分以来、手が入れられなかった正殿は荒廃し、取り壊しも検討されたそうです。鎌倉芳太郎さん(琉球研究の功績は大きい)らの尽力で史跡指定になったそうです。

※後日BS1スペシャル「祈りの首里城 デジタルでよみがえる姿」を拝見しました。その中では、外壁が黒いのは民間の絵師によるものが多く、王府の絵師のものは赤だったとのことでした。民間の絵師はそもそも首里城を見ていないのではないか、という解説でした。昭和の大修理のときに赤に決まったのは、「赤であってほしい」という民意が優ったのではないかと思います。今回の再建にあたって、今また赤か黒か、なんて議論しているくらいですから。 また、赤漆なら蘇芳、弁柄による色だと思うのですが、どちらかはわからないでしょう。

鎌倉芳太郎氏が撮影した御後絵(うぐい)です。現物は燃えてしまい、色は不明です。
写真はWikiから借りました。

というくらいで、首里城は忠実な復元の求められる世界遺産ではありません。玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)といった、石造りのものは世界遺産に登録されています。

友人を指司笠樋川(さしがさふぃーじゃー)にも案内しました。拝所(うがんじゅ)です。琉球国王だった尚家の家の一角にあります。(現在は木の仕切りができていました)

私のチョーお気に入りスポットです。本ブログのTOPページのメニューからもご覧いただけます。実はこの写真は後日の撮影でして、当日は近くに駐車場がなくて、友人一人で行ってもらったのでした。

金城町の石畳道にも足を運びました。

ちょっと下った左側に大アカギがあります。ここも拝所です。その近くに鬼餅の由来の物語の舞台になった崖があります。詳しくはご自身でお調べください。(オゲレツです)

これが私としては大失敗だったのでありまして、石畳道まで遠かったうえに急坂なんです。友人は体力が無いはずなのに。ダイジョブだ、なんてLINEが来ましたが、そんなはずはなく、ホントに申し訳ありませんでした。

晩ご飯です。沖縄第一ホテルとなりの「神戸バー仲々」です。長いカウンターがあってBarなのですが、ステーキが売り物で、神戸牛と石垣牛の食べ比べができるんです。そのほか出てくるものがなんでも旨いんです。(ピザでもカレーでも!)

昔と変わらぬ、突き出しの糠漬けです。(沖縄には漬物はないので、珍しいのです)
焼き野菜です。
たまらず、つついてしまいましたが石垣牛のフィレです。
あぐー豚です。

そのほか、やんばる鶏、だし巻玉子なんてものもいただきました。

もう1件、行きつけだったジャズクラブ(Live)に案内したかったのですが、私が明日、早朝から石垣、波照間に向かうもので、二次会は無しで、解散になりました。

11月15日 9日目 いよいよメインディッシュ、波照間島行(16日)に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 7日目 11月13日 沖縄スーパーの食べ物

6日連続でほぼフルにお出かけし、疲れもたまってきました。ところが・・

このお天気。 これが昨日ならよかったのに。覆水盆に返らず、あとのカーニバル。でも疲労感がハンパなくて、近くのスーパーで沖縄食材探しにとどめることにしました。

東京でもありますけど、玄米や黒米は、沖縄では重要な主役の一つです。
左の茶色いのが「ちんびん」、いわば黒糖入りクレープです。お菓子です。 右の黄色いのは「ぽーぽー」です。こちらはアンダンスー(油みそ)を塗って、巻いたもので、しょっぱく、おやつでもいいですけど、食事ともいえます。
ンムクジアンダギー(芋くず揚げ)です。
アンダンスー(豚肉を茹でて、黒糖、泡盛、味噌を加えて弱火で練ったもの)
おからのイリチーなんてのは私でも知りませんでした。
沖縄県民のソウルフードの一つ、ゼブラパンです。甘いです。

