沖縄滞在記 (11/7~11/27) 20日目 11月26日 護佐丸歴史資料図書館 愛ちゃん食堂 三笠食堂  

長かりし沖縄滞在も実質今日までです。明日のお昼には飛行機の中なので。

OKICAの残高があることもあり、今日はバス旅にすることにしました。目的地は「護佐丸歴史資料図書館」です。護佐丸という人は忠義の武将で、悲劇の人でした。琉球オペラである「組踊」(くみうどぅい)の演目に「ニ童敵討」(にどぅてぃちうち)という演目があります。(組踊については、また別のページで紹介しますね) 人気の演目で、以前、私も見に行きました。勝連城主の阿麻和利(あまわり)に嵌められ殺された護佐丸の遺児二人が、かたき討ちを果たす、という物語です。組踊になるくらい、護佐丸が人々に愛されていたことがわかります。

もっとも敵役の阿麻和利は、地元勝連に伝わる「おもろ」では、名君として称えられているそうです。あの忠臣蔵の吉良上野介も地元では名君だったそうで、どっちがホントかわかりません。

どこか県立博物館に似ています。
この企画展を見に来ました。残念ながら写真は撮れないし、パンフレットもありません。

米軍関係者が本島と宮古で撮影した約300点です。当時の沖縄の農村、街の様子、子供たちの日常が見て取れます。主催者の教育委員会では写真の情報を求めています。どこなのか、誰なのか、何が写されているのか。 結構、メモが寄せられていました。

護佐丸歴史資料図書館の近くに吉の浦公園ビーチがありました。

公園展望台からの眺めです。

お腹がペコペコです。昨日まで、ほぼ毎日沖縄そばを食べていて、さすがに食傷気味です。近くの「そば専門店」を通り過ぎて、先の「愛ちゃん食堂」に向かいました。

「愛ちゃん一人でやってますので、セルフでお願いします」と書いてありました。食券を買いました。 ここからが本土の人には慣れないところだと思うのですが、厨房につながる窓口、これが返却口でもあるのですが、そこから見える愛ちゃんに「〇〇ね」と声をかけることが必要なのです。

そばにはもう飽きてきていて、そば専門食堂を1軒通り過ぎて、結構な距離を歩いてきた私なのですが、券売機の「愛ちゃんそば」の文字にやられました。それも1000円だったか、1100円だったか、いい値段なのです。それを見て、これしかない、でした。そして出てきたのがこちら。

・・・要は全部乗せ、なのでありました。

バスが通っていない中城城(ナカグスクグシク)まで歩いて上る体力はなく、帰りのバスを待ちました。

帰ってきて、沖縄最後の晩ご飯です。ここはゴーヤーしかなかろう、と思い、三笠食堂へ。

以前に50年の老舗、と紹介しました。三笠HPからお借りしました。
これが、沖縄の大衆食堂のゴーヤーチャンプルーです。
ゴーヤではなくゴーヤーで、チャンプルではなくチャンプルーです。
アンマー、オバーたち(ネーネーと呼びます)がうじゃうじゃ働いていました。

11月27日 21日目 最終回、内容ほぼナシ に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 19日目 11月25日 ウチナー口はアイウイウ やちむん通り

那覇市立壺屋焼物博物館にやってきました。この博物館は「やちむん通り」にあります。「やちむん」って何でしょうか。「やきもの」をウチナー口で言ったものです。

ウチナー口では 「アイウエオ」が「ア、イ、ウ、イ、ウ」という3種の母音に変わるんです。もう一つだけ、「キ」は「チ」に変わるんです。 この2つがわかれば、例えば「おきなわ」は「うちなわ」になり、「ウチナー」になりますね。

「やきもの」はキがチに変わって、モがムに変わって、「やちむん」になるわけです。

さて、壺屋焼ですが、荒焼(アラヤチ)は三山以前からあったようです。荒焼は登り窯で素焼きですから、素人の私にとっては、本土で言えば備前焼に似ています。(歴史は備前は1,000年の歴史だそうです) 泡盛の熟成用の甕や瓦に使われました。

島津に連れ去られた尚寧王の時代に朝鮮の陶工を呼び寄せて、壺屋焼のもとになりました。その後釉薬をかけた上焼(ジョウヤチ)も作られ、泡盛の酒器(カラカラ、抱瓶)、食器となって使われています。

