沖縄滞在記 (11/7~11/27) 21日目 11月27日 See you again, 沖縄 沖縄の魅力

帰京の日が来ました。

私が沖縄の風景、人、歴史にこんなに惹かれるのは何故なのでしょうか。

思うに、1つには「日本語が通じる外国だから」です。私は琉球王国に敬意を持っています。日本とは文化も歴史も食べ物も、まったく異なっていて、これは私にとってとても興味深く、好奇心をかきたてられるものなのです。さらに、ほんの百数十年前まで琉球王国であったのに、日本語が通じるのは本当に楽で安心です。これは?と気になった好奇心も、日本語ならすぐに満たされます。

惹かれる2つめの理由です。若い人で、私と一緒に働いた勤務先を辞めても、付き合いを続けてもらえるのです。これは過去の経験ではありませんでした。ウチナンチュとは、まだ10年ちょっとしか付き合いがありません。しかしわかるのです。ウチナンチュのすごく深く、暖かい、且つやさしい心を感じるのです。

沖縄の人は沖縄が大好きです。だから本土に就職しても、帰って来る人が多いんです。 とはよく言いますが、これは「沖縄の人」には限らないですね。私も大好きです。このブログのTOPページに「沖縄にブツブツ言っていた私が、どうして大好きになったのか、このブログで紹介していきたいと思います」と記しています。 答えが出たかもしれません。

しかし、私はしょせんナイチャーです。ナイチャーですから、島津や明治政府の侵攻と沖縄戦については、ちゃんと知っておかなきゃいけないでしょ、と思っています。

See you again、沖縄。

那覇→羽田の航路としては、富士山が良く見えました。

ではこの長い沖縄滞在記、ここまでです。

追記   今回、初めてウィークリーマンションを借りました。これは入ってしまえば、快適で安いです。スーパー・コンビニが近い方がいいよね、というのは普通の住居選びです。洗剤や布巾が必要だったり、ゴミ出しなど、入室しないとわからないこともありますけれど。 それと、格安チケット、格安ホテルのサイト、これは快適でした。私が飛行機のチケットを買うにあたり、過去ANAのダイヤモンドメンバーだったほどに使い慣れたANAのサイトで、ついチケットを購入していました。でももうしません。(ANAもフライト直前になると安くなるようですけど)

 この滞在記に「これは変だ」「違うよ」があれば、ぜひコメントください。

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 20日目 11月26日 護佐丸歴史資料図書館 愛ちゃん食堂 三笠食堂  

長かりし沖縄滞在も実質今日までです。明日のお昼には飛行機の中なので。

OKICAの残高があることもあり、今日はバス旅にすることにしました。目的地は「護佐丸歴史資料図書館」です。護佐丸という人は忠義の武将で、悲劇の人でした。琉球オペラである「組踊」(くみうどぅい)の演目に「二童敵討」(にどぅてぃちうち)という演目があります。(組踊については、また別のページで紹介しますね) 人気の演目で、以前、私も見に行ったことがあります。勝連城主の阿麻和利(あまわり)に嵌められ殺された護佐丸の遺児二人が、かたき討ちを果たす、という物語です。組踊になるくらい、護佐丸が人々に愛されていたことがわかります。

もっとも敵役の阿麻和利は、地元勝連に伝わる「おもろ」では、名君として称えられているそうです。あの忠臣蔵の吉良上野介も地元では名君だったそうで、実のところはどっちがホントかわかりません。

どこか県立博物館に似ています。
この企画展を見に来ました。残念ながら写真は撮れないし、パンフレットもありません。

米軍関係者が本島と宮古で撮影した約300点です。当時の沖縄の農村、街の様子、子供たちの日常が見て取れます。とても興味深いです。主催者の教育委員会では写真の情報を求めています。写真の場所はどこなのか、誰なのか、何が写されているのか。 結構、メモが寄せられていました。

