小岩歴史散歩 第5回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の三

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

一里塚から話題は五分一(ごぶいち)へ。今回は五分一のお話です。

結構、日本中にあるんです。五分の一(市)とか四分の一とか。
実は税率だったり、水利権や、作物の権利の取り分だったりするそうです。」

小岩の五分一の由来はというと、いろいろあって、定説はないようです。私の入手したところでは、①「権兵衛さんちの淵」が元でゴンブチ、それが訛ってゴブイチ ②湿地だったから、余りに貧しくて2割の税金(年貢米)で勘弁してもらった ③天領だったので税率が優遇されていた ④川魚の産地でした。魚の税金は2割だった(魚はお米に換えて払ったとも)⑤日本橋から船橋までの5分の1の地点(なんともユニーク!)などがあります。どれだったのでしょう。

さらにこれを調べる過程で、これまたわからない話を聞きました。五分一のあたりにも一里塚があったというのです。でも現在未発見だそうです。

五分一橋は昔、行き交う人で賑わっていたそうです。遊郭もあったとか。日本橋寄りに逆井の渡しがありました。今は旧中川に架かる「逆井橋」にその名を残しています。歌川広重の浮世絵に描かれているところです。

ところで千葉街道って、五分一橋に八蔵橋、菅原橋に二枚橋です。これが昔の元佐倉道です。橋だらけです。昔はよっぽどズブズブだったんでしょうね。

だいぶお話が横道にそれてしまいました。もとのお話に戻って、一里塚ってどこから一里なんだろ? についてはまた次回から再開します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*