読谷に「やちむんの里」がありますが、これは沖縄初の人間国宝、金城次郎さんが窯を移したことから始まりました。

最も典型的な柄は魚紋だと思います。線彫りで唐草も多いです。私も椀、皿、マグカップ、丼ぶり(いただきもの)で愛用しています。

このシーサーはかなり昔ですがJALの宣伝に使われ、沖縄ブームの先駆けとなったと聞いています。

その後、県立博物館に向かいました。

沖縄には「港川人」という日本最古(発見当時)の旧石器時代の全身骨格があります。実はその後、那覇市山下町で「山下洞人」が発見され、これが現在の日本最古の人骨です。(ちなみに、山下町は戦後しばらくペリー区と呼ばれてました。マレーの虎、山下大将を思い出されるからだそうです)

県立博物館で良いところはミュージアムショップが充実しているところ、入場料を払わなくてもOKです。ここでお土産調達ができます。(お菓子はありません)

なんとも沖縄っぽい風景です。いい味だしてます。

11月26日 20日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 18日目 11月24日 その② 糸満ファーマーズマーケット

糸満に来たらファーマーズマーケット「いとまん うまんちゅ市場」に寄るのがお約束です。毎回、圧倒的な「緑」に感動します。

入るとすぐにこの大量の冬瓜。東京では見ることがありません。
へ、ヘチマがサラダ?
うりずん豆です。横の切り口はX字状です。スターウォーズの戦闘機、Xウイングを思い出します。

石垣ではオオタニワタリを食べるのを知っています。(私も食しました)
でもウンテェー、チシャナバー、なんでしょうか。
知らない葉っぱ、続々・・・

出た、これまたお約束のアチコーコー島豆腐各種。
島バナナです。800円て、チト高くね? そうでもないんです。これでも島バナナとしては安価です。
緑の島バナナが黄色くなって、黒くなったら、そこが食べごろです。
ネンチョロリンとして、甘くて、酸味があるのが特徴です。
念のためですが、モンキーバナナとは全然違います。

上が青パパイヤの炒め物です。完熟するとパパイヤですが、その前の青いパパイヤです。
脂肪や糖質を分解すると言われています。
下がヒラヤーチーです。ヤマト言葉に直せば「平焼き」です。沖縄版お好み焼きと思ってください。
250円、安っす!
これは私が購入したお弁当ですが、沖縄のお弁当の特徴がよく出ています。
ご飯のうえにおかず(フータンプルーを乗せて、ご飯が見えないのです、
おそらくは、豪華に見せたいんだと思います。
これも購入した島バナナです。もう食べごろです、だから安いのかしら。

糸満ファーマーズマーケットは見飽きることはありません。

11月25日 19日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 18日目 11月24日 その① バスマップ ジョン万次郎 具志川城跡 照屋の石獅子

今日はカーシェアを調達して具志川城跡を目指します。タイムズを借りたのが那覇バスターミナルのそばだったので、バスで向かいました。今回の沖縄滞在でお世話になっているのがバスルートマップです。

バスターミナルのバス会社事務所で無料でもらえます。
以前の沖縄単身赴任時にもすごくお世話になりました。
左はローマ字表記つき、右のほうが僕には使いやすいです。

バスターミナル裏の看板です。

白鳥の玉子焼き? オイオイ、白鳥の焼き鳥かい? んなわきゃありません。

具志川城跡に行く途中に見かけた「ジョン万次郎上陸の地」の案内板。これは行ってみないと。

こんな海岸にアドベンチャラー号で上陸したそうです。
ジョン万の銅像です。

具志川城跡です。

三山の時代以前に、久米島の按司(豪族)がこの地に逃れてきたのだそうです。

12世紀後半の築城といいますから、相当古いです。1100年代の石垣です。本土では最古の天守といわれる安土城が石垣を使っていますが、これは1576年です。明智光秀が坂本城に石垣を築いたのが1571年、さらに六角氏の観音寺城の石垣が1556年で、これが最古と言われます。