なんともレトロですけれど、現役です。

左からレモンケーキ、コンペン(くんぺん)、かるかん、まんじゅう、
タンナファクルー(玉那覇、色黒な人のこと、餡なしのクンペンとも)

11月14日 8日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 6日目 11月12日 浦添市美術館 カフェくるくま おきなわワールド 首里城 富久屋 

今日は、東京で知り合った人が沖縄に就職して、初めての沖縄ってことで、沖縄には先輩の私からいくつか話をした、という人と会う日です。事前に曇りの予想の日にカーシェアを予約し、アポをもらったのですが見事に雨。

ジモティー(地元の人)でもなかなか行かないような所だったり、雨でも楽しめるところを考えたんですけど、どうなりますことか。

まず、浦添市美術館に案内しました。

外観はなんとも多国籍チックです。イスラム寺院を彷彿させます。内井昭蔵さんの設計です。

浦添市美術館は琉球漆器のコレクションです。沖縄は湿度が高いので漆器の制作には向くそうです。漆器自体は縄文時代からあるそうですが、以下私の想像、妄想です。琉球王国は東南アジア全域と貿易がありました。一方、北前船は北海道から加賀経由、鹿児島までコンブを運び、おそらく船を替えて、琉球を経由して中国福建省まで運ばれたと思っています。コンブの帰り荷の一つは漢方薬で、これが富山にもたらされたと考えれば、もの凄く点がいきます。福建省では昆布が採れませんし、沖縄も昆布は採れないのに、何故か一人当たりコブ消費量では日本一なんです。 海上輸送の力ですね。

こうして漆器の技法も、琉球には東南アジアから、中国から、加賀から流入、交流したのではないかと考えています。沈金、箔絵、螺鈿、蒔絵に加えて、琉球独自の堆錦(ついきん)という技法はタイにまで広まったのだそうです。

拙宅の部屋の壁にかかっている、いただき物の琉球漆器です。堆錦だと思われます。

浦添市美術館には美しい螺鈿の漆器が数多くあるのですが、私にはあと二つの重要なアトラクションがあります。

一つは琉球交易図屏風です。

Bingで検索した画像からお借りしました。

琉球の歴史に興味ある人なら1時間眺めても飽きないと思います。昔の那覇の様子が描かれています。防衛施設の三重城、交易品の倉庫の御物城、島津の船舶、外国人居留地の久米、那覇の水源である落平(ウティンダ)、波上宮、弁髪の人と歓談する人 など細かに描かれています。

もう一つは北斎の描いた琉球八景です。これが凄い。想像で書いているので、遠くに富士山が見えたり、雪景色だったりするのです。 もっと有名になっていいのにな~、とホントに思います。

以前の公開時のポスターです。

その後、できれば久高島に行きたいという希望があったもので、南部に向かいました。お昼は「カフェくるくま」という観光客には大人気のお店にしました。

晴れていればこんな感じ(資料映像です w )、なのですが今日は雨。

お店のHPからお借りしました。

久高島の見える窓辺でいただきました。

窓の外には海が広がり、雨雲の様子がわかります。目の前の久高島に雨雲がかかっているのが見えています。

私が久高島にこだわるのは、琉球最高の聖地、斎場御嶽から国王が拝むのが神の島、久高島なんです。アマミキヨが上陸した浜があり、いまだに男子禁制の御嶽があります。一木一草たりとも持ち出してはいけない、などのルールがあります。 とても心洗われる空間と景色で、以前、私は家内も娘も、長男も、友人も、連れて行きました。

昔、久高島でガイドをお願いしたとき、クルマ(相当ポンコツ、失礼)で回ったこともあったのですが、雨だからって、今日の今日じゃ無理でしょと、ここは断念。雨だし、玉泉洞に行くことにしました。

玉泉洞は「おきなわワールド」にある鍾乳洞です。かなり大きく、公開されている部分で890mもあります。私は岡山育ちで、井倉同、満奇洞で鍾乳洞は珍しくはないのですが、もう一つ「おきなわワールド」には見どころがあります。スーパーエイサーです。「スーパーよさこい」のエイサー版です。 

