沖縄滞在記 (11/7~11/21) 15日目 11月21日 伊計島 浜比嘉島 かね食堂のヤギ汁 サンセット 

今日は晴れです。天候を狙ってカーシェアを調達しています。こちらに来てから最高の天気なので、本島で、僕の経験では一番綺麗だった伊計島に渡る伊計大橋を目的地としました。

途中の海中道路も相当綺麗です。

石油基地の川というか入江の色も凄いです。

宮城島の「ぬちまーす製塩観光ファクトリー」から見る果報バンタ(かふう崖)です。

目的の伊計島入口の伊計大橋あたりです。

チョー満足な海の色です。

伊計島は驚くほど観光地化していました。手前の「ぬちまーす」はクルマがいっぱい、観光バスも来ていました。過去3回訪れたことがありますが、駐車場なんてガラガラだったのに。

ドン突きには大きなリゾートができ、進入禁止になっていました。セグウェィサーキットなんてのもできていました。N高等学校本校ができたのも大きいと思います。それで、今まで入ったことのなかった伊計島の集落に入ってみました。

とても綺麗な漁港です、
「グラスボート」ではありません。まさか自分で船底をくりぬいたんじゃないでしょうね。

貝殻とカフェです、なかなかいい味だしてる店主です。
言っちゃなんですけど、貝殻とかサンゴ、安いです。(赤い宝石珊瑚ではないですよ)
今は条例ができて、海岸のサンゴ、貝殻は持って帰っちゃいけなくなりました。
「買ったもの」のならいいんです。

帰りに浜比嘉島に寄りました。

琉球開闢の神様アマミチュー(アマミキヨ)のお墓です。神様も亡くなられるんですね。

製塩所にも寄りました。私の育ちの地、岡山によくあった製塩法の小型版でした。塩の原財料名が「海水」にはちょっと笑えます。

東京では成城石井で取り扱っているそうです。
製塩所の庭の奥の入り口から入っていく、ほとんどプライベートビーチです。

海中道路本島側たもとあたりの「かね食堂」に向かいました。ここもお気に入りで、海中道路に来た時には毎回寄ります。家族も友人も連れてきました。

骨汁、Cランチがオススメなのですが、今日はヤギ汁を選択しました。

このあと那覇に向かったのですが、これだけ晴れていればサンセットを見る手だと思い、「ここはイケルに違いない」と思っていたポイントに向かいました。あとからグーグルMAPで見てみると、やはり名所らしく、「安謝新港夕日スポット」となっていました。

東シナ海のサンセットです。 実はこの瞬間を30分も待っていました。

11月22日 15日目 に続く

沖縄滞在記 (11/7~11/21) 14日目 11月20日 那覇まちまーい「命(ぬち)どぅ宝」 高良食堂

今日は「那覇まちまーい」という観光協会のガイドツアーに参加します。「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)コースです。以前と違って、ネットで予約、クレジットカード決済です。最小催行人員2名で、催行されなければ返金します、というちょっと引っ掛かる決済方法です。 今日のコースは開催されるようです。

当日、早めに儀保駅に到着し、浦添尚氏の浦添さんのお家の横を通って、琉球国王尚氏の子孫、尚さんのお家に向かい、お家の隣(敷地内)にある指司笠樋川(さしがさふぃーじゃー)に立ち寄りました。

階段を降りたところに樋川があります。
かつてはこんな看板がありましたが、今はありません。

「まちまーい」は首里杜館(すいむかん)待ち合わせです。ガイドさんと同行者1人、観光協会の見学1人というグループでした。

まず「西のアザナ」に登り、首里の町と東シナ海までの光景を見渡しました。「おもろまち」から「泊(とまり)」のあたりです。昔は中国の冊報使がたどった道なのですが、WWⅡでは米軍が艦砲射撃を行い、上陸、進撃してきた道なのです。途中にはシュガーローフ(1日のうちに4回もてっぺんの旗が変わったと伝わるほどの激戦地)もあります。

首里城地下には総延長1000mにわたる第32軍司令部壕が作られました。その入り口に案内されました。そりゃ首里城が真っ平になるはずです。

ガイドさんから沖縄戦の終了は9月7日と伺いました。終了したのは、私は6月23日「慰霊の日」だと思い込んでいました。実はそれは牛島中将自決の日であり、その後も戦闘は続いたのだそうです。沖縄戦終結のきっかけとなったのが6月23日で、正式に降伏文書にサインしたのが9月7日とのことでした。

水かさが減った龍潭池のわきを通り、一中健児の塔へ。 過去、何年も那覇に住んでいながら、私は気づきませんでした。ナンバリングスクール、一中は今の首里高校だったんです。二中が那覇高校なんです。・・・当然といえば当然です。

一中の生徒は通信隊(走って命令を伝える伝令兵)といった役割だったそうです。頭が良いから。 319柱の職員・生徒を失ったそうです。彼らの名前が碑に刻まれています。その中に「尚」の名字をお二人、見つけました。ガイドさんの話では「戦時中、食べ物がなくなり、皆がイモを弁当にしていたところ、尚さんは二段重ねを持ってきていたそうです。しかし、彼は『皆で食べろよ』と自分は手をつけなかったそうです」 そして一緒に戦う。ノブレス・オブリージュですね。尚さん一族は本ブログ「驚きのチコちゃんに叱られる」編でも紹介していますが、本当に尊敬できる人たちだと思っています。

まちまーい終了後、沖縄そばの人気店「ほりかわそば」に向かいましたが、すでに行列状態。そこで「首里そば」に向かいましたが、今日は定休日。

そこで先日、ランチは先着順と聞いた富久屋に向かいました。夜はコースだけ、昼はアラカルトもできると聞いていたのですが、残念ながら昼は何種類かの定食が選択できるだけ。富久屋さんの「うむくじぷっとぅるー」を食すチャンスは失われました。

中身汁定食です。夜の「コース」の品数が減ったイメージです。残念。

手頃で雰囲気の良い琉球料理のお店でしたが、簡略化してしまったようです。同じようなお店として、以前「琉音」を紹介しましたが、こちらは閉業。さらに「ままや」も閉業しています。でも、あぐー豚のしゃぶしゃぶで有名(来沖芸能人御用達)な「まつもと」は場所を少しだけ変えて、こちらは営業していました。

今日の晩ご飯は高良食堂です。「ゆし豆腐そば」と「煮込み」です。

「煮込み」です。
スーパーの棚に、東京では見ない列を見かけました。

11月21日 15日目 に続く