違うんじゃないでしょうか。中国の技術、設計思想が入ってきているとはいえ、本土初の石垣を遡ること、400年です。ものすごく、たいしたものです。 でも当時は日本じゃなかったから「日本最古」ではないのでしょうか。島津と明治政府の侵略で日本にしちゃったのだから「日本最古の石垣」の称号は沖縄であるべきだと思います。

具志川城跡の360度の光景です。誰もいません。立派に計算された築城だと思います。(素人ですけど)
沖縄のグスクは拝所(うがんじゅ)でもあるのです。

具志川城跡をあとにして、照屋の石獅子です。シーサーは由来として火事除けだったらしいです。最古といわれる富盛のウフシーサーは風水師の言葉により八重瀬岳に向けて置かれたそうです。

石獅子のチブル(頭)部分です。

ヒーザン(火の山)と恐れられた八重瀬岳を睨みつけるヒーゲーシ(火返し)です。

石獅子のすぐ先に沖縄そばの「いーばる家」がありました。人気店のようで、午後1時半で、結構広い店ですが、たまたま空いていた最後のボックスに私が一人で入ってしまいました。次の人は順番待ちです。

てびちそばです。ご覧の通りのあっさりスープです。旨い。

11月24日 18日目 その② に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/21) 17日目 11月23日 お土産店を2店(オススメ) 老舗そば屋

今日は東京の家族にお土産を調達に国際通りをゆっくり歩きました。県庁から近い、左側の1階に「わしたショップ」があります。ここは沖縄県も出資する株式会社沖縄県物産公社の運営です。というくらいで品物にも値段にも信頼感があり、品ぞろえもあります。他のお土産屋さんでは見ることのまずない、例の波照間島の泡波もあるくらいです。(高いけど、ネットより安い) というくらいで沖縄在住以来の贔屓にしているお土産屋さんです。

わしたショップのサイトからお借りしました

今回調べたのですが「わした」とは昔から「私たちのコミュニティ」といった意味だそうです。

もっとも、包装紙がいるような改まった、泡盛などのお土産は県庁向かいの「りうぼうパレット」のデパ地下から発送します。

「わしたショップ」の2階には美ら海水族館のアンテナショップ「うみちゅら」が入っています。ここもGoodです。今日は初孫に、大きなジンベエザメのぬいぐるみ、ウミガメ、マナティのぬいぐるみ、かなり近い将来のための食器類、その他いろいろ購入しました。

娘に地元デザイナーのTシャツを購入しました。

雨の中、軽いけど大きな荷物をぶら下げて(袋がビニールで良かった)沖縄そばの老舗に向かいました。創業70年にもなると聞く「かどや」です。WWⅡで那覇はみんな燃えちゃったのですから、ひょっとしたら那覇で1番の老舗かもしれません。

いわゆる本ソーキ、固い骨です。白濁したスープはやさしく奥深い味でした。人気店のような、何かに特徴を持たせたそばではなく、ごくごく、普通の沖縄そばです。普通が一番かもしれません。

次に牧志の「てんぶす那覇」2階の那覇市伝統工芸館販売場に行きました。販売場のお向かいが伝統工芸館です。

首里織り、紅型(びんがた)、琉球漆器、琉球ガラス、壺屋焼き(やちむん)など立派な品物が揃っています。

ここでは家内に、迷った末に琉球漆器の堆錦(ついきん)という技法を使ったボールペンを買いました。伝統工芸士さんの作品です。 実は私の退職祝いの1つが蒔絵のボールペンだったことが決め手でした。

娘のダンナに買った泡盛をくるむエアクッションをおもろまちの100均で買って、大荷物なのでタクシーで帰りました。 ゆうパックで送るための荷づくりをしました。

ゆうパックで送る際、品名は詳細を極めます。「X線で見ますから」なんて言われて。お酒は度数、ml、まで記入が必要です。玩具と書くと「電池は?」と聞かれます。それとご注意。今、サンゴや貝殻は持って帰っちゃいけない条例があるのだそうで、伊計島で買った貝殻を入れたので「貝殻」と書くと、「購入物」と追記されました。クロネコの場合はわかりませんが、ご注意ください。

11月24日 18日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/21) 16日目 11月22日 沖縄値段