入場すると、太鼓の音が聞こえます。エイサー会場に急ぎました。でも残念なことに最後のショーの最後の数分しか見ることができませんでした。

ゼロじゃなくて良かった、という話でした。鍾乳洞に向かいます。

これは見事です。南大東島の星野洞をスケールアップした感じです。
写真だとまるでかき氷ですが、これはブクブク茶です。煎り米を煮出したお湯を巨大茶筅で泡立て、それをサンピン茶(ジャスミン茶)の上にふわりと乗せたものです。

おきなわワールドをあとにして、燃えちゃった首里城に向かいました。

弁財天堂です。円鑑池は水が抜かれています。池にいたバリケン(カラフルな巨大アヒル)はどこに行ったのでしょうか。(後日わかりましたが、隣の龍潭池にいました。良かった)
歓会門です、首里城に入る最初の門です。歓迎します、という意味です。

門番さんが立っています。「あと7分で全ての門が閉まります」とのことでした。「龍樋まではいいですか?」「いいですよ」

下の龍樋の写真は首里城公園管理センターHPからお借りしました。

龍の樋は中国皇帝からもたらされたそうです。この水は冊封使の徐葆光が「中山第一」とその美味しさを称えたそうで、石碑にまでなっています。門番さんによると、この水に触るといいことがあるらしいです。

晩ご飯は、本ブログではお馴染み、首里の富久屋さん(僕の大のお気に入り)です。

この佇まいは変わりません。

この3年は富久屋さんにも変化をもたらしました。昼は予約なしの早い順、夜はコース料理しかありません、ということになっていました。ということは「うむくじぷっとぅるー」は食べられるはずもなく、「びらがらまち」「みぬだる」はあるかもしれないけれど、お代わりはできない、ということです。でも、この雰囲気と沖縄居酒屋ではない琉球料理を、連れの人に食べてもらいたい、僕も食べたい、ということでやってきました。

左上からターンムアンダギー(だと思う)、右にいってジーマミ豆腐、その下がドゥルワカシー、中央下がスンシーイリチー(竹の子)、左がスヌイ(もずく)
下の黒いのは「みぬだる」です。出汁で茹でた豚肉に黒胡麻をまぶしたものです。その上はラフテー。オクラを乗せて、その上の揚げ物が今となっては不明です。 おいしそう。
ゆし豆腐です。やさしい味でした。

今日1日遊んでくれた友人に、お礼を言います。ありがとうございました。僕が行きたいところに行き、食べたいものを食べました。 友人を無事送り届けて、今日は終了です。

資料画像です。富久屋さんのオードブルです。今はもう無いのかもしれません。

容器の上に乗っている細長い緑の葉っぱは「サン」と言います。
魔除けです。これがないと痛みやすいといいます。

11月13日 7日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 5日目 11月11日 その② 笑味の店 ちむどんどん

いよいよ今回の沖縄訪問で、とても期待しているイベントの一つ、「笑味の店」です。これもコロ助3年の間に、BS放送で知ったお店で、NYレストランの3つ星シェフが訪れてインスパイアされるというものでした。その番組を確認したいと思いネットで検索しましたが、どうにも見つかりません。 

笑味の店HPで火・水・木がお休み、予約は営業時間内に、というのをみて、「今日は予約、できないな、金曜に行列覚悟で行けばいいんでしょ、遠いところだし。11月の平日だし」「16:00までだから3時頃行けば行列じゃないだろ」という思い込みで、向かったのでありました。

バタフライピー(ハーブティー)だそうです。

ご覧の通り、チョー感じの良い店です。ところが!「完全予約」の看板! 那覇から80km以上の距離。今日はあちこち寄って来ましたから、朝9時に出て、今は2時半です。今回の長期沖縄滞在の大きな目的の一つ、笑味の店なのですが。。

