小岩歴史散歩 第4回 「一里塚」ってどこから一里なんだろう 其の二

今から10年前、江戸川区小岩に住んでおりました。その時、ある広報誌に掲載したものです。写真は散逸してしまい(悲しいかなSDが見つからない)、文章だけで申し訳ありませんが、当該地域の知り合いの間では(一部の人間関係のなかでだけ)評判になったものです。いささかの故あって、この度紹介いたします。

五分一橋(ごぶいちばし)聞いたことはあるけど、どこだっけ。まずは行ってみよう、自転車で。(単身赴任なのでクルマがありません)

千葉街道を中川の方まで真っすぐ行ったところで、信号の名前にありました。でも、もう川なんてなくて、信号と碑があるだけです。面白い地名だな~と思いつつ碑を見ると「元佐倉道」という道があったとのことです。千葉の佐倉に行く道なんだ、そうなのか、じゃ、なぜ佐倉に行く道があったのでしょう。

インターネットで「佐倉」と引くと堀田氏の名前が出てきました。江戸幕府末期の老中です。ハリスと交渉した人です。(2019年の今、加筆訂正させてください。堀田氏は幕末だけでなく、戦国時代以来の名門です)

というくらいで幕府の偉い人の家に行く道ですから、佐倉道は五街道に準じる重要さであったのでしょう。でも、ここ五分一の碑の佐倉道には「元」がついています。ということは、普通の「佐倉道」もあったということです。

さてそれはいずこに・・・。その疑問にトライする前に調べたい、興味がありました。五分一という地名の由来です。

なんでしょう、5分の1って。

閑話休題 「五分一」には3等三角点があります。地図を作るときに基準になる点です。お店屋さんの前の道路の、白線の上にありました。ご興味のある方は…. あんまりないですよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*