昨日は気持ちよく楽しんだ「那覇まちまーい」ですが、本日以降の3回、申し込みをしました。その3回とも最少催行人数に足りない、つまり申し込んだのは私一人だった、ということです。「壺屋のツボ」と「沖縄の不思議と謎25連発」を2回です。〇人が予約とか書いてあるのにです。過去の累計数字なのでしょうか。人気ランキング4位と5位です。どうなっているのでしょうか。そのたび、クレカは返金されるとはいえ、落とされるのです。オツムにキノコ、背中にシイタケです。←これ、50年前の友人のセリフです。

ということもあり、今日は休養日です。

なぜか豆腐のから揚げがどのスーパーにもあります。厚揚げみたい。
ボロボロ:やわらかい様子 ジューシー:炊き込みご飯
本土じゃインフレだってのに。キリンで59円。。
サンガリアになると48円。インフレなんて嘘でしょ。
これで足りちゃう人はいると思います。

近所の東シナ海でも眺めようかとフラフラお出かけしたところ、港湾・倉庫・運輸労働者向け食堂がこちら。

うさまる食堂の「みそ汁」がこちら

海までたどり着き、とぼとぼ帰る途中に、この看板です。

配色がウクライナですけど、滞在記1貝目で紹介した、今はなき「だるま屋」を彷彿とさせます。
なかなかの風格。
具が麺の下に隠れているタイプではありませんでした。もう一つの正肉と波々カマボコのタイプです。

もちろん、ジューシーとほろほろ肉、頂いて帰りました。ほろほろ肉、当たりです。あればラッキー、という説明はホントです。

11月22日 16日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/21) 15日目 11月21日 伊計島 浜比嘉島 かね食堂のヤギ汁 サンセット 

今日は晴れです。狙ってカーシェアを調達しています。こちらに来てから最高の天気なので、本島で僕の経験では一番綺麗だった伊計島に渡る伊計大橋を目的地としました。

途中の海中道路も相当綺麗です。

石油基地の川というか入江の色も凄いです。

宮城島の「ぬちまーす製塩観光ファクトリー」から見る果報バンタ(かふう崖)です。

目的の伊計島入口の伊計大橋あたりです。

チョー満足な海の色です。

伊計島は驚くほど観光地化していました。手前の「ぬちまーす」はクルマがいっぱい、観光バスも来ていました。過去3回訪れたことがありますが、駐車場なんてガラガラだったのに。

ドン突きには大きなリゾートができ、進入禁止になっていました。セグウェィサーキットなんてのもできていました。N高等学校本校ができたのも大きいと思います。それで、今まで入ったことのなかった伊計島の集落に入ってみました。

とても綺麗な漁港です、
「グラスボート」ではありません。まさか自分で船底をくりぬいたんじゃないでしょうね。

貝殻とカフェです、なかなかいい味だしてる店主です。
言っちゃなんですけど、貝殻とかサンゴ、安いです。(赤い宝石珊瑚ではないですよ)
今は条例ができて、海岸のサンゴ、貝殻は持って帰っちゃいけなくなりました。
「買ったもの」のならいいんです。

帰りに浜比嘉島に寄りました。

アマミチュー(アマミキヨ)のお墓です。神様も亡くなられるんですね。

製塩所にも寄りました。育ちの地、岡山によくあった製塩法の小型版でした。塩の原財料名が「海水」にはちょっと笑えます。

東京では成城石井で取り扱っているそうです。
製塩所の庭の奥の入り口から入っていく、ほとんどプライベートビーチです。

海中道路本島側たもとあたりの「かね食堂」に向かいました。ここもお気に入りで、海中道路に来た時には毎回寄ります。家族も友人も連れてきました。

骨汁、Cランチがオススメなのですが、今日はヤギ汁を選択しました。

このあと那覇に向かったのですが、これだけ晴れていればサンセットを見る手だと思い、「ここはイケルに違いない」と思っていたポイントに向かいました。あとからグーグルMAPで見てみると、やはり名所らしく、「安謝新港夕日スポット」となっていました。

東シナ海のサンセットです。 実はこの瞬間を30分も待っていました。

11月22日 15日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/21) 14日目 11月20日 那覇まちまーい「命(ぬち)どぅ宝」 高良食堂

今日は「那覇まちまーい」という観光協会のガイドツアーに参加します。「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)コースです。以前と違って、ネットで予約、クレジットカード決済です。最小催行人員2名で、催行されなければ返金します、というちょっと引っ掛かる決済方法です。 今日のコースは開催されるようです。