あきらめきれず、前にTVでみたネーネーに聞いてみました。「・・・完全予約って書いてありますけど、来ちゃったんです。・・・ホームページに書いてありましたか?」「そうだねぇ、無いのもあるけど、ある物だけで作ってみようか」「ジューシーは無いよ」 僕は即、頭を上下にブンブン振ったのでありました。

待っている間、ネットで笑味の店の予約を調べると、完全予約って出てくる出てくる、こりゃ気づかんほうが悪いわなー、と思いましたが、言い訳としては再度見たHPでは完全予約の文字、気づかないよね~、(と小さな声で)と思ったのでありました。

そのお料理がこちら 

赤米のお握りが2つ並んでいますが、本来は片方がジューシー(沖縄炊き込みご飯)になるはず、だけの違いのようです。 大皿左上がゴーヤーの卵とじ、その右側がナーベラー(ヘチマ)の味噌和え(たぶん)、スモモのゼリー、サーターアンダギー、下に行ってタピオカアンダギー(らしい)、柑橘の輪切りはたぶん九年母(クネンボ、シークワーサーではないです)、真ん中の魚はスルル(キビナゴ)、そして赤米お握りの左、これがわかりません。推定、モウイ(赤瓜)のイリチーではないかと。

大皿左がサクナ(長命草、だと思う)を練りこんだ冷麺にスヌイ(もずく)を乗せたもの、左下はパパイヤイリチー(青パパイヤですよ、念のため)、下段中央は皮付きラフテーとデークニ(大根)、オクラ、グンブー(牛蒡)、クーブ(昆布)の煮物。味噌汁は葉っぱの形から長命草だと思います。最後に味噌汁の上段はンジャナ(苦菜)の白和えです。(きっと) 

チョー満足しました。

お店の向かいにある笑味の店専用の畑です。

なるほど、なのですが「完全予約」を謳っているのは、今日の予約の分だけ、畑から採ってくるからなんですね。本当に失礼をしてしまいました。「あるもので作る」のにはもの凄く感謝しています。ありがとうございました。

実は後日、知ったのですが、NHKの朝ドラ「ちむどんどん」のモデルなのだそうです。TVドラマなんてほとんど見ない私ですが「ちむどんどん」は沖縄が舞台ということで録画予約して、毎日見ていたのです。正直、ドラマの展開には「?」だったのですが、主人公の暢子が終盤、沖縄に戻って畑を耕し、地元食材を使う食堂を開いたところは、まさに笑味の店でした。

今、このブログを書くにあたって金城笑子さんでググってみましたら、学校の管理栄養士をやって食育に携わり、スローフードのお話をまとめて本も出されている、という立派な人だとわかりました。そういう人がいまだに自分で畑をやって、「あるもので作ってあげる」というのは凄く素敵です。ありがとうございました。

沖縄滞在記 11月12日に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 5日目 11月11日 その① シーサイド・ドライブ・イン コルゲート 喜如嘉 

今日はカーシェアを調達して、北部へ遠征です。まずは是非行きたい「シーサイド・ドライブ・イン」と今回の旅の目的の1つ「笑味の店」です。どちらもコロ助の3年の間にBSの番組で知ったお店です。

まずはシーサイド・ドライブ・インです。

かつで読谷の若者は免許を取ったら、まず、ここに乗り付けたと聞いています。

BSでは「ドキュメント72時間」という番組でした。色んな人が、ここのスープをテイクアウトし、米国退役軍人夫婦が食事に来る、そんなお店です。

店内からはきれいな海が見えます。
朝食のベーコンエッグです。奥が楽しみにしていたスープです。
ジュークボックスが現役です。

その後、いしじゃゆんたく市場に向かいました。国道329号沿いの金武町です。金武(きん)はキャンプハンセンの町です。金武の社交街は危なすぎて(かつては)街灯が10mごとに立っています。

