沖縄滞在記 (11/7~11/27) 13日目 11月19日 那覇市歴史博物館

那覇市歴史博物館にやってきました。琉球王国の国宝は那覇市歴史博物館に収蔵されているイメージです。王冠、千代金丸(刀)、緑釉燭台、衣装など琉球王家のお宝、国宝は那覇市歴史博物館に収蔵されています。

私の推測、邪推のレベルですが、思いますに、国王の尚さん、琉球の氏族にしてみれば、明治政府からいわゆる琉球処分をされ、そこに県令を押し付けられたわけで、相当の反発があったと思います。そんな経緯から「県立博物館」ではなく「市立博物館」に尚家は寄贈したのではないかと思っています。

断片的にしか承知しておりませんが、尚家の皆さんは素晴らしい方々と思っております。拙ブログ「驚きのチコちゃんに叱られる」編でも尚家の功績に触れています。また、識名園や守礼門などの再建に際し、みんなで寄付したとは云うものの、実はかなりの部分は尚家が出したとも聞いています。一中健児の塔には尚家のお子さんの名が複数刻まれていることも存じ上げています。

さて博物館です。企画展は「近代沖縄の染織」です。その中にこんな写真がありました。これは興味深いです。

女学生の服装の変遷(1937年) ※カメラはダメよ、のマークはありませんでした。

一番右が明治時代の琉装です。帯は見えません。この着付けは「ウチンシー」と呼ばれるものと思われます。(ド素人の見解です) 身分により服も違えば、着付けによっては帯もあり、紐で結ぶものもあり、と聞いて(思って)います。

琉装の左がいわゆる和服、さらに左が和服に袴です。左から2番目が大正時代の運動服だそうで、一番左が昭和のセーラー服です。沖縄県立第一高等女学校の運動会での一コマだそうです。

取り扱い商品に「クバウチワ」「パナマ帽子」とあります。

螺鈿細工について、以前からの疑問が解けました。夜光貝の真珠層を削る、という理屈は知っていましたが、現在ならグラインダーで薄く削ることができると思うのですが、昔はどうだったのだろうか、というのが疑問です。それは「煮貝」という方法だ、と知りました。

僕は「テツ」ではないのですが、史料かなと思いまして。大阪から西鹿児島までの寝台車でした。
Wikiによれば、琉球新報が日本復帰を願って本土に沖縄名の列車を走らせよう、という目的で列車名を公募したそうです。

10日目 11月16日 波照間島行の回で「泡波」を紹介しました。現地で360円ほどだった100mlミニボトルを国際通りで発見しました。

1100円です。アマゾンだと1500円ですけど。
本土では「モズク」なのですが、ここまで堂々と「スヌイ」とは。気持ちよく割り切ってますね。
きた! タロイモです。ターンム(田芋)ではありません。

11月20日 14日目 に続く

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