当日、早めに儀保駅に到着し、浦添尚氏の浦添さんのお家の横を通って、琉球国王尚氏の子孫、尚さんのお家に向かい、お家の隣にある指司笠樋川(さしがさふぃーじゃー)に立ち寄りました。

階段を降りたところに樋川があります。
数年前にはこの看板がありましたが、今はありません。

「まちまーい」は首里杜館(すいむかん)待ち合わせです。ガイドさんと同行者1人、観光協会の見学1人というグループでした。

まず「西のアザナ」に登り、首里の町と東シナ海までの光景を見渡しました。「おもろまち」から「泊(とまり)」のあたりです。昔は中国の冊報使がたどった道なのですが、WWⅡでは米軍が艦砲射撃を行い、上陸、進撃してきた道なのです。途中にはシュガーローフ(1日のうちに4回もてっぺんの旗が変わったと伝わるほどの激戦地)もあります。

首里城地下には総延長1000mにわたる第32軍司令部壕が作られました。その入り口に案内されました。そりゃ首里城が真っ平になるはずです。

ガイドさんから沖縄戦の終了は9月7日と伺いました。終了したのは、私は6月23日「慰霊の日」だと思い込んでいました。実はそれは牛島中将自決の日であり、その後も戦闘は続いたのだそうです。沖縄戦終結のきっかけとなったのが6月23日で、正式に降伏文書にサインしたのが9月7日とのことでした。

水かさが減った龍潭池のわきを通り、一中健児の塔へ。 過去、何年も那覇に住んでいながら、私は気づきませんでした。ナンバリングスクール、一中は今の首里高校だったんです。二中が那覇高校なんです。・・・当然といえば当然です。

一中の生徒は通信隊(走って命令を伝える伝令兵)といった役割だったそうです。頭が良いから。 319柱の職員・生徒を失ったそうです。彼らの名前が碑に刻まれています。その中に「尚」の名字をお二人、見つけました。ガイドさんの話では「戦時中、食べ物がなくなり、皆がイモを弁当にしていたところ、尚さんは二段重ねを持ってきていたそうです。しかし、彼は『皆で食べろよ』と自分は手をつけなかったそうです」 そして一緒に戦う。ノブレス・オブリージュですね。

まちまーい終了後、沖縄そばの人気店「ほりかわそば」に向かいましたが、すでに行列状態。そこで「首里そば」に向かいましたが、今日は定休日。

そこで先日、ランチは先着順と聞いた富久屋に向かいました。夜はコースだけ、昼はアラカルトもできると聞いていたのですが、残念ながら昼は何種類かの定食だけ。富久屋さんの「うむくじぷっとぅるー」を食すチャンスっは失われました。

中身汁定食です。夜の「コース」の品数が減ったイメージです。

手頃で雰囲気の良い琉球料理のお店でしたが、簡略化してしまったようです。同じようなお店として、以前「琉音」を紹介しましたが、こちらは閉業。さらに「ままや」も閉業しています。あぐー豚のしゃぶしゃぶで有名(来沖芸能人御用達)な「まつもと」は場所を少しだけ変えて、こちらは営業していました。

今日の晩ご飯は高良食堂です。下は「ゆし豆腐そば」です。

「煮込み」です。
スーパーの棚に、東京では見ない列を見かけました。

11月21日 15日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 12日目 11月18日 北谷でランチ食事会 アメリカンヴィレッジ

昨日に続き、かつてのチームの人たちと、北谷のヒルトンでランチです。みんなで1台のクルマで行こうと、わざわざレンタカーで迎えにきてくれました。

女子力の高い?男性がいて、彼の最初のひと揃いです。実は元飲食で10年以上勤務してきたのですが、労働環境の悪さに私の勤務していた会社に転職してきたキャリアです。ヒルトンは、さすがに綺麗で洗練されたビュッフェでした。

5年という時間は全く感じませんでした。皆さんまったく変わらず、むしろ一瞬にして5年前に戻った、という感覚でした。

同窓会はとても楽しく、お腹もいっぱいになりました

沖縄の、海にも入れそうな青空の下のクリスマスツリーです。
まあ南半球ではクリスマスは真夏ですけれど。

北谷にはアメリカンヴィレッジがあります。私には「あるのは知っている」という程度の興味の施設であるうえに、クリスマスなんて敬虔な仏教徒の私には縁がないと思っているのです。(仏教徒ではありますが日本神道も信じてます)