時間的にでしょうか、市場の多くはやっていませんでした。その中で・・・

以前、職場で「おばあちゃん子」を自称する若い女性が、昼食から帰ってきて、同僚に「ねぇ、コルゲート貸して」 この会話がわからない人が意外に多いのです。アメリカの老舗(Wikiによれば1806年にルーツがある)の口腔ケアブランドです。 沖縄は意外なほどアメリケーンでして、歯磨き粉と言えばコルゲート、ティッシュと言えばスコッティ(スコットペーパー)、ガソリンと言えばカルテックス(日本復帰まで琉球石油で独占)なんです。沖縄では。

宜野座村特産品加工直売センター、「未来ぎのざ」です。

天気が良くなると、本島でも海はこんな色です。この透明度!

喜如嘉にやってきました。芭蕉布の喜如嘉です。下の写真は糸芭蕉です。バナナの親戚で、木ではないので、草の大きいのということだと思います。この茎から繊維を取って、芭蕉布になります。

芭蕉布会館があって、2階では実際に織っているのですが、お昼休みだったらしく、人がいませんでした。

沖縄の防風林でよく使う、フクギの木が黄色の染料になるのは知っていましたが、相思樹が茶色の染料になるとは知りませんでした。相思樹といえば、ひめゆり学徒隊が「相思樹の歌」を最期の間際まで歌っていたことをご存じの方は多いと思います。第一高女、師範学校の校門前には相思樹の並木があったと写真で見ました。私には特別な木に思えます。

これは前回訪問したときの、近所の写真です。たぶん恐ろしい値段のものが干してありました。

近くに「喜如嘉の七滝」があります。神聖な場所です。

・・・だそうです。

沖縄滞在記 11月11日 その② に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 4日目 11月10日 オキカ 946ml 亀かめそば スーパー川平

OKICA(オキカ)を購入しました。

購入時は無記名でした。 後日、記名に変更しました。
記名にしても、定期にでもしない限り何も変わらないようです。

ゆいレールと路線バスで使えます。デポジット(保証金)が500円です。初回3000円を入金すると、2500円がチャージされました。これでバスとゆいレールは怖いものなしです。

 沖縄のバスは近距離を除いて、整理券で現金払いです。小銭がなければ、降りるとき両替して、必要額だけを自分で箱に入れるのが沖縄のバスです。お財布に1000円札だけは持っておかないと大変なことになります。過去の沖縄生活中に1度だけ、1000円札がなかったことがありました。5000円札だったか1万円札だったかの記憶はありませんが、とにかく、運転手さんがマイクで乗客に聞くんです。「5000円(1万円?)が崩せる方、いませんか?」 これがいらしたんです。ホント助かりました。

ただし、スイカ、ポスカと違うところは、タクシーではほとんど使えません。(第一交通はOK)ちなみに沖縄にはGOはありません。OKICAはコンビニもほとんどダメなようです。OKICAの皆さんの営業努力が望まれるところです。それにデポジットなんて不要でしょう。

琉球新報本社ビルの隣のビルです。

6年前からの疑問です。3階か4階にある中央の扉、これは何でしょうか。ご存じの方、いらっしゃれば(琉球新報の方はご存じでしょうけれど)教えてください。

沖縄の一見、1リットル牛乳パックは946mlです。下の方に書いてあります。

箱には「要冷蔵946ml、産地限定阿蘇山麓」でTOPVALUなのに。沖縄で箱詰めしてるんでしょうね。下のネスレも、おそろいで946mlです。これ、いかなる理由があるのでしょうか。

クォーター・ガロン(米1ガロンの1/4)なのはご承知の通りです。なぜ、沖縄で流通する1リットルもどきパックが揃って946mlなのか、業界の方、教えてください。本土のネスレ1Lと値段を比べたらどうでしょうか。輸送費がかかってるから比較不能かもしれませんね。

台風の多い沖縄ならではの建物に直接書き込む看板、それは見慣れた風景ですが、ここまできたか。巨大メッセージボードです。(笑) ここまで来ると。やるな!