護佐丸歴史資料図書館の近くに吉の浦公園ビーチがありました。

公園展望台からの眺めです。

お腹がペコペコです。昨日まで、ほぼ毎日沖縄そばを食べていて、さすがに食傷気味です。近くの「そば専門店」を通り過ぎて、先の「愛ちゃん食堂」を目指しました。

「愛ちゃん一人でやってますので、セルフでお願いします」と書いてありました。食券を買いました。 ここからが本土の人には慣れないところだと思うのですが、厨房につながる窓口、これが返却口でもあるのですが、そこから見える愛ちゃんに「〇〇ね」と声をかけることが必要なのです。

そばにはもう飽きてきていて、そば専門食堂を1軒通り過ぎて、結構な距離を歩いてきた私なのですが、券売機の「愛ちゃんそば」の文字にやられました。それも1000円だったか、1100円だったか、いい値段なのです。それを見て、これしかない、でした。そして出てきたのがこちら。

・・・要は全部乗せ、なのでありました。

バスが通っていない中城城(ナカグスクグシク)まで歩いて上る体力はもう無く、帰りのバスを待ちました。

帰ってきて、沖縄最後の晩ご飯です。ここはゴーヤーしかなかろう、と思い、三笠食堂へ。

以前に50年の老舗、と紹介しました。三笠HPからお借りしました。
これが、沖縄の大衆食堂のゴーヤーチャンプルーです。
ゴーヤではなくゴーヤーで、チャンプルではなくチャンプルーです。
アンマー、オバーたち(ネーネーと呼びます)が、うじゃうじゃ働いていました。

11月27日 21日目 最終回、内容ほぼナシ に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/27) 19日目 11月25日 ウチナー口はアイウイウ やちむん通り

那覇市立壺屋焼物博物館にやってきました。この博物館は「やちむん通り」にあります。「やちむん」って何でしょうか。「やきもの」をウチナー口で言ったものです。

ウチナー口では 「アイウエオ」が「ア、イ、ウ、イ、ウ」という3種の母音に変わるんです。もう一つだけ、「キ」は「チ」に変わるんです。 この2つがわかれば、例えば「おきなわ」は「うちなわ」になり、「ウチナー」になりますね。

「やきもの」はキがチに変わって、モがムに変わって、「やちむん」になるわけです。

さて、壺屋焼ですが、荒焼(アラヤチ)は三山以前からあったようです。荒焼は登り窯で素焼きですから、素人の私にとっては、本土で言えば備前焼に似ています。(歴史的に言えば、備前は1,000年の歴史だそうです) 荒焼は泡盛の熟成用の甕や、瓦に使われました。

島津に連れ去られた尚寧王の時代に朝鮮の陶工を呼び寄せて、彼らが壺屋焼のもとになったそうです。その後釉薬をかけた上焼(ジョウヤチ)も作られ、泡盛の酒器(カラカラ、抱瓶)、食器となって使われています。

読谷に「やちむんの里」がありますが、これは沖縄初の人間国宝、金城次郎さんが窯を首里から移したことから始まりました。

最も典型的な柄は魚紋だと思います。線彫りで唐草も多いです。私も椀、皿、マグカップ、丼ぶり(いただきものです)で愛用しています。

このシーサーはかなり昔ですがJALの宣伝に使われ、沖縄ブームの先駆けとなったと聞いています。

その後、県立博物館に向かいました。

沖縄には「港川人」という日本最古(発見当時)の旧石器時代の全身骨格があります。実はその後、那覇市山下町で「山下洞人」が発見され、これが現在の日本最古の人骨です。(ちなみに、山下町は戦後しばらく米国占領下では「ペリー区」と呼ばれてました。マレーの虎、山下大将を思い出されるからだそうです)

県立博物館で良いところはミュージアムショップが充実しているところ、入場料を払わなくてもOKです。ここでお土産調達ができます。(お菓子はありません)

なんとも沖縄っぽい風景です。いい味だしてます。

11月26日 20日目 に続く