ところがアメリカンヴィレッジ、入ってみると意外に楽しい。というか、娘がバレエの先生をやっていて、クリスマスと言えば「くるみ割り人形」、くるみ割りといえば「おもちゃの兵隊」ということで、お土産に「兵隊さんのくるみ割り人形」を購入しました。

今年生まれた初孫にもスノーボールのお土産を買い、楽しく買い物をしてしまいました。

元チームの皆さんに送り迎えをしてもらいました。楽しい時間に感謝しています。ありがとうございました。

晩ご飯と明日の朝食の調達にスーパーに行きました。

ごらんの通り、本土で言えば「焼きたてパン」と同様、あちこーこーの豆腐の入荷時間が表示されています。

濃い茶の値段が東京と違います。東急ストアでは、138円から先日158円に値上げしているのです。
通常は輸送費がかかる分だけ、ナショナルブランドは本土よりも高いのですけれど。
スイカ、安い!

11月19日 13日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 10日目 11月16日 波照間島(果てのサンゴの島)

いよいよ波照間です。今回の沖縄滞在の最大の目的です。思い起こせば、私が波照間島を知ったのは松岡圭祐さんの「人の死なないミステリ」の「Qシリーズ」、主人公の凛田莉子が波照間島出身であることでした。その後、私が「離島の離島」に好奇心を持ち、まずは宮古、次は石垣、次は西表、次は? となったとき、波照間が候補にあがりました。

しかし問題は手段がフェリーしかなく、その欠航率が3割を超すと知り、石垣まで行ったはいいけど渡れない、つまり石垣で宿がいる、波照間に行けたはいいけど帰れない、てことは東京に戻れない、というリスクを考えると、現役の間はムリでした。それで前回選択したのが南大東島でした。こちらは飛行機があったので。 

今回は引退後であり、何日か戻れなくても平気(ウィークリーマンションを余裕を持って借りている)、何より日帰りが可能と知ったこと(帰れなくなるリスクが大きく下がる)でした。

波照間でレンタカーはグーグルMAPで見ると、たぶん3社、そのうち港に1番近い会社に電話すると、なかなか出ません。時間を変えても出ません。やっと出ると「泊りの人が優先で、日帰りのお客さんは先着順。フェリーから急いで来てください。電動自転車ならあります」とのこと。てことはフェリーに早く並んで、出口に近い場所に座らなくちゃ、ということになります。

意外に長い列です。フェリー後方はオープンデッキです。気持ちよさそうでしたが、木のベンチでした。外海は波が高く、乗り心地が悪かろうと想像して前方のシート席へ。でも出入り口に近い窓側は空いてなく、前のほうへ。

「んぎしたおーりょー」とは「いらっしゃい」です。本島なら「めんそーれ」 

着岸すると出口は前方から。ラッキー、とばかりに急ぎ足でレンタ屋さんへ。でも誰も後ろにいません。拍子抜けして受付へ。すると免許証をコピーしただけで、「このクルマ」と鍵をわたされました。なんともラフな手続き。

「なかなか電話に出ないんですよ」「フェリーの時間しかいないから」なるほどです。納得しました。さらに「ガソリンは入れなくていいから」だそうでありました。ラフな手続きって、ん~、そりゃ島からクルマを乗り逃げしようもないもんね、と納得しました。

まずはニシ浜へ。残念なことにお天気はイマイチ。

離島の海です。綺麗です。
見事なほどに人の姿はありません。

今回の沖縄滞在の最大の目的が波照間島訪問、2番目の目的が「海を眺めてボーッとすること」でした。その2つの目的が同時に果たされてしまいました。本島では見たり食べたりが忙しく、石垣では暑くて、ボーッと海を眺めることはできませんでした。そういう意味では雲が多めで良かったのかもしれません。

なんせ人っ子一人いないのです。 気が付いたことは、海岸に散らばるサンゴ(の骨)が大きいのが多いのです。本島ではまず見ない、枝サンゴ、それも細かいのもあるのです。本島、石垣のは皆が持って帰っちゃったんだろうな、と思います。