「亀そば」発見! 10年ほど前、西町にあった、人気店です。昼時には店舗の外、たしかテントの下でもテーブルを置いていたと思います。フーチバー(沖縄よもぎ←厳密には違うんです)入れ放題だった記憶があります。当時私は沖縄初心者で、フーチバーを山のように入れる味覚がわかりませんでした。亀そばがどこかに移転する、という話は聞いたのですが、どこのことだかわかりませんでした。亀そばというブランドが良くて、エセ亀そばがある、なんて話も耳にしました。

お店に入って、聞いてみました。「10年ほど前、西町でしたか?」「そうです!」と嬉しそうな声。 「のれんを見かけて、10年ぶりに来ました」 

僕の記憶では「亀そば」だし、皆もそう呼んでいたのですが、暖簾を見ると「亀かめそば」です。

フーチバーそば
追いフーチバー後です。 フーチバー入れ放題なら、そもそもフーチバーそばにしなくて良いのでは? 

とても、美味いです! 21日間沖縄滞在するうちに20杯の沖縄そばを食べたと思うのですが、僕にはこちら亀かめそばが1番でした。

実は19日目にはついに「もう沖縄そばは、もういいや」と思ったのですが、20日目にはバス旅と歩きで、かなり歩いた末にやっと入った食堂で、ついまたそばを頼んでしまったのでした。しまった、とは思ったのです。ところが、です。21日目の最終日、空港で「亀かめそば、もっかい食べときゃよかった」と思ったのは確かです。

世界三大花木の一つ、ホウオウボクです。木なのにマメ科なんです。だから茶色い巨大サヤエンドウがぶら下がってます。

花が絶好調だとこうなります。

2016年5月29日の鳳凰木です。これが世界三大花木、さすがです。

地元スーパーの「スーパー川平」がなくなっちゃって、平らになっていました。これも悲しい。かつてあった場所を「この辺だよね」と行ったり来たりしちゃいました。地元食材を地元価格で販売していたお店でした。 色んなものを教えてもらいました。うりずん豆、茹でたターンム、ハンダマ、島ニンジン、ナーベラー(ヘチマ)、青パパイヤ、モウイ(赤瓜)・・・ マンゴーも市場には出回らないであろう黒い斑点だらけの(痛んでるのは皮だけ)もの、琵琶くらいの大きさ(要は小さい)もの、痛んだところを包丁で削ってトレーに入れたもの、などを格安で売っていました。ずいぶん楽しみました。

これは以前の画像です。この不気味な色した小さな琵琶型マンゴー、1パック495円でした。
でも中身はちゃんとマンゴーです。

では今日の写真から、クイズです。何と読むでしょう?

ニシヘージョーグヮー ・・・です。カナが振ってありますけど。

沖縄日記 11月11日 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27)   3日目 11月9日 その② 太平通り 食事会

太平通り 続きです。

ムーチーとは餅です。といっても、もち米をついた餅ではありません。もち粉を練って、カーサ(サンニン、月桃の葉)で包んで蒸したものです。鬼餅とも書きますが、この由来については・・・  ご自身でお調べください。

フチャギは十五夜のヒヌカン(火の神)、仏壇へのお供え物です。ムーチーに塩ゆでした小豆をまぶしたものです。

左肩に見えるのはターンム(田芋)の茹でたものです。生では売っていません。痛むのが速いのだそうです。

シークワーサーです。種が多いですけど、外皮をむいて食します。
今、まさにシーズンです。

今晩は「とまりん」のそばの「すし食堂魚まる」で昔のチームの連中と会食です。丸5年以上ぶりです。昔話に花が咲きました。すっごい楽しく、時間が経つのが速くて、気が付いたら11時すぎ、って感じでした。