ところで、波照間って「果てのうるま」が語源だそうです。「うるま」はウチナー口で「サンゴ(ウル)の島(マ)」という意味です。「果てのサンゴの島」です。確かに果てです。この島の南はもう遥か、フィリピンですから。。

なんてことで、ヤヴァイです。流木に腰かけて、海を眺めていると帰りたくなくなっちゃいそうです。ホントに帰りたくなくなっちゃうと、それこそヤヴァイので、エイヤッと腰をあげました。夕方、帰りのフェリーの前に、また来よっと。

島内4か所あるらしい売店のうち、3か所を覗いたのですが、どこも、あんま、愛想よくありません。観光客は歓迎されてないようです。水着で入るな、砂を落としてから、だとか。「弁当のゴミは?」と聞くと、「週に1度だけだから、ウジがわく」と断られ「あ、そうか、持って帰るのか」と気づかされた次第です。

こちらは餌をもらっているヤギさん。
道端を歩くヤギの親子 野良ヤギではありません。放し飼いです。 クルマが来てもなかなかどかない。 

今になって思い起こしますと、1日クルマで走って、出会ったのはこのヤギの親子と、電動チャリの女性2人組、電動チャリのオジサン1人、でした。 ヤギのほうが多い。。

では最南端に向かいます。どんな景色が待っているのでしょうか。

一応、証拠写真です。
こんなのもありました。
琉球石灰岩に化石が入ってます。
島の南端は外洋ですから、波が凄いんです。撮影するの、怖かったです。
最南端の碑から360度、誰もいない、樹木も生えない、荒涼ともいえる景色です。
先ほどのニシ浜(ニシって沖縄方言で「北」のことです)とは大違い。南端は太平洋の外海です。
お弁当を食べてたら、からすが寄って来ました。逃げません。
赤ウインナーの端切れを遠くに投げてやったら、後ろからお友達が3羽飛んできました。
黄色い筋、魚の網か、と思ったのですが、グーグルレンズで調べると「スナヅル」です。
私は初めてでしたが、珍しいものではないようです。
最南端の交番です。日本地図ですが、台湾まで書いてあります。
コート盛 火の見やぐらです。

泡波(波照間島で唯一の泡盛。希少性が高い)を買いに泡盛販売所へ。共同売店でミニボトルは5本ゲットしたのですが、できれば三合瓶を手に入れたかったのです。酒造所のすぐ近くに販売所があります。でもミニボトルしかありません。三合瓶は、今日、明日の入荷はないそうです。「ミニボトルは売店で買ったんです」「ちょっと高かったでしょ」という会話がありました。せっかくなので、Tシャツとトートバッグ、巾着を購入しました。

一升瓶型ミニボトルです。他に透明三合瓶型があります。現地では360円と記憶していますが、那覇で見たら1100円。今、アマゾンでは1500円しています。(100mlですよ) 
島民が作って、島内で消費してしまうので、外に出ないんです。それで希少性が高いんです。
30度もあるわりにはスッキリ、飲みやすいけど、高級酒ではないと思います。(お酒は好みですからね)

再び、ニシ浜に来ました。

やっぱり誰もいません。
しばらくして、ちょっと明るくなると、この海の色です。う~、たまらん。

港に戻ります。

亀甲墓だと思いますが、甲羅(屋根)の両端がピンと上がっているのは特徴的だと思います。
採石場らしいです。
地元飲料です。「ゲンキ」がいいですね!
石垣島から那覇への飛行機はプロペラ機(ボンバルディア)でした。
石垣からのプロペラは初めてです。終便でお客さんが少ないからかな?

こうして、波照間島行は終了しました。満足度は高いです。西表島よりもはるかに田舎で(西表って、島内一周道路がないくらい未開の地なんですけど)、南大東島よりも、もっと田舎です。(南大東には信号機があります。1機だけど) 波照間には島内に1つも信号はありません。「食堂」という看板がありません。コンクリートブロックが案内板らしく、食堂らしき文字は書いてあるのですが、予約なしでどうかとか、お店って感じの建物ではなくて、訪ねる勇気がありませんでした。 

波照間島、ありがとう。

11月17日 11日目 に続く