おしぼりをコースターにする、これは沖縄居酒屋でのお約束です。
スーチカーです。豚肉の塩漬けです。漬けると旨味が凝縮します。
冷蔵庫のないころ、塩漬けは長期保存の有効な方法でした。
昔は豚肉を食す機会はお正月とお盆くらいだったでしょうから。

沖縄日記 11月10日 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 3日目 11月9日 その① レンタカー事情 大東そば くんぺん 太平通り 農連市場

午前中、雨降りだったこともあり、天気予報と相談しつつ、予定(行きたいところ)とカーシェア、飛行機、ホテルの予約などをやりました。

タイムズカーシェアのユーザーです。那覇には星の数ほど(オーバー)タイムズのステーションがあり、コロ助以前でも土日以外の当日予約はできました。ところが、今は空きが無いのです。マンション近くのステーションだと、明日で探してもなく、明後日もダメでした。3日後だとかろうじて何台か予約可能、という混みようです。

後日、ある那覇の飲食店のオーナーから聞いた話です。「インバウンドが来なくなって、レンタカー屋がつぶれちゃった。今、国内が戻ってきて、さあこれから思ったら、今度はクルマがないんです」

ある友人からですが、レンタカーで乗用車が無くて、軽トラで観光しているらしい、とLINEがありました。 カーシェアのほうがまだマシだったかもしれません。

下は「大東そば」と「大東寿司」です。


これには因縁がありまして、3年前、私は友人と南大東島を訪れました。当時現役だったもので、土日での訪問でした。そしたら、現地のお店が閉まっていて、共同売店のピーナツだのバナナをお昼にして空腹を誤魔化す、といった不幸に見舞われたのでした。翌日那覇に戻り、これまた空腹のまま、一直線にパラダイス通りの「大東そば」の店を目指したのでありました。と、ところが、「売り切れ」 なんてこと!

今回、那覇の大東そばのお店は浮島通りに移っていました。上の写真の大東そばのスープは大変おいしく、太麺で食べ応えもありました。大東寿司はサワラの漬けです。大東寿司は、いわゆる島寿司です。八丈島から伝えられたといいます。誰がいつ?はわかっていないそうです。ただ、八丈島ではカラシですが、大東島ではワサビです。昔は保存が効かないから漬けにしたのでしょうけれど、ワサビを使うということはそんなに昔のことではないですね。ワサビが大東島で採れるわけがないですから。

浮島通りにきたついでに、南東製菓に行って「くんぺん」を買おうと思いました。

こちらの「くんぺん」は、沖縄日記11月8日その①で紹介した琉音さんの食後の甘味として供されたものなんです。オーナーの小林さんから「南東製菓さんの「くんぺん」は餡にピーナツバターを使ってなくて、琉球時代の製法のままなんです」と紹介されました。 たしかにこちらの「くんぺん」は大きいのですが、1個まるまる食べても胸やけしません。家族向けのおみやげにひと箱買いました。

太平通りに入ります。ここは不思議な名前でして、公設市場側から見るアーケードには「太平通り」とあるのですが、開南側から見ると「大平通り」なんです。で、もっと不思議なのは、どうみても50年前で時間が止まっていることです。

太平通りを出ると、旧農連市場が新しくなって少し手前に移転していました。

残念ながら旧農連市場の写真が見当たりません。そりゃもうド迫力だったもので、暗くて、壁や梁には英語が入り交ります。市場の人用の天ぷら屋さんがあり、朝の7時前に、そこで安い天ぷらを買って、隣の沖縄そば屋に持ち込んで、天ぷらそばにして食べた覚えがあります。 下に、当時のいい加減さがわかる写真を1枚。

勇気を持ってボタンを押しますと、出てきたのは
American Cola FROM U.S.A 354ml という赤い、見たことのないシロモノでした。

沖縄日記 11月9日